ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

2019-09-15(Sun)

 とても久しぶりに、見た夢を目覚めても記憶していた。何かの打ち合わせでわたしはどこかの小学校らしい建物に来ているのだが、どうやら小学校全体が停電しているようで、部屋の中は薄暗い。知人たちとのミーティングを終えてひとりで校内の廊下を歩く。教室の中では薄暗い中で生徒らが机に向かっている。そこに小柄な男性教諭がやって来てわたしを叱責する。「校内に無断で立ち入ってはいけない」ということだ。背は低いが居丈高な態度の男性で、学校から追い出される。
 外を歩いているとわたしの前を三人のワイシャツにネクタイ姿の若い男性が歩いている。わたしはそばの建物の向こう側へ行きたいと、建物の階段を上ろうとするのだが、その階段の足を運ぶスペースがとても狭く、おそらく10センチぐらいしかないので、足を横にして苦労しながら上る。階段を上りきって向こうを見渡すと眺望がひらけ、丘の斜面のようなところでたくさんの子どもたちが遊んでいるのが見えた。学校が停電なので、そのまま授業をつづけているクラスもあるけれども、もう授業を打ち切ってしまったクラスもあるのだろうと思った。だいたいが小学校3~4年生の子らだと見えたが、葉の落ちた枝だけの木の生えた公園のようなところで、男の子も女の子もぎっしりと押し合いへし合いするように遊んでいる。特に、白い水玉模様の赤い服を着た女の子らが数人いて目立つ。その景色を見ていて、「まるでブリューゲルの絵みたいだ」と思うのだった。

 ‥‥きっと、その小学校が停電だったというのは、いまの千葉の台風被害のニュースをみた影響だろう。それと、ここには今読んでいるカフカの影響もあるだろう。「ブリューゲルの絵」というのは、おととい六本木に行ったとき、六本木ヒルズの中のカフェで「見たことのないブリューゲル」とかいう映像を上映していて、よっぽど見ようかと思った、その記憶からのことだろうと思う。さすがに夢だけに、「夢のような」美しい眺望だった。

 ニェネントの、皮膚炎の治療がたいへんなのである。前は「塗り薬」だけで良かったのだが、今はまずニェネントの患部(下あご部)を水洗いし、シャンプーをつけて泡立たせて数分放置、その泡をきれいに拭き取って、そしてまた塗り薬を塗ってあげるのだ。
 もちろん、ネコの一種であるところのニェネントくんは濡れること、濡らされることが大っ嫌いで、まず「水洗い」の段階で必死に抵抗をする。シャンプーするのはまあいいのだが、そこで数分放置してまたつかまえて、きれいに拭き取ってやらなくてはいけない。連続して大っ嫌いなことをやられるわけで、その抵抗も半端ない。「シャ~!」ってやられるし、爪を立てて引っかかれる。久しぶりに腕に引っかき傷をつけられたりする。というか、せっかくのわたしとニェネントとの<信頼関係>が壊れてしまいそうで、こういうことはわたしもやりたくない。早く完治していただきたい。

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 さて、今は「カフカ全集」の『アメリカ』を読んでいて、これがほぼ読み終わるところなのだけれども、ちょっと、終盤になるにつれてこの訳文には難儀する。この巻は先の『審判』と合わせて三人の翻訳者の名前が列挙されていて、それぞれの方は当時の国立大学独文科の教授で、皆さんWikipediaに独自の項目を持っていらっしゃるのだが、誰か知らんけど酷いのがあるな~。「直訳とはまさにこのことよ」というような、Google翻訳みたいな訳文がつづく。ちょっと読むのに苦労している。

 あと、今は寝る前の短い時間に、池田香代子訳の『グリム童話集』をちょっとづつ読んでいる。これはどうしようか、読むたびにちょっとづつ短く感想というか覚書を書いていった方がいいのだろうか。思索中。
 

『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』~使用音楽について(1)

 今回は、映画で使用された音楽についていろいろと書きます。この映画の音楽については思いつくことが山ほどあり、いったいどれだけの長さになってしまうか予想もつきませんが。

 まずはしょっぱな、ディカプリオとブラッド・ピットのドライヴシーン、クレジットの出るバックに流れるのがRoy Headの「Treat Her Right」。この曲はわたしのオールタイム・フェイヴァリット・ナンバーなので、しょっぱなから感激。この曲は1969年の曲ではなく、1965年の秋に大ヒットしたナンバー。Roy Headはテキサス出身で、ずっとのちに日本で彼のCDがリリースされたときは「テキサス・リズム&ブルース」という紹介をされたけど、C&WとR&Bとを掛け合わせた先駆的な存在だったでしょうか。この曲はわたし的には「超名曲」で、当時から大好きだったわけだけれども、日本ではシングルもリリースされずに完全に無視されて終わってしまった。Roy Head自身も、このあとしばらくは中ヒットを続けたけれども、いつしか忘れ去られてしまった(活動は地道に長く続けていたようだが)。しばらく後に読んだ何かのコラムで、「Roy Headは一生懸命踊りまくって歌ったのだが、その人気は長続きしなかった」みたいに書かれていて、「<踊りまくった>ってどういうこと?」と、そのときはわからなかったのだけれども、YouTubeなどで昔の映像が見られるようになって彼のTVでのパフォーマンスを観ることもできるようになったけれども、「なるほど、こりゃすごいや」と思ってしまうわけで、これは「ダンス」というか「アクロバット」というか、「何もそこまでやらなくってもいいじゃないか」とは思ってしまう。トゥーマッチ、というヤツだろうが、ひょっとしたらJames Brownに対抗意識とかがあったのだろうか。
 まあこうやってこの映画の冒頭で使われたことでまた注目されるかどうかはわからないけれども、前にもいちど、アラン・パーカー監督の『ザ・コミットメンツ』の中でカヴァーされたことはあったのだ。きっと、タランティーノアラン・パーカーもこの曲が大好きだったのではないかと思うのだが、今回この映画を観て、「カッコいい曲だな」と思ってくれる人がいるといい。

 あ、曲の内容が、この映画とどう関りがあるのか? この曲は「あんたが女の子にモテようと思ったら、彼女のことを<正当に>もてなしなさい」という、ま、当時としてはリベラルなような(そうでもないか)いっしゅフェミニスト音楽ともいえるような内容でもあり、それはどこかでこの映画の<姿勢>でもあるのかもしれない、などとは思うのだった。

 むむむ、一曲書いただけで長くなってしまった。次に、この映画では<特権的>に(少なくとも)四曲もの曲が使われたミュージシャン(グループ)がいる。それはPaul Revere & Raidersで、わたしの認識では「Kicks」「Good Thing」「Hungry」「Mr.Sun Mr.Moon」が聴かれたと思う。いったいなぜこのグループがここまでフィーチャーされたかというと、つまり彼らのマネージャー(ソングライター)が、あのTerry Melcherだったからである。Terry Melcherとは、「シャロン・テート事件」の元凶のような人物というか、この人物がCharles Mansonとの契約を約束して、それをすっぽかしてしまったことからCharles Mansonの恨みを買い、Terry Melcherの元の住居にあとに転居してきたポランスキーシャロン・テート(英語表記とカナ表記がごっちゃになってすまんこってす)とがマンソン・ファミリーの標的にされてしまったわけ。
 この映画では、シャロン・テートがこのグループのアルバムをなぜかいくつも持っていて、それをとっかえひっかえ聴いているという設定になっていて、実際の事件と「虚構」であるところのこの映画とのバランスをとっていた。
 わたしはこのPaul Revere & Raidersも大好きだったわけで、この映画でチラッと写される彼らのアルバム「Spirits of 67」も持っていた。このグループは60年代半ばにアメリカのグループとしてはほとんど唯一、イギリスからの「ブリティッシュ・インベーション」に対抗できるグループとして人気を得た。まあ彼らも「これがアメリカン・サウンドだ!」ということを打ち出したわけではなく、ほとんどそんなイギリスの連中の模倣ではないかというところがあったのだけれども、Paul Revereがアメリカ独立戦争の英雄と同じ名であることからか、当時の軍服に身を包んで演奏するというのがアメリカ人の愛国心に訴えたのかもしれない。そんな彼らのパフォーマンスを見てみよう。

 このバンドがいちばん人気があったのは、「Kicks」「Good Thing」「Hungry」などの連続ヒットを飛ばしていた66年から67年ぐらいのことで、その後はメンバーチェンジを繰り返し、レコーディングはスタジオ・ミュージシャンにまかせたり、サウンド的にもそれまでのR&B色を捨て、イージーな子供向けポップスへと変化して(落ちぶれて)いく。
 彼らのいちばんのヒット曲は先に映像を載せた「Kicks」かな?と思うのだが、この曲は「ドラッグやめなよ!」というアンチ・ドラッグ・ソングで、そのあたりでこの映画の内容に微妙に絡んでいただろうか。
 面白いのはこのPaul Revere & Raiders、「ウッドストック・フェスティヴァル」にもオファーされていたらしいのだが、その1969年にはグループの路線はもう「ロックだぜ~」とはいえないものだったろうし、皆がドラッグでキメている中で「Kicks」とか演奏したら、観客らはどんな反応を示しただろうか?などと想像するのも楽しい。

 ‥‥って、ミュージシャン2組のこと書いただけですっごく長くなってしまった。まだTerry Melcherのことで書きたいこともあるし、他の音楽のことも書きたいが終わらない。また日を改めて書き継いでみようかと思う。
 

2019-09-14(Sat)

 明日も明後日も休日で仕事はない。来週もそうだが、やはり三連休はうれしい。今日は夕方から銀座でKさんの参加しているグループ展を観に行くが、他に予定もなくのんびりと過ごす。午前中はピーター・バラカンの「ウィークエンド サンシャイン」、そしてゴンチチの「世界の快適音楽セレクション」をつづけて聴き、午後からはしばらく昼寝をする。
 日も傾いたころに、ニェネントの夕食を出してあげて銀座へとお出かけする。今回のKさんの参加するグループ展のテーマは「村上春樹」で、わたしの苦手な分野ではある。ただ、先にネットで拝見していたKさんの作品が良かったので観に来た。
 やはりKさんの作品は良かったけれども、その他の人の作品は皆具象系のファンタジー絵画になってしまっていて、「やはり<村上春樹>から産み出されるのはこういう作品になるのか」とは思ってしまう。むしろ、ビルの7階のギャラリーからの外の眺めに惹かれてしまうところがある。

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 ギャラリーにいらっしたKさんと少し話をして、さっさと帰路に着く。この夕方は涼しくて「ちょっと一杯」という気分でもあり、自宅駅の「日高屋」に立ち寄って生ビール、イカ揚げ、ポテトフライなど。なぜか生ビールが「ぬるい」感じがして、ジョッキにさわってみてもキチンと冷えているのだが、「泡」が冷えていない。冷やしたジョッキにビールを注いで、そのまましばらく外に放置してあるのだろうか。とにかくは「ビールは泡も冷えていなくては旨くない」ことがわかった。まあ「居酒屋」ではないのだからしょうがないか。ほんとうはもう一杯飲んで長居しようかとも思っていたのだけれども、さっさと帰ることにした。
 帰り道、東の空に低く月の姿が見えた。昨夜は「中秋の名月」だったというが、今夜は「十六夜」になるのか。どうもまだデジカメの操作がわからないところもあり、こういう夜景はうまく撮影できない。

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『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』クエンティン・タランティーノ:脚本・監督

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 あの「シャロン・テート事件」に絡んだ映画だ、ということぐらいしか知らずに観に行った。あと、レオナルド・ディカプリオブラッド・ピットとの初共演作品らしい。時制はまさに1969年。このところわたしの中ではこうやって、「1969年のおさらい」がつづいている。それでこの映画でも山のように60年代後期のポップスが流れるわけで、これは大変だ。サントラを買ってしまおうかというぐらいだが、この映画で使われた音楽についていちいち書いていると、それだけでけっこうな分量になってしまう。それでまずは「音楽」のことは抜きにして書いて、また別に「『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』で使われていた音楽」とかで書いてみようかと思うのだった。まあ映画の内容と音楽とがけっこう絡んでいたりもするのだが。

 ディカプリオは50年代から西部劇映画、そしてテレビドラマシリーズで人気を博したスター。ブラッド・ピットは、そんなディカプリオの専属のスタントマン(兼運転手)というか、ふたりは堅い友情で結ばれている。しかし時代は1969年(映画はその2月から始まる)、西部劇もテレビドラマも斜陽である。映画の冒頭はディカプリオがバーでアル・パシーノに出会い、「イタリアでウェスタンを撮るというから出てみたらどうだ」と勧められる。しかしディカプリオ自身も落ち目というか、若干アル中気味だし、せっかく悪役で出演した映画でも本番でセリフをつっかえたりしてしまう。そんな自分を情けなく思い、ついつい涙目になってしまうディカプリオがかわいい。
 で、それでもディカプリオはなかなかの邸宅に住んでいるわけだけれども、その邸宅のとなりにロマン・ポランスキーシャロン・テートの夫妻が引っ越してくる。「オレもポランスキーの映画に出るかも!」と舞い上がるディカプリオ。彼はけっきょくマカロニ・ウェスタンに何本か主演して潤うわけだけれども。
 ブラッド・ピットはそれなりに悠々自適にやっているのだけれども、実はブルース・リーより強かったりする。
 ポランスキーは海外に出ちゃっていて、留守番のシャロン・テートはハリウッドの街をひとり散策し、自分の出演作(ディーン・マーティン主演の『サイレンサー/破壊部隊』)を観たりする。
 最後まで言っちゃうと、そんなディカプリオよりもブラピよりも、ブラピの飼っている犬のブランディの方がずっと強力だったし、「火炎放射器」の威力は強烈であった。

 以上は大まかなあらすじだけれども、そのマンソン・ファミリーのヒッピーたちこそが「最大の悪役」なわけだけれども、彼ら、彼女らが共同で住んでいるのが、ハリウッド郊外の元西部劇ロケに使われていたオープンセットで、大きなストーリーとしては、ディカプリオとブラッド・ピットというかつての西部劇映画のスターらは、リアルに西部劇的な展開で「悪役」をやっつけるという次第。

 この映画が面白いのは、まさに「西部劇映画、連続テレビドラマの衰退」、そして「マカロニ・ウェスタンの台頭」という現実、リアルな世界を背景にして、ディカプリオとブラッド・ピットという、「現実には存在しなかった」俳優とスタントマンとを狂言回しに「1969年」を横断、これもリアルなヒッピー文化の隆盛を描きながら、マンソンファミリーのあの事件を力技(ちからわざ)で「虚構」の世界にうっちゃってしまっている爽快さ。
 いろいろと、「そんなシーン、いらないだろ?」というのもあるのだけれども(ブラッド・ピットがわざわざ上半身裸になるとか)、けっきょく、接点のなかったディカプリオ~ブラピにとって、シャロン・テートこそが「映画なるもの」というラストなのではなかったのか?
 まあ終盤の展開の強烈さ、痛快さもあるし、音楽のこともあるし、もういちど観に行きたい映画。
 

2019-09-13(Fri)

 早朝、出勤のときに勤め先の近くでスズメたちに出会った。あの台風の強風から逃れて、無事に生還してくれた。台風のときはどこに避難していたのだろうか。元気な姿を見るのはうれしい。

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 今はクエンティン・タランティーノ監督の新作『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』を観たいと思っている。先週は亀有の映画館で12時から上映される回があり、「それだったら仕事の帰りにちょうどいいな」と思っていたのだが、今日になってその映画館のスケジュールを見てみると、11時からの上映に変わってしまっていた。それでは観られないので検索してみたら、六本木の映画館で13時から上映される。それは仕事を終えて昼食をとってからちょうどいいし、六本木ならば、映画を観たあとに前から観ようと思っていた塩田千春の展覧会も観ることができる。今日のスケジュールが決定した。

 仕事を終えて飯田橋のカフェで昼食。このカフェは今までずっと、BGMはBeatlesを延々とかけ続けていたものだったけれども、今日行ってみるともうBeatlesはやめちゃっていた。かかっていたのは60年代ポップスっぽい音源だったけれども、わたしには曲名もミュージシャンもわからない曲が続いた。

 メトロに乗って六本木到着。映画館のある六本木ヒルズに行くのも久しぶりで、ここから見える東京タワーはやはりカッコいいな、などと思う。わたしは「スカイツリー」はぜんぜん好きじゃないし、行きたいとも思わないけれども、東京タワーはまたのぼってみたいと思う。

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 映画館の前は何だか今夜イヴェントが行われるらしく、関係者が照明や音響の設置作業に追われていた。あとでわかったのだけれども、どうやらブラッド・ピットの新作映画にあわせた記者会見が行われるらしい。ブラッド・ピットは『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』にも出ているのだけれどもね。

 映画館の座席は「自分好み」のいい席を取れたと思っていたのだが、映画が始まってみるとやたらとスクリーンがデカくって、コレだったらもうちょっと後ろでもよかったかな、などとは思った。
 楽しい楽しい映画が終わってみるともう午後の4時で、これから『塩田千春展』を観るというのもしんどい。展覧会はまだしばらく続くので、今日は映画の余韻を引きずりながらサッサと帰ることにした。

 家のそばで、またニャールと出会った。写真を撮るとこっちを振り向いて、「あんたさ~、いっつもわたしの写真を撮ってるんだけれども、ひょっとしたらストーカー?」みたいな顔である。

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『没後50年 坂本繁二郎展』@中村橋・練馬区立美術館

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 坂本繁二郎の、「馬」の絵の記憶はある。若い女性の半身像も記憶しているが、それ以外のこの人の画業を知っているわけではない。しかし、こういう大掛かりな「回顧展」というものは、その画家の生涯の画風の変遷をみせてくれるわけでもあるし、そういう意味では坂本繁二郎という人はしっかりと、その変遷をみせてくれる画家だろう。先日観た速水御舟の回顧展よりも、(長命だったということもあって)大きな画風の変化を見せてくれる。

 この人は、若い頃は「神童」と呼ばれたらしい。15歳のときに描いた日本画の「滝」の絵など、たしかに強烈だ。それが、洋画家の絵画教師についてしまうことで「道を誤った」感がある。教師は凡庸で、展示されていたその教師の作品をみると、浅井忠の強い影響が感じられる。ここで坂本繁二郎も浅井忠の延長線での作品を描き始める。‥‥むむむ、ここで日本画の教師に師事すればどんな未来がひらけていたことだろうか?と思わざるを得ない。
 ここで、同郷の同学年の「青木繁」が、彼の前に登場する。先に上京して絵を学んで郷里に帰った青木繁の作品をみて、坂本は「自分も東京へ行かなくては」と思う。20歳ぐらいの頃には、青木と共にスケッチ旅行に出かけたりしているのだが、そもそも文学趣味も豊富でロマン派的気質を持つ青木と、共有できるものはなかったのではないだろうか。
 「写生」にこそ自分の絵画の道を定める坂本は、だんだんに浅井忠的な視点、描写を捨て、まずは「牛」を描いた「うすれ日」が夏目漱石の評価を受けたり、注目される。この「うすれ日」はもちろん展示されていたが、これは良かった。とってもいい。ここで坂本が描いているのは「光」であり「色彩」なのだけれども、それは「印象派」などの影響をダイレクトに出さずに消化した、彼独特の「光」と「色彩」だと思った。
 当時の多くの画家がそうだったように、「オレもフランスへ行く!」となる。これは坂本より4歳年下の藤田嗣二のフランス留学より遅く、すでに彼は40歳に近くなっている。坂本は当時の「エコール・ド・パリ」の趨勢などには無関心で、ただブルターニュの風景を描く(「人物」を描いた例外的な作品として「帽子を持てる女」という秀作はあるが)。
 三年後に故郷の久留米に戻った坂本は、以後終生久留米~八女で絵画を描き続けることになる。この頃には「馬」を描き続け、戦後には「静物画」ばかりを描く。晩年に視力が衰えてからは、「月」を描くことになるだろう。

 展覧会全体を見て思うのは、やはり坂本繁二郎という人は「写生」の人、ということだ。「牛」を描いた「うすれ日」から、フランス留学の時期を経て、坂本は「色彩」をみつけたのだと思う。それはいってみれば空の「ライトブルー」と「ピンク」との調和する世界であり、この色彩世界は彼の「馬」の連作によく見ることが出来る。

 坂本繁二郎には「学者肌」なところがあり、「優れた絵画論」をいくつも著しているということがWikipediaには書かれているが、この展覧会を観たわたしの感想では、坂本繁二郎とは「無思想の人」であると思う。彼には青木繁のような文学的バックボーンはなかったし(そのことを坂本繁二郎は自覚していたことと思う)、「絵」の中に「絵」を裏付ける「思想」は求めなかった人。だから彼がフランスに行ったとき、フランスでの同時代的な絵画を革新する運動にはまるで興味を持たなかった。
 彼の絵はある意味「世捨て人」の絵であり、晩年の静物画には、どこか「文人画」めいたところもある。今回の展覧会には、その後半に山のようにそんな「静物画」が展示されていたが、わたしにはその良さなどまるでわからなかった。アマチュアリズムの極致というか、たとえば武者小路実篤の描いた色紙のたぐいとの差異がわからない。正直言って、「下手」だと思う。そして、何の意味もない。つまらない作品群だ。
 彼がどういうことから「日本を代表する洋画家」と目されることになったのかわからないが、とりあえずは戦後に彼を支えたパトロンが存在したようで、そのパトロンの<日本画壇>へのはたらきかけが功を奏したのだろうか。「馬」を描いてくれという注文を受ければちゃっちゃっと描き、モーターを造る地元の工業会社から「ウチの会社が造ったモーターを描いてくれ」などという、ある意味「とんでもない」注文を受けても、きちんとそのモーターの絵を描いて納める(その作品も展示されていた)。

 近年までの日本において、「絵描きというのは世俗から超越した存在」という思い込みを形成したのが、(その仙人的な容貌もあって)この<坂本繁二郎>という画家でもあって、ところが実は「注文があれば描きますよ」という無節操なところも持ち合わせていた。ある意味、とっても<日本的>な存在だっただろうか。

 わたし的には、そんな「牛」の絵のいくつかと、阿蘇山を描いた作品、そして最晩年に視力が衰えてから描き始めたという「月」の連作(この連作は、彼がついに「写生」を捨てたという意味でも興味深いのだが)には惹かれた。
 

2019-09-12(Thu)

 かなり涼しくなった。わたしが出勤で家を出る時間、すでに東の空は少し明るくなっている。先日は「もう真っ暗だな」とは思ったのだけれども、あの日は空が雲に覆われていたせいだろう。それでも、もうじきに暗闇の中を出勤することになるだろう。

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 明日は金曜日でそのあと3連休になるし、天候も晴れて快適。仕事を終えたあとはどこかへ出かけたくなる。今月はけっこう貯金を殖やすこともできるかと思っていたのだけれども、ニェネントくんの通院だとかその他、けっきょく出費もかさみ、ほとんど預金も増えることもないだろう。そう思うとヤケクソというか、「どうせなら無駄遣いしてしまえ」という気分にもなってしまう。
 美術展で観たいのもいくつかあるし、映画で観ておきたい作品もある。ちょっと考えて、今日は練馬区立美術館という所へ「坂本繁二郎展」を観に行くことにした。坂本繁二郎という画家が好きなわけではないが、先日Mさんと飲んだときにこの展覧会の話を聞き、興味を持ってしまった。会期もこの月曜日までなので、「まだ観られるなら観ておこう」という気分で出かけた。

 練馬区立美術館というのは、西武池袋線の「中村橋」という駅のすぐそばにある。行ったことのない美術館だし、行ったことのない駅だ。調べると、わたしの勤務地の飯田橋からはメトロの「有楽町線」に乗れば、電車を選べば乗り換えなしで行けるみたいだ。それは便利だ。

 中村橋の駅を降りて、駅構内の案内をみて進むと、すぐに緑に囲まれた公園があり、そこに美術館があった。
 しかしこの公園にはいろいろな動物のモニュメントが置いてあって、子どもたちには楽しいスポットだろう。入口にある、木でつくられたようなクマの立像は大きくてステキだ。

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 美術館への階段のところには左右に「トンボ」の金属彫刻作品があったのだけれども、これはかなりカッコいい(右側のトンボは、頭のところがプロペラになっている)。そして公園内にはじっさいに、数匹のトンボが飛び交っていた。

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 美術館はそこまでにギャラリー面積も広くなく、この展覧会も坂本繁二郎の故郷の「久留米市美術館」からの巡回なのだけれども、会期を前期後期に分けての展示替え作品が多いようだ。
 展示を観終えてギャラリーを出ると、この美術館での次回展はエドワード・ゴーリーなのだと知った。わたしが去年八王子で観た展覧会が日本中を巡回し、また東京に戻ってくるのだ。この美術館周辺は感じもいいので、また観に来ようかと思う。

 中村橋駅に戻ると、このあたりは車も入って来ないようだし、駅周辺の感じは京王線の笹塚とか代田橋の駅のような雰囲気だ。「こういうところでゆっくりくつろげる居酒屋とかを見つけてみたいな」と、少し駅の周辺を歩いてみたが、そういうわたしが求める「隠れ処」みたいな居酒屋がすぐに見つかるわけもなく、帰路に着くのだった。

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 帰宅してネットやテレビなどみると、急に台風での千葉の被害状況を伝える報道が増えていた。どうやら組閣の終わった安倍首相が「台風災害の復旧は待ったなし」とかのたまったらしい。さんざん放置しておいて、報道にも組閣のニュースばかりを流させていたのが、そっちが一段落したから言い出したことだろう。さんざん「待った」をかけておいて、「待ったなし」とはよく言ったものだと思う。どこまでも底なしに「最低」の宰相ではあることだ。彼の支配下にある日本人が哀れ(わたしもだ)。