ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『都会のアリス』(1974) ロビー・ミューラー:撮影 ヴィム・ヴェンダース:脚本・監督

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 『ベルリン・天使の詩』以降のヴェンダースの作品は、今さらまた観ようという気もちもほとんどないのだけれども、彼のもっと初期の、ロード・ムーヴィー時代の作品は今まで観る機会もなかったし、観てみたいものだとは思っていた。それが「U-NEXT」の「見放題」リストに入っているものだから、うれしくなってしまう。
 それでそんなヴェンダースの「ロード・ムーヴィー」第一作、『都会のアリス』を観るのだった。この作品に関してはむかしにもその評判は聴いていて、観たいものだと思っていた作品だった。

 主人公のフィリップは、ドイツの出版社との契約で「アメリ旅行記」を書くためにアメリカを放浪しているが、「旅行記」を書くよりはポラロイド・カメラでの撮影ばかりをやっている。資金が底をついたのでいちど帰国しようと空港へ行くが、ドイツの航空会社就労者のストライキでドイツ行きの直行便がなく、いちどアムステルダムへ行くことを勧められる。同じ受付のとなりに少女を連れた母親らしい女性がいて彼女は英語が得意ではなくフィリップが通訳しているうち、アムスまでいっしょに行こうかということになり、その夜は同じホテルに宿泊する。
 翌朝になると母親は娘のアリスを置いていなくなっていて、「彼氏に会いに行くので、先にアムスへ行っていてほしい」との置手紙がある。(このあたりちょっとストーリーを端折って書くが)アリスを連れてアムスへ行くフィリップだったが、アリスの母親は翌日も現れず、アリスは「おばあちゃんの家のことは記憶している」というので、レンタカーを借りて彼女の記憶する地名、ヴッパタールへと向かう。
 アリスの言う「ヴッパタール」というのもアテにならないとわかったフィリップは、警察に行き事情を話してアリスを預けるのだが、その夕方、警察署から抜け出したアリスは、またフィリップの車のところへと来るのだった。実はアリスは「おばあちゃんのウチ」の写真を持っていて、それを頼りに二人はまた探索の旅に出る。

 この、「いいかげんな」アリスの母親、そして「小生意気な」9歳のアリスはまさに、60年代のヒッピーとかの影響というか影を感じさせられる存在で、そのことは主人公のフィリップ(31歳という)は、まさに「ヒッピー世代」ではないか、とは思わせられる。フィリップは多分に監督のヴェンダースの「分身」っぽいのだが、冒頭にレストランの中でジュークボックスで選曲してるのはヴェンダース自身で、彼がココで選曲するのはカウント・ファイヴの「サイコティック・リアクション」という1966年のヒット曲だった。
 フィリップはもっとあとに、ヴッパタールでチャック・ベリーのコンサートへ行くし、そのあとフィリップとアリスは、少年がジュークボックスでキャンド・ヒートの「オン・ザ・ロード・アゲイン」を聴いているところにいっしょにいる。

 この映画が撮られたのは1973年だったというが、それはまだヒッピー文化真っ盛りの頃だったろうとは思う。映画は決してそういう背景を前面に出して強調したりはしないが、フィリップの依頼された原稿を書きもしない「気まま旅」にもそういう背景はあるだろうし、アリスとその母親にも時代的なものを感じてしまう。

 わたしはこの映画のいちばん最初の、「空を飛ぶ旅客機」を捉えたカメラがそのまま下に向けられると、そこに海辺があるというシーンが好きだ。その海辺は、海岸のデッキの映像になり、そのデッキの下にフィリップがいるのだった。

 アムステルダムからドイツへと旅するフィリップとアリスだが、見ていると「アリスはいいかげんなことばかり言ってるのではないか」とも感じてしまうのだが、母が来なければトイレで泣いているし、彼女の言っていることは「真実」なのだということもあとでわかる。アリスの持つ写真の通りの「家」が見つかり、アリスがその家のブザーを押すが、そこに2年前から住んでいるというのはイタリア人で、もう前に住んでいた人のことはわからないのだ。

 ニューヨークにいたとき、「自分を見失った」と語るフィリップだったが、確かなことは何もないようにも思える二人の旅だ。アリスといっしょに旅をしてフィリップは「自分を見つけた」のだろうか。
 わたしは、この映画が好きだ。