ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『PERFECT DAYS』(2023)ヴィム・ヴェンダース:監督

  

 わたしは1970年代の頃のヴェンダース監督の作品を愛おしく思い出すことができるが(このあたりの、ロビー・ミューラー撮影になる作品群は去年の3月にまとめて観たもので、まだ記憶が消えずにけっこう憶えている)、実はそれ以降のヴェンダース作品はそれほどに印象に残っていない。そんな中では『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』(1999)とか『Pina/ピナ・バウシュ 踊り続けるいのち』(2011)とかのドキュメンタリー映画は好きだが。

 今回、この映画を観ようと思ったのは、特に役所広司カンヌ映画祭で「主演男優賞」を受賞したからとか、「いい映画らしい」とかいうのではなく、ひとつには使用音楽に期待できたこと。もともと『PERFECT DAYS』というタイトルからしルー・リードの曲名だし、そもそもヴィム・ヴェンダース監督の好む音楽はわたしの好み、ではあるだろう(むかしは、映画の登場人物がキンクスの曲を口ずさんだりしてたこともある)。そういう意味で、映画の内容がどんなだろうと構わないから、こういうとき、お正月らしいグルーヴィーな音楽でわたしを元気にしてほしい、そういう気分である。
 もうひとつ、ヴェンダース監督へのインタビューで、この映画の中でパトリシア・ハイスミスへの言及があると知り、ヴェンダース監督もまたハイスミスの大ファンだと知ったことも、わたしを映画館へと後押しした(ヴェンダース監督、過去にハイスミスの『アメリカの友人』を映画化してたのだった)。

 そういうわけで、この映画の中でど~んな音楽が使われていたのか、そのことをまず書いておきたい。
 主人公の役所広司は仕事に向かう車の中で、古いカセットテープを聴いているわけで、彼の部屋にはかなりの数のそんなカセットテープのコレクションがある(自分で録音したものではなく、ちゃんとジャケットも付いた「正規販売品」のカセットテープである)。

 ・Animals 「House of the Rising Sun」
 ・Velvet Underground 「Pale Blue Eyes」
 ・Otis Redding 「(Sittin' On )The Dock of the Bay」
 ・Kinks 「Sunny Afternoon」
 ・Patti Smith 「(何だっけ? 「Horses」のA面の曲)」
 ・Van Morrison 「Brown Eyed Girl」
 ・Lou Reed 「Perfect Days」
 ・Nina Simone 「Feeling Good」

 この他にわたしにはわからない曲が1~2曲あり、日本人ヴォーカルの曲もあった。あと、「House of the Rising Sun」に関しては、映画の中で「スナックのママさん」役で出演の石川さゆりが、スナックの中で客のリクエストに応えてこの曲を歌うシーンがあったのだった(歌詞は日本語。浅川マキのやつだろう)。
 み~んなわたしの好きな曲で、期待はかなえられたわけだけれども、特にわたしにはVan Morrisonの「Brown Eyed Girl」がうれしかった。映画館の中で肩を揺らせてリズムを取り、「Sha la la la」のコーラスをいっしょに歌いそうになったのはわたしです(うしろの席の方、ごめんなさい!)。
 そして何といっても、ラストにかかるNina Simoneの「Feeling Good」。この曲は歌詞も聞き取りやすいし、このときの役所広司の表情と合わせて、まさにこの映画のエンディングにふさわしい曲ではあった(一言だけ、Kinksファンのわたしのリクエストを書かせてもらえるならば、Kinksは「Sunny Afternoon」よりも「Days」の方が、この映画の内容にも合致した気がする)。

 パトリシア・ハイスミスに関しては、まずは役所広司の部屋に置いてあるたくさんの文庫本の中から、彼をたずねて家出して来た姪のニコ(!)がハイスミスの『11の物語』を選んで借りて読み、あとで役所広司に、その中の一篇『すっぽん』の主人公って「わたしに似てる」と語る。
 ここでその『すっぽん』という短編の内容は書かないけれども、それはそのニコと、彼女の母(役所広司の妹)との心理的関係を暗示させるわけだ。
 そのあと、その本はニコにあげたのだろう、役所広司は古本屋でその『11の物語』を買い直すのだけれども、そのときに古本屋の店主は「パトリシア・ハイスミスは不安を描く天才だと思う。恐怖と不安は別のものだと、彼女から教わったの」と語るのである。これは実は、その『11の物語』にグレアム・グリーンが寄せた序文の要約的なコメントではあるが。

 それで映画の内容についてはあまり書こうとは思っていないのだけれども、まず2つ、「それはない」ということを書いておけば、ひとつ、ああいう間取りの(2階部屋のある)アパートというものは、まず存在しない。映画で出てくるそのアパートの外観からも、あの間取りではないとわかる。もうひとつ、日本では、トイレの掃除というものに男性が従事することはまずあり得ない。それは男性が女性トイレを掃除しているときに女性が入って来たときに、その女性がどう思うかということでもあるし、従事する男性の「正常性」が常に問われないといけないわけだ。そういう意味で、この映画には「虚偽」が含まれていると、わたしは思う。
 それから、主人公がああいう生き方を選んでいて、それでもなお居酒屋に行ったりスナックに行ったりするのがわたしにはわからない。彼の生き方にはそういうものは「不要」ではないのか、とは思う。
 まあ映画のラストは「人との出会いがあったゆえの」気もちの変化が描かれているのだろうが、ああいう彼の性格、彼の生き方ならば人に干渉されることのない生き方を選ぶのではないだろうか。

 とにかくはわたしももっと音楽を聴き、もっとパトリシア・ハイスミスを読もう、そう思わされる映画ではあった。