ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

2022-11-30(Wed)

 今日は市役所に、ようやく「失業給付」の受給手続きに行くことにした。天気は良く、けっこう外は暖かいのだが、市役所行きのバスに乗るためにまずはとなり駅まで歩くわけだけれども、こちらの駅はウチの最寄り駅よりもちょびっと遠いし、何よりも歩いて楽しい道ではない。ぜったいに野良ネコに出会うことはないし、途中からはマンションの谷間を歩く道で、風景を楽しめるわけでもない。道沿いの花を見ながら歩くだけである。

     

 市役所へ到着し、「おそらくはこういうことは社会福祉課へ行けばいいのだろう」と考え、その窓口で「失業給付の受給手続きをしたいのですが」と聞くと、わたしと応対した職員の方は「えええ~!」という感じで、「それは<ハローワーク>へ行かねばならず、この地域の<ハローワーク>は松戸にあるのです」という返答だった。

 むむむ、またもやわたしのミステイクだったのか。わたしはその離職票といっしょに送られて来た書類にはいちおう一通り目を通していたのだが、根本的な間違い~勘違いとして、「ハローワーク」というものはどこでも「市役所」に付随しているものだと思い込んでいた。
 もう何年も「ハローワーク」などに行ったこともなかったし、前に行ったのはまだ茨城にいた頃だったろう。そのときは多分、市役所のそばに「ハローワーク」もあったのだ。
 これはわたしがそう思い込んでいたわけだから、何度書類を読んでいても、やはりこうやってまずは「市役所」へ来たことだろう。

 自分の間違いがわかって、このまま電車で松戸に移動して「ハローワーク」へ行こうかと思ったが、松戸の駅を降りたらすぐに「ハローワーク」の場所がわかって行けるというわけでもないらしく、ここは一度帰宅して、また出直そうということにした。なんだか、市役所絡みの用事で一度で済んだことがない。

 帰りに駅の近くのスーパーへ寄り、こっちのスーパーの建物には書店も100円ショップもあるわけで、自宅最寄り駅よりはよっぽど開けている(というか、自宅最寄り駅があまりに「何もない」のだけれども)。ちょうど卓上電卓が昨日完全に壊れてしまったばかりだったので、100円ショップに立ち寄って電卓を買う。
 しかし、その前に駅前の「New Days」(昔のKIOSKだな)にも100円コーナーがあったので、ちらっと見てみたのだが、置いてあった卓上電卓は千円近くするのだった。まあ100円ショップとの価格差はあるだろうけれども、こんな十倍近い価格差だとさすがに「びっくり」である。

 スーパーでお弁当でも買って帰ろうかとも思ったが、「無職」の身でもあり、ちょっと倹約気分が復活し、何も買わないで帰宅。昼食は買い置きでまだいっぱいあるパスタソースで、スパゲッティにした。

 テレビの報道を見ていると、中国で習近平政権の「ゼロコロナ政策」に反撥した人たちが、抗議行動を起こしているという。これは「ワールドカップ」の中継を見た中国の若者たちが、海外では皆がけっこう自由に行動していることに自国の現状を比べ、憤りを感じたということもあるという意見も読んだ。中国は自国内だけで流通するネット検索サイトなどで、国民がTwitterなどのSNSを閲覧できないようにしているというが、「ワールドカップ中継」でその規制を外してしまったのか(あの北朝鮮でさえ、日本や韓国、アメリカのゲームは中継しないとはいえ、「ワールドカップ」の中継をしていると聞いて驚いたものだ)。
 この中国内での抗議行動、昨日は日本でも在日中国人らが連帯する抗議行動を行ったらしい。もちろん、香港を抑え込んでしまったあの習近平中国だから、今回の「抗議運動」も抑え込まれてしまう可能性が大きいが、こうやって中国国外でこのような動きが報道される意味は大きいと思う。
 思い出したのは数年前のことだが、中国が尖閣諸島の(日本領海)を侵犯したとき、わたしはFacebookでそのような中国の動きを批判したのだが、そのときにそれまでのわたしの友人が、わたしが「ネトウヨ(死語?)」になってしまったとわたしを攻撃して来たわけで、結果として彼はわたしをブロックすることとなった(当時、たしかに「ネトウヨ」らは領海侵犯した中国を激烈に攻撃していたが)。はてさて、彼は今でもなお、わたしが言ったことを「ネトウヨ」として排除しようとするのだろうか。
 これはいわゆる「サヨク」の、頭脳を使わない「教条主義」の生み出すところの「共産主義擁護」と言えるのかと思う。「革新」のフリをして、実はものすごく保守的なのである。まさか今、「中華人民共和国」や「朝鮮民主主義人民共和国」を擁護する人などいないと思うが、数年前にはまだこういうことが起きていた。

 わたしは当時、彼に「では<領海>とは何なのか?」と問うたなら、彼は「わたしはアナーキストだから<国境>のことなど問題にしない」という返答で、わたしは笑ってっしまった。
 こう言ってはなんだが、わたしはそれなりにアナーキズムの文献を読んでいて、自分の政治的主張としては「アナーキズム」だと答えたいのだが、それでも<国境>というものは今の世界情勢では厳と存在する。あの「サパティスタ民族解放戦線」は何を戦ったのか。
 もしも今の<世界>で、いいかげんなアナーキズム思想から<国境>が存在しないとするなら、それこそ「他国による侵略」など「やり放題」なのである。ばかばかしい(わたしは今の日本の「防衛費増強」の動きには反対するものだが)。以上。

 今日の夕食には、残っていたトマトを玉子と炒め合わせて適当に惣菜にしたが、けっこうおいしかった。今日はDVDは何も観なかった。
 

『ミラーズ・クロッシング』(1990) ジョエル・コーエン:監督・脚本 イーサン・コーエン:製作・脚本

 コーエン兄弟の作品としては珍しく、しっかりと「シリアス」なつくりで(まあ喜劇的なところもあるけれども)、二転三転するストーリー展開を堪能する。

 主人公のトム(ゲイブリエル・バーン)は町のボス、レオ(アルバート・フィニー)の腹心、ブレイン(「懐刀(ふところがたな)」というヤツだろう)で、レオのアドヴァイザー。しかし実はレオの愛人であるヴァーナ(マーシャ・ゲイ・ハーデン)と通じている。ここに町のもう一方の実力者であるジョニー・キャスパー(ジョン・ポリト)がのし上がって来て、キャスパーの工作する八百長のじゃまをしてぶち壊す、チンピラのバーニー(ジョン・タトゥーロ)を始末してくれとレオに陳情する。
 しかしバーニーはヴァーナの弟であり、ヴァーナに惚れているレオはキャスパーの陳情をはねつける(トムは、キャスパーの言う通りバーニーは消すべきだとこのときは思っていたが)。
 トムも賭博には目がないのだが、負けてばかりいて借金もかさんでいる。
 そんなとき、ヴァーナを尾行して行動を探っていたレオの部下が街頭で死体で見つかる。「キャスパーの仕業」と踏んだレオはキャスパーのアジトを急襲し、逆にレオもキャスパー一味に自宅で襲われる。
 いろいろあるが、ヴァーナに夢中になりすぎているレオへの反発もあり、トムはレオに「自分はヴァーナと通じている」と告げる。
 レオにフルボッコにされたトムは、キャスパーのところへ行く。トムの頭脳を評価していたキャスパーはすぐにトムを腹心の部下にするが、もうひとりのキャスパーの部下のディン(J・E・フリーマン)はトムに下心があると、彼を嫌っている。
 ディンはトムを試すこともあり、隠れていたバーニーを捕え、「ミラーズ・クロッシング」の森の中でトムにバーニーを殺させる。しかし森の奥でバーニーと二人きりになったトムは、「二度と姿を見せるな」とバーニーに言い、彼の命を助けるのだった。
 しかし性根の腐ったバーニーは、トムの部屋に姿をあらわし、逆にトムを脅迫するのだった。さてさて。

 書くのを忘れたが、レオは「アイルランド系」、キャスパーは「イタリア系」と、まさに「マフィア」の正統派ではあるが、レオが自宅で襲われたとき、彼が蓄音機で「ダニー・ボーイ」を大音量で聴いているのがいい。レオはギャングでありながら「紳士」という身のこなしだが、キャスパーはどうも「お下劣」である(彼の十歳ぐらいの息子は「アホ」である)。トムがキャスパーの下でおさまるとはとっても思えないのだが。

 「トム」とはどんな男なのか。それがこの映画の主題かとも思うのだが、博打には負け続け、レオにもディンにも、そしてヴァーナにもぶん殴られてばかりである(ちなみに、ヴァーナはそんなトムに惹かれてはいるようだ)。
 どうもトムという男、自分の立場を計算して状況に合わせて立ち位置をあれこれと変えることに長けているようだが(そういう意味で、彼の「身の振り方」こそがこの映画のみどころとも言えるだろうか)。
 けっきょく、トムは「いくらぶん殴られても」じぶんの取り分をこそ守ろうとしていたのかもしれない。しかし、(結末を書いてしまえば)バーニーはキャスパーを撃ち殺し、その現場に踏み込んだトムはバーニーを撃ち、バーニーとキャスパーとが「撃ち合い」の同士討ちになったとの工作をする。町のボスはレオに復帰するわけで、普通に考えれば、トムはまた映画の始まったところのように「レオの懐刀(ふところがたな)」に戻れば「めでたしめでたし」なのだが、そこでトムはレオがヴァーナと結婚するということを聞く。それも、ヴァーナの方からレオに求婚したのだという。
 ヴァーナはバカな女ではないから、弟のバーニーを殺害したのが誰かかはわかっているのだろう。ヴァーナはトムを「捨てた」のだ。
 それをレオから聞いたトムは、レオの「戻って来てくれるよな?」という要請を切り、(おそらくは)町から一人出て行く道を選ぶのだ。
 トムがバーニーをさいごに撃つとき、バーニーは「頼むから撃たないでくれ。あなたの心に聞いてくれ」というのだが、トムは「心はない(No heart)」と答えて引き金を引くのだが、この複雑な抗争劇の中で、トムはたしかに心を失ってしまったのだろう。

 いい映画だと思う。撮影は初期のコーエン兄弟の撮影を担当していたバリー・ソネンフェルドで、これが彼がコーエン兄弟と撮った最後の作品になるのか。音楽は『ファーゴ』と同じくカーター・バーウェルの担当で、わたしの中ではこの『ミラーズ・クロッシング』と『ファーゴ』との音楽こそが、アイルランドのトラディショナル音楽を思わせられるところがあり、わたしの最も愛するところの音楽ではある。特にこの冒頭の、(これはトムの「夢」のシーンなのか)そのミラーズ・クロッシングの森の中、風もないのに飛んで行くトムの帽子と、そのバックに流れる音楽とが「とてつもなく」好きである。
 

2022-11-29(Tue)

 夢を見た。ただその夢には人物はまるで登場せず、夢を見ているわたしはただ、夢の中のパソコンのディスプレイのテキストを読むだけであり、「夢を見た」というより「夢を読んだ」という方が正しいのかもしれない。
 夢はFacebookか何かのわたしの書き込みに対しての、「誰だかは判らない人物」によるコメント、もしくはメッセージみたいな文章だった。そのコメントの中で書いた人は「見ていたら自分の知っている人物と同じ名前の人が書き込みをしていたので、きっとそれがわたしの知っている方だと思い、こうやってコメントを書きます」ということで始まるのだけれども、その人物はわたしの持っていたボールペンをわたしが忘れてしまったので、以後そのボールペンを使っているという。その人物はそのボールペンを返そうと思い、わたしが前に住んでいた茨城の建物へと私を訪ねて行ったという。もちろんわたしはもう転居してしまってそこにはいなかったのだが、その人物はあれこれと近所のおばさんと話をしたのだという。「2階に住んでいたおじさんにその後どんな運命が待ち構えていたか、あなたに話して聞かせられたらいいな、などと思います」というところで、その書き込みは終わっていた。
 わたしには、この「夢」が何を意味しているのかはわからない。「2階のおじさん」というのは、わたしがまだそこに住んでいたときに火事を出し(わたしが「第一発見者」だった)、その火事で焼死してしまわれたのだったし、その火事のせいでわたしは転居を余儀なくされてしまったのだった。

 今日は、その茨城の家に出入りしていたニェネントのお母さん、ミイの12回目の命日だった。わたしの中でミイの記憶もだんだんに薄れてきている気がするが、やはりわたしの部屋の中で息を引き取ったミイのことを思うと、今でも涙があふれてくる。
 ミイを撮った写真は本当に数少なく、またそのとき持っていたカメラもおもちゃみたいなものだったし、「ミイ」というといつもいつも、おんなじ写真を使いまわしてしまう。

       

 ニェネントは、このところ寒くなってきたので、朝起きて朝食を食べたあとはしばらくわたしのことをウォッチングしているのだが、じきに和室の方に引きこもってしまい、「どうしてるのかな?」と見に行くと、わたしの使っている布団の中にもぐり込んで寝ているのだった。そろそろ電気ストーブを出す頃だろうか。

 わたしは今日こそ「失業給付」の受給手続きのために市役所に行こうかと思っていたのだが、今日もまた、いつ雨が降り出すかわからないような天候だったし、また先延ばししてしまった。
 それで今日もだらけた一日になり、昼食はまたインスタントラーメンですませた。それで3時ごろにお腹が空き、パンをトーストして食べたらこんどは満腹になってしまい、「夕食は抜こうか?」と思ったのだが、それでは夜中に空腹をおぼえそうなので、インスタントの焼きそばをつくった。
 昨日もこの焼そばをつくったのだったが、何だか麺が硬く思えたので、昨日思ったように今日は水加減を多くしてつくってみた。袋に書かれている水の量より1割ぐらい多めの水でつくったのだが、やはり水を多くした方が麺もやわらかくなり、おいしかったと思う。まだもうちょっと水を多くしてもOKだろうと思う。

 焼そばを食べたあと、DVDでまたコーエン兄弟の作品、『ミラーズ・クロッシング』を観てから寝た。『ミラーズ・クロッシング』は憶えているところもいろいろあったが、全体のストーリーの流れはやはり憶えてはいなかった。
 

『ファーゴ』(1996) ジョエル・コーエン:監督・脚本 イーサン・コーエン:製作・脚本

 「偽装誘拐」の誘拐犯役を引き受けた2人は、決行前夜に娼婦を買い一夜を過ごす。2人は事件当日に一般人を殺害し、現地の警察署の署長のマージ(フランシス・マクドーマンド)が捜査に当たることになる。すぐに前夜に交渉を持った2人の娼婦を突き止め、「で、犯人はどんな顔だったの?」と聞くと、その一方に関して2人は「変な顔だった」と声をそろえる。「あなたはそんな、<変な顔>の男とセックスしたの?」と聞くと、「ええ、そうよ」との答え。この時のマージの顔が、目をまん丸にした<あきれ顔>で、笑える。

 じっさい、物語はマジに「サスペンス」としての骨組みを持っているのだけれども、そもそもこの、自分の妻を誘拐させ、親に身代金を払わせて自分がそこから上前をはねるという「偽装誘拐」を計画した主犯のジェリー(ウィリアム・H・メイシー)が「まぬけ」というか「脳なし」というか、計画はずさんである。というか、彼の生活自体がずさんであろうか。
 そして彼がどこからか雇った2人の実行犯というのが、と~んでもない「暴力的」な野郎どもというか、特に当初、カール(スティーブ・ブシェミ)の方はちょっとした自分のミスをもみ消すため、目撃者をみ~んな撃ち殺してしまうのだ。もう一人のゲア(ピーター・ストーメア)は特にカールと息が合っているわけでもなく、ただ無口なだけのようだが、実は彼はカールに負けずに暴力的だったりする。

 捜査に当たるマージは夫(ジョン・キャロル・リンチ)と二人暮らしで今は妊娠中。そんな彼女と彼との生活ぶりも描かれるが、そんな身重のからだで彼女は捜査に乗り出している。

 ジェリーの義父は誘拐された娘のため、言われた通りのキャッシュを用意して誘拐犯に会いに行くのだが、そういう誘拐犯であるからして、カールにかんたんに射殺され、キャッシュは奪われてしまう。
 その身代金が予想外に大金だったことから、カールは「独り占め」しようと、ゲアに渡す分を取り出すと、残りを雪の中に埋めて隠してしまう。
 しかし、ジェリーの妻を見張りさせているゲアのところへ戻ると、ゲアはその妻を殺してしまっていたのだった。

 まあマージの捜査も手ぎわよく進行し、彼女の前から逃げ出したジェリーを主犯格と断定し、実行犯を探すとちょうどまさに、ゲアが殺害したカールを「木材粉砕機」で文字通り粉砕しているところに出くわし、ゲアを逮捕するのだった。

 とにかく、全編にわたって拡がる雪景色が印象に残る映画だった。そんな中でマージが「ヒューマニズム」を代表するように活躍するのだが、それ以外の「犯罪者」3人の行動にはあきれさせられる。まあ主犯のジェリーは「おばかさん」としか言いようもなく、彼が不器用に計画を進めて行くたびに苦笑するしかないのだが、カールとゲアの「暴力」には目を閉じたくなるようなところがある。しかし演出上彼らの暴力はある意味ちゃっちゃっと遂行されてしまい、その過程をリアルに描くものではない。だからこそ、この映画を観ていて「あきれてしまう」ということにもなり、それがこの映画の醸し出す「ブラックユーモア」として受け止められるのだろうか。

 主犯格のジェリーを演じるウィリアム・H・メイシーは、その容貌がなんだか木彫りの人形のようなところがあり、「間の抜けた犯罪人」にぴったりのように思った。
 ゲアを演じたピーター・ストーメアは、この映画に出演したときはまったく知らない役者さんだったが、このあといろいろな話題作でその姿を見るようになった。この人、スウェーデン出身で、イングマール・ベルイマンの演出したシェイクスピア劇の舞台に出演していたという。
 

2022-11-28(Mon)

 今日は天気も良かったのだが、気温はあまり上がらず、部屋にいてもちょっと寒さを感じる。もう12月も近い。
 外を歩いた方が暖かそうでもあるし、昼ごろに駅のそばのスーパーへと買い物に出かけた。このスーパーは月曜日にそれまでなかった特価品を置いていたりする。この日はブロッコリーが(小ぶりとはいえ)100円で売られていて、昨日北のスーパーで140円で買ったことを後悔した。わたしは一人暮らしだし、あまり大きなブロッコリーよりは小さいほうが使いやすい。まあ白菜のように長く保存出来ればいいのだが、先日はダイコンを一本買ってしまい、けっきょく三分の一近くは食べないうちに傷んでしまい、捨ててしまった前科がある(ブロッコリーはなんとか食べ切れるだろうが)。
 この日は、普通250円以上で売られている辛口ベーコンのパック(100円)と、レンジでつくれる「五目中華丼」とかを買った。ベーコンは安くておいしいので、売られているのを見るたびに買っている。わが家のヘビーローテーションである。
 大した量は買わなかったが、まあ「散歩がてら」ではあるからいいのだ。

 帰り道、カラスが道路にゴミを散らかして、何か食べているところを目撃した。こういうことをやるからカラスは人に嫌われてしまう。

     

     

 帰宅して、昼食にはトマトと牛乳を使ってパスタソースをつくり、スパゲッティにした。なかなかおいしかったが、まだトマトは1個残っているし、牛乳もいっぱいある。近いうちにまた同じメニューをやろうか。

 食事のあとはまたDVDを観る。この日はコーエン兄弟の『ファーゴ』。何ともはやお粗末な「狂言誘拐計画」に、計画者が雇った「実行犯」は、と~んでもないヤツらだった(『グッドフェローズ』のジョー・ペシみたいに、いやそれ以上に簡単に人を殺してしまう!)。
 もちろん以前に観ている映画だけれども、記憶しているのはスティーブ・ブシェミのことを出会った人らが皆「変な顔だった」ということと、ラスト近くにピーター・ストーメアが「木材粉砕機」を使って死体を始末しようとしている場面ぐらいか。

 それ以外、テレビは昨日のワールドカップの日本の敗戦の話ばっかしだし、それはネットもおんなじだ。み~んなが、日本の作戦の失敗の話ばっかしする。わたしはそういう「くろうと」みたいな目線で昨日のゲームを見てはいなかったし、テレビやネットで語られていることに納得したわけでもない。まだ「勝てば官軍負ければ賊軍」みたいに、日本チームは「日本国民皆の代表」みたいに見られているのかと思う。というか、「日本は勝たなければならぬ」という、前の世界大戦のときのような根拠のないスピリチュアリズムを感じてしまう。これが前の試合でドイツに勝ったものだから、よけいに皆が日本チームに期待していたのだろう。考えてみれば、ドイツに勝ったことで騒ぎすぎてもいるのだろう。そりゃあ勝ったり負けたりするよ。あんまり入れ込むとヤバい世界だ。わたしは距離を取ろう。

 夕食にはインスタントの焼きそば。この焼そばは昔はもっとおいしかった記憶があるけれども、最近つくってもあんまりおいしいと思えない。調理のときに水をもっとたくさん入れた方がいいのかな?などと思う。
 

2022-11-27(Sun)

 朝から天気も良く、北のスーパーへ買い物に行った。わたしの今の生活はほぼすべて、「今日は(これからしばらくは)何を食べようか?」と考えて、その食材を買うために買い物に行くばかりのように思える。
 家を出てしばらく歩いたところで、道路に面した家の出窓にネコの姿を見たが、よく見るとそのネコは「置き物」なのだった。表情が動かないから置き物だとわかったが、とっても精巧に出来ていた。

     

 スーパーによって、「コレはこのスーパーがいちばん安い」とかいろいろとあるのだが、この北のスーパーは「もやし」「豆腐」が安いことはわかっていたが、この日は「牛乳」も他のスーパーよりも安いことがわかった(帰宅したあと飲んでみたら、すっごく水っぽいこともわかったが)。ただ、このスーパーはこのところガンガンと値上げを続けていて、この日も買おうと思っていた「肉まん」が、先週よりも30円も高くなっていたので、「これはひどい」と思って買うのをやめたが。

 帰宅して、この日は豆腐を買ったので、久しぶりに「麻婆豆腐」をつくって昼食にした。お手軽昼食ではある。
 そのあと、引き続いて『ミスティック・リバー』の今日はディスク2枚目、短いドキュメンタリーものと、クリント・イーストウッドティム・ロビンス、そしてケビン・ベーコンとがテレビに出演してのインタビューを見た。このインタビューはアメリカBBCの「チャーリー・ローズ・ショー」という番組のモノで、司会者のチャーリー・ローズという人物はかなり突っ込んだ、辛辣な質問をする。特にティム・ロビンスとの対談では、ティム・ロビンスという人物自体がアメリカでは反体制的な発言を歯に衣を着せない発言で知られているようで、映画のことを離れてそういう「政治問題についての発言」をめぐっての対話が進行する。「こんなことテレビで討論するんだ」という驚きもあり、「9.11」や「イラク戦争」をめぐってのティム・ロビンスのリベラルな意見を聞くことも出来たが、それに対する司会のチャーリー・ローズの発言は「よりリベラル」な感じで、逆にティム・ロビンスの発言は「中道的」ではないかと思えてしまうような質問が続いた。けっこう驚き。
 しかし、見終わったあとに、この「チャーリー・ローズ」という人物について調べてみると、5年ほど前にセクハラ問題を起こし、BBCを解雇されてしまったらしい。

 わたしはそろそろ「失業手当」の申請をしなくってはと、この日スーパーへ買い物に行ったとき、申請に必要な自分の写真を撮ってきた。
 実はこの日はそのDVDでクリント・イーストウッドの姿も見ていて、このときイーストウッドは72歳か73歳。今のわたしよりは年上だが、「カッコいい歳の取り方をしているものだなあ」と思って見ていて、「わたしもああいう歳の重ね方をしたいものだ」とは思っていたわけだが、まあわたしは自分の容貌にまったく自信はないし、そうやって自分の写真を撮らなければならないことに抵抗はあったのだけれども、撮った写真を見て、まさかイーストウッドと比べられるものではないとはいえ、「ま、こんなものか」と受け入れた。
 こういうことを書きはじめると長くなってしまうので簡単に書くが、わたしは自分の父親への「憎悪感」というものが強く、歳をとってだんだんに自分の容貌が父親に似て来ることに我慢が出来なかった。しかしこのところ、自分の容貌がかつての父親の容貌とは別のものになって来ていると思えるようになり、そういう「嫌なコンプレックス」から逃れられつつあると思う。今日の写真も、父を思わせるところもあるとはいえ、まったく別の「老い方」の方向性を見せていると思われ、「わたしは父を引き継いでなどいないのだ」と、満足するのだった。以上。

 大相撲、わたしが十中八九優勝するだろうと思っていた高安は、本割で阿炎に負けてしまい、大関貴景勝を含めた巴戦での優勝決定戦になり、負けてしまうのだった。優勝は平幕の阿炎で、今年の優勝力士はすべて平幕力士ということになってしまった。高安は土俵裏で涙を流して悔しがっていたというが、う~ん、同情するというか、今度こそ優勝すると思っていたのだが。

 夕食には買って来た牛乳とブロッコリーを使い、白菜とで「白菜とブロッコリーのクリーム煮」をつくったのだが、何が悪かったのか、おいしく仕上がらなかった。

 この夜はサッカー、ワールドカップの「日本vs.コスタリカ」の対戦。わたしの勝手な予想では「0-0」または「1-1」の引き分け、もしくはコスタリカの勝ちだろうという感じ。
 見始めて、「コスタリカの守備が強固だなあ」という感じは受けた。第一戦の「日本vs.ドイツ」の前半でのドイツの立ち位置に日本がいるようなところと思えた。「これは引き分けかな」と思って、前半終了のところで寝ることにしたが、けっきょく0-1でコスタリカが勝ったようだった。ちょっと日本がグループリーグを勝ち抜くのはむずかしくなったか?
 

2022-11-26(Sat)

 土曜日はFMでの「ウィークエンドサンシャイン」の放送日。まったく興味のない音楽ばかりが続く回もあるのだけれど、この日は終盤にわたしの好きなアイルランドシンガー・ソングライター(同時にトラディショナル・ソングの良き歌い手でもあり、卓越したギタリストでもあるのだが)のポール・ブレイディ(Paul Brady)の曲が何曲かかかり、うれしかった。やはりポール・ブレイディは素晴らしい。そしてそのあとには、バート・ヤンシュ(Bert Jansch)の曲が続いた。うれしい回だった。
 調べたら、ポール・ブレイディは7年前に来日公演をやっていたのだった。まったく知らなかった。知っていれば行っていたのに。

 今日は天気予報ではこのあたりはずっと雨になるだろうということだったが、外を見ても雨が降っている気配はなかった。「買い物に行こうか」とも思ったが、外に出て歩いていて雨に降られるのも最悪なので、やっぱり外に出るのはやめておいた。写真はこの日も出窓に上がって外をみるニェネントくん。

    

 夕方になると、ケータイに「このあたりはこれから豪雨になるよ!」という「警報」のようなものが届いたのだけれども、外はまったく雨になることもなかった。「こんなことなら買い物に出てもよかったな」などとは思った。

 昼食は「鴨だしそば」の残り半分を食べ、そのあと昨日観た『ミスティック・リバー』の、出演していたティム・ロビンスケビン・ベーコンによる音声解説を観た(聴いた)。
 二人とも自分自身が映画の監督の経験者でもあり、クリント・イーストウッドの演出法について踏み込んだ話を聞かせてくれた。二人の声がけっこう似ていたので、どっちがどっちだかわからなくなる時もあったが、まあ二人とも同じようなことを語っていたのでかまわないか。
 とにかくイーストウッド監督の演出は「早撮り」「短時間」というのが特徴的で、何カットも撮り直しすることはまるでないし、一日の撮影時間も6時間ぐらいで終わるのだという。例えば撮影中にアクシデントがあって「撮り直し?」とかいうときも、「これでいいよ」とそのテイクを活かすのだという。
 映画の中で公園に娘の死体が見つかったシーンで、上から娘の死体を俯瞰撮影し、そのままカメラは上の方へと向きを変え、木々のあいだから空が見えるショットがあったのだが、実はそのシーン、カメラが空を撮るのと同時に用意していたたくさんの鳩を放ち、空に鳩が飛ぶところを捉えるはずだったのが、鳩は言うことを聞かずに空に飛び立たなかったのだという。普通なら「やり直し」として、せっかく鳩を用意していたわけだし、うまく行くまでやるのだろうけれども、イーストウッドは「しょうがない、あきらめよう」と、その一度の撮影で終わりにしたのだという。

 これはきっと先日観た『グッドフェローズ』のスコセッシ監督の演出の「対極」にあるもので、イーストウッド監督もステディカムを使うのだけれども、スコセッシ監督のようにギミックな使い方をするわけではない、きわめてオーソドックスな演出ではある。
 こういう演出法は、イーストウッド監督の長い「俳優歴」から得た(学んだ)ものだろうけれども、例えば『荒野の用心棒』の監督のセルジオ・レオーネなどは、しつっこいぐらいにテイクを重ねて「撮り直し」をしたということで、おそらくはイーストウッドはけっこううんざりしていたのかな?などとは思う。

 だからティム・ロビンスケビン・ベーコンも撮影前に「役作り」はしっかりと仕上げ、撮影前の「読み合わせ」で準備していたということで、場合によってはリハーサルのときから撮影していたという。
 これは一種「演劇的」というか、ある意味で「俳優の力量」にすべてを委ねたスタイルとも言える。そのために監督は「舞台設定」に力を注ぎ、撮影後の「編集」で作品をつくりあげるわけだ。

 わたしはマーティン・スコセッシ監督のような、言ってみれば「ギミック」な演出にももちろん惹かれるが、イーストウッド監督のこういう、「演劇的」な撮影現場から「自分の思うもの」を切り取って行く演出法にも感心する。面白い「音声解説」だった。明日はこのDVDの2枚目を観よう。

 夕食は、今は白菜が丸ごとひとつ在庫があって、これがなかなか減らないし、とにかくは「白菜を使いましょう」ということを考える毎日。そして今は先日買ったトマトがまだ残っていて、トマトは白菜よりも早く傷むので、白菜とトマトを使った献立を考える、というか検索する。
 まあ白菜をトマトで煮込む料理はけっこうあるわけで、この日はコレにベーコンをプラスして煮物をつくった。けっこう美味しかった。