ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

2021-10-25(Mon)

 今日は月曜日なので、早朝のNHKテレビは大相撲本場所期間以外は「放送休止」というのがいつものことだというのに(「テストパターン」と、「ピー」という発信音だけが流れる。月曜日は悲しい日なのだ)、今朝起きてリヴィングへいってテレビをつけてみると、月曜以外の平日のように「ヨーロッパ トラムの旅」とかを放映していたので、軽くサプライズだった。
 わたしはこの目覚めてから出勤で家を出るまでの時間、いろいろと出勤の準備とかあっていそがしい。だからこの時間「見るでもなく見ないでもなく」放置しておける、こういう番組がいちばんうれしい。別のチャンネルでは4時からニュースをやっていたりもするのだけれども、この時間帯、そんなに熱心にニュースを見る余裕もないし、そういう気分でもない。
 さてはたして来週からも、月曜日でも早朝から放映を開始してくれるのだろうか。

 仕事の帰り、2週間ぶりに南のドラッグストアから「ふるさと公園」というルートを取った。もう10月も末なので、わたしとしては「ふるさと公園」にオオバンだとか、しばらく見なかった別の野鳥が来てたりするかもしれないと、期待していた。

 公園に入るとすぐ、池の岸辺にシラサギがいるのが目に入った。カメラを向けてちょっと近づくと、わたしの気配を感じたのか、シラサギは飛び立ってしまった。「飛んでいるシラサギ」が撮れるといいと思ってシャッターを切った。
 ‥‥たしかに、「飛んでいるシラサギ」の姿が撮れたのだけれども、これは「最悪」に近いシャッター・タイミングで、「真ん中の白いものは何ですか? 低空飛行するドローンですか?」みたいな写真になってしまった。残念。

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 わたしのデジカメには「連続シャッター」という機能もあるのだから、そっちを使えば良かっただろうけれども、とっさにそういう切り替えもできないのだった。

 コブハクチョウはこの日は1羽見かけた。鼻のコブの大きさからも、この鳥は今年の春に生まれたコブハクチョウの幼鳥だろう。両親2羽と、きょうだいの幼鳥2羽は手賀沼の方にでも行ってしまったのだろうか。1羽でさみしくないのかい?

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 別のところにまた別のシラサギと、カモのカップルとを見かけることができた。けっきょくこの日は「シラサギ」「コブハクチョウ」「カモ」という、二週間前に見た鳥たちと同じ種類の鳥たちと出会ったのだった。まだオオバンなどは公園には来ていなかったようだ。

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 公園を出るところの林の中で、巨大な(と言ってもいいだろう)キノコを発見した。これは一体なにものだろうか。傘の直径は20センチを超えていて、平べったく茎(というのか)を包んでいる。傘についている斑点のような模様をみていると、「これはぜったいに食用ではないな」と思わせられる。一体何というキノコなのだろうか?

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 帰り道、またウチの近くのイヌくんにお会いすることができた。この日はぬいぐるみのおもちゃにかぶりつかれていたのだろうか。とてもリラックスしているように見えた。

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 帰宅して昼食。この日はまだまだ山芋は残っているし、実は昨日北のスーパーで安いそば麺も買ってあるので、そのそばでまたまた「とろろそば」をつくった。それでわかったのは、昨日買ったそばが「圧倒的に不味い」ということだった。
 その前からあったそばは「安かったけれどもけっこう美味しいね」とは思っていたのだけれども、こんなに味に差異があるとは思ってもいなかった。そうすると、やはり前の「そば」がまた欲しくなるのだけれども、もう前に買ったスーパーでは売り切れていて、同じものがAmazonで売られているのだけれども、ほぼ倍の価格である。まあ倍の価格でもまだまだ安いといえるし、とにかく「美味しい」のだから買うことにしようか、とは考えるのだった。この「そば」でつくる「とろろそば」は、わたしの「ソウル・フード」の地位を占めるようになっている。
 

2021-10-24(Sun)

 COVID-19の東京都での新規感染者が、今日は19人になったという。わずか二ヶ月前には連日何千人もの新規感染者があったというのにここまで減少するとは、改めておどろいてしまう。今はイギリスやロシアなどの国々をはじめ、世界各国でまた感染者が増加してきているというし、海外でもこの日本の状況は「日本の成功例」として注目されているという。
 報道では「ワクチン接種」が順調に増加していること、皆がマスク着用などの防御策を守っていること、飲食店での自粛などが効果があったのではないか、ということを言っているけれども、「そうなのか~」と、何か実感が湧かない。マスクなんかもう1年半も着けつづけているわけだし、「それがココで急に効果が出てきたのかなあ?」って感じだ。ワクチンの接種率も確かまだ70パーセントぐらいのものだと承知しているし、たとえ2回の接種を終えていても「ブレイクスルー感染」があるからとは言われつづけてきたというのに。
 思ったのだが(ここからはジョークだけれども)、これは9月の初めにあの和田アキ子が久々に新曲をリリースしてしまい、つまりCOVID-19のウィルスはみんな、その和田アキ子の新曲を聴いたせいで耐え切れずに自ら破裂・破滅してしまった、ということではないのか(まあこれは映画『マーズ・アタック!』からの流用だけれども)。もっともっと、その和田アキ子の新曲を日本中で流せば、COVID-19ウィルスは完全に破裂して滅亡してしまうのではないのか。

 冗談はさておき、まあわたしはワクチンは2回接種終えているし、マスクなんか二重に装着して、通勤経路以外のスポットには可能な限り出かけないように細心の注意を払ってきたわけで、「どうあっても自分だけは感染しないぞ!」という気もちは強かったのだけれども、そういうわたし個人の気もちと同じような気もちが、国内に拡がっていたのだろうか、とは思う。じっさい、これだけ「新規感染者」が減少したというのに、街中ですれ違う人、電車に乗り合わせる人らはみ~んなマスクを着用しておられる。これはすごいことだという気がする。
 テレビに出演される医療関係者らは、「必ず<第6波>は来るから」と語り、気をゆるめて防護を怠ってはならないというが、もう東京とかこのあたりの飲食店などは、明日からにも今までの<営業規制>をゆるめるのだという。まあもともと、そんな飲食店の営業がどこまでCOVID-19のまん延に影響があったことか、わたしも疑問に思っていたところもあるし、わたしだって、いくらどこまでも「感染防御」するぜ!とは思いながらも、もうちょっと「外食」とか「外飲み」とかしてみたい気はある。
 しかしどちらにせよ、今までの「気配り」は当面は継続したいとは思っている(わたしの場合は「マスク着用」にハマってしまい、これから永遠にマスクを着けつづけてもいいと思っているのだが)。

 朝、ニェネントくんがわたしのベッドに上がったり降りたりを繰り返すので、けっこうそのたびに目覚めることもあった。どうもいくつか、複数の夢をみていたようで、そのうち多少憶えている夢もあるけれども、大半はいつものように、忘却の彼方に消え沈んで行ってしまった。

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 日曜日なので、いつものように午前中に北のスーパーに買い物に出かける。途中、電線にスズメがとまっているのを見つけてカメラを向けてみたのだけれども、わたしのデジカメはオートフォーカスなので、どうしてもスズメの手前の木の枝の方にピントが合ってしまうのだ。「ピント位置」を固定するやり方もあるのだけれども、「ああっ!もうスズメが飛んで行ってしまう!」というようなシャッターチャンスを逃したくないようなときには、そんな落ち着いたことはやってられないのだ(いい構図だったのに)。

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 スーパーではいつものようにバナナを買い、もやしが一袋10円だったのも喜んで買い、その他に多少安かったトマト、そして豆腐、そして半分に切られたダイコンなどを買った。

 帰宅して、昨夜の残りがまだまだある「おでん」に、買ってきたダイコンをレンジでチンしてプラスして昼食にする。まだまだダイコンはちょっと固かったな。

 食事のあとは4時過ぎまで長い昼寝をする。ニェネントが夕食を待ちくたびれていた。
 わたしはそのあとぼちぼちと本を読み、6時からはテレビで『世界遺産』。この日はアフリカの西、大西洋に浮かぶグラン・カナリア島に残る、ヨーロッパ(というか、スペイン)からの侵略で1500年前に滅亡した過去の民族の遺跡などの紹介。断崖絶壁に洞窟を掘り、そこで生活をしていた。雨の少ない島だったのだけれども、気流に乗って島を越えた雲が「滝雲」として山の斜面を降り、土地に水分を運ぶのだった。その滝雲の景観が美しかった。
 『世界遺産』のあとは、『世界ネコ歩き』。今日はニューオーリンズのネコたちだった。番組では言及はなかったが、あのハリケーンカトリーナのとき、ネコたちはどれだけ被害にあったのだろうかと、気になってしまった。

 夕食には、今日買った「もやし」と「トマト」と「豆腐」で何かできないかとレシピを探したが、いちばんに見つかった「トマトともやしと豆腐のスープ」はいろいろとつくるのがめんどくさそうだったので、もっとシンプルな、この三品を盛っただけの「トマトともやしと豆腐のサラダ」という、ヘルシーな献立になってしまった(もやしはちょっと湯通しして、ここだけがこの日の「調理」といえるところ)。
 

『サマー・オブ・ソウル(あるいは、革命がテレビ放映されなかった時)』アミール・“クエストラブ”・トンプソン:監督

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 これは、「ウッドストック」の行われた同じ1969年の夏に、ニューヨークの公園で開催された「Harlem Cultural Festival」というイヴェントの記録映像。一夜のイヴェントではなく、6月29日から8月24日までの日曜日の午後3時にハーレムのマウント・モリス・パークで6回にわたって開催されたといい、この無料コンサートには合わせて30万人の観客があったという。
 このイヴェントのプロデューサーはコンサート全体を撮影していたが、なぜだか今まで52年間、公に上映されなかったのだ。
 今回、この膨大な量の残された映像を編集して監督したのはアミール・“クエストラブ”・トンプソンという人物で、彼自身ヒップホップ系The Rootsというユニットのフロントマンのアフリカ系ミュージシャンなのだという。

 この映画を観れば、当初のこのイヴェントを記録しておこうという「強い意志」も感じ取られ、さまざまな角度から複数台のカメラで撮影された映像は、「やろうと思えばあの『ウッドストック』みたいなマルチ・スクリーンも可能だったろう」と思わせられるものがある。
 しかし、こうして今年になって一本の「映画」として完成された映像を観ると、単に「イヴェントの記録」というにとどまらず、当時のニュース映像などを挿入し、この時代のアメリカにおけるアフリカ系の人々を抑圧していた問題があらわにされる。そういう意味でも、今の「Black Lives Matter」へと継続する「問題提起」の作品とも言えると思う。

 とにかくわたしはこの1969年当時、勉強そっちのけで毎日ラジオにかじりつき、アメリカのヒットチャートを追っかける日々を送っていたもので、この映画に出てくる、当時人気絶頂期にあったアフリカ系のミュージシャンはみ~んな知っていたし、もっとルーツ・ミュージック的なゴスペルやブルース、そしてジャズなどはその後に「学習」したので、今になってこの映画を観て、知らないミュージシャンというのは2組ぐらいのものだっただろうか。
 「あのミュージシャンも良かった。このミュージシャンも!」というのを列挙して行きたい誘惑には屈してしまうのだけれども、まずはマヘリア・ジャクソンの歌唱、そこにデュエットで重なるメイヴィス・スティプルとの共演には観ていて涙があふれたし、この映画を観るまでは「My Baby Just Cares For Me」の印象などから、ちょっとブルージーなジャズ系弾き語り歌手だと思っていたニーナ・シモンが、ここであまりに強烈なメッセージを発されていたことにまったく驚いてしまった(彼女はこの翌年の1970年にはアメリカを離れてリベリアに移住し、しばらくは音楽から離れた生活をされていたらしい)。
 スライ&ザ・ファミリー・ストーンが、ラストに『ウッドストック』でのパフォーマンスとおんなじなパフォーマンスを見せてくれるけれども、『ウッドストック』の映像とは違って、バックのミュージシャン、とりわけトランペットのシンシア・ロビンソンを捉えた映像が多かったのにはとにかく喜んでしまった。

 映画の中ではそんなスライらの音楽を「サイケデリック・ソウル」と紹介していて、「なるほどな」と思ったけれども、この映画にはもう一組、そんな「サイケデリック・ソウル」と分類されそうなバンドも出演していた。それはチェンバーズ・ブラザーズというバンドなのだが、この映画のチラシにも映画の公式サイトにもこのバンドの名前が出ていなくて、悲しい思いをした。映画の中でも早い段階で登場し、バックにいろんなナレーションや映像が重なっていてあんまりじっくりと聴くことが出来なかったのが残念だった。誰も言わないが、この時代、アフリカ系のミュージシャンが結成した「ロック・バンド」として「先駆的な」貴重なバンドではあったと思っている(このバンドのドラマーは白人ではあったし、これ以降も、アフリカ系ミュージシャンによるロックバンドというのはまるで存在しない)。ちょびっとでも、その演奏シーンが見れたのがうれしかったが。

 あと、そういう「チラシにも公式サイトにも名前が載っていないじゃないか!」というのでは、わたしが熱愛するゴスペルの名曲「Oh Happy Day」を歌ったエドウィン・ホーキンス・シンガーズのことを書きたい。ここでついにわたしは、この曲でリード・ヴォーカルをとるドロシー・モリソンの姿を見ることが出来た。
 あのレコードの生む高揚感には「いまひとつ」というところもあったが、やはりわたしにとっては「20世紀の名曲」のひとつではあった。
 その他、アビー・リンカーンマックス・ローチだとか、グラディス・ナイト&ピップスだとか、デヴィッド・ラフィンだとか、ヒュー・マサケイラだとか、見どころ、聴きどころ満載!(ハービー・マンも出ていたけれども、あまりに映像が短かすぎた)

 映画で『ウッドストック』を観たときにも、それはけっこう打ちのめされたものだったけれども、「インパクト」ということでは、この『サマー・オブ・ソウル』の方が『ウッドストック』を上回るかもしれない。また映画館に観に行きたいし、ソフト化されたならば必ず買わなければならない。
 

2021-10-23(Sat)

 昨日はとつぜんの十二月の気候で、雨も降ってとにかく寒かった。寝るときには毛布を出して掛け布団の上にかけて寝たが、この毛布というのはニェネントくんの大のお気に入りで、すぐにベッドの毛布の上に駆け上がってきた。毛布の上で「ふみふみ」をして、のどをゴロゴロいわせている。この毛布の毛ざわりは、ニェネントに「お母さん」のことを思い出させるようだ。夜じゅうほとんど、わたしの脇で休んでいたみたいだ。

 朝起きて窓の外を見ると、昨日とは打って変わって青空が拡がっていた。そこまでに暖かいというのでもなかったが、窓の外の明るさは気もちがいい。

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 今日は夜に映画を観に行くつもりでいる。となりの駅の映画館で、『サマー・オブ・ソウル』を観る。この夜は「音感上映」ということで、音のボリュームを上げての上映。先月やはりこの映画館で観た『アメリカン・ユートピア』と同様の上映形態だ。

 それで、今夜の食事は、映画を観たあとに帰宅してから「おでん」にしたいと思った。ちょっと早く出て、映画を観る前にどこかの店で「おでん」のセットを買いたい。映画の上映は5時半からだけれども、買い物の時間を考えて4時半ぐらいに家を出る。

 家を出て、わたしの好きなイヌを飼っておられる家の前を通ると、そのイヌくんが玄関のそばに出てきていた。今日は天気もいいし、気分良さそうに見える。わたしの顔を憶えてくれただろうか?

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 家を出るときに炊飯器をセットして、帰宅したときに炊き立てのご飯が食べられるようにしておこうと思っていたのに、駅に着いて考えたら、お米は研いで炊飯器に仕込んでおいたのに、スイッチを入れ忘れて家を出たことに気づいた。なんてことだ。帰宅してからスイッチを入れ、炊き上がるまで1時間待たないといけないか。まあ明日は日曜日だから、ちょっとは夜更かしをしようか。

 となり駅に着き、「おでんセット」を売っていそうなスーパーを二、三軒見てまわったけれども、けっこう値が高くって、これなら映画を観終えた帰りに、自宅駅のいつもの小さなスーパーに寄って買った方がいいようだ。問題はそのスーパーは確か8時で閉店のはずで、間に合うか間に合わないか、けっこうギリギリの時間になりそうだということ。

 映画館に行き、座席を指定する。この日も前回と同じく、最後列の席をとる。どうやらこの日はけっこう、観客の数も多いみたいだ。

 映画が始まる。あの伝説の「ウッドストック・フェスティヴァル」と同時期の1969年の夏、ニューヨークのハーレムの公園で行われたフェスティヴァルのライヴ映像。何万もの人たちが公園に集まり、音楽を楽しんでいる。観客はほぼすべてアフリカ系とかの人たち。いい具合の音圧で、わたしは最後列でノリノリになって、からだを揺らしながら楽しんだ。あとでちゃんと書くけれども、単にフェスティヴァルのライヴというのではなく、けっこう政治的主張をも打ち出した、ビターな「記録映画」ではあった。
 いくつかの音楽はとっても気に入り、また観に来たいと思ったし、この映画がソフト化されたらきっと買おうと思う。

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 映画が終わって映画館を出たら7時40分。はたして、この時間で自宅駅のスーパーの閉店前に間に合うだろうか?
 あまり待たされずに電車も来たので、7時50分には自宅駅到着。スーパーに行ってみると、あらら、もう普段の入り口は閉ざされていた。ダメだったか。店の中で店員さんが作業されていたので、ドアをノックして「もう終わり?」とジェスチャーで聞くと、「出口の方から入ってくれ」というジェスチャー。よかった。
 さっさと「おでん」を買い、ついでに値引きコーナーに半額で置いてあった「ごぼう巻き」とを買って、高速で買い物終了。何とか間に合ってよかった。

 いつも歩く跨線橋のところに来ると、東の空に月が見えた。2~3日前は満月だったけれども、もうこの夜はちょびっと欠けてしまっている。カメラを向けてみたが、けっこうきれいに撮れた。

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 月のかかった空の下、線路沿いに建つマンションの窓にどこも明かりがともっていたけれども、その明かりの色が窓ごとに違っているのが面白く、撮ってみた。わたしは普段、こんな暗くなってからこの道を歩くこともないから、こういう光景を目にすることもなかったけれども、この光景を見るためだけのために、遅い時間にこの道をまた歩いてみたいと思ったりした。
 残念ながら手ブレが大きくなってしまったけれども、それぞれの窓の色が違うのはわかるだろう(これはつまり、「カーテンの色」なのだろう)。なんだか、(ちょっと古いけれども)フンデルトワッサーの絵が思い出された。

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 帰宅して、すぐに炊飯器のスイッチを入れる。しかしどっちにせよ、「おでん」だって煮込むのに30分ぐらいの時間はかかるのだった。どうせ時間がかかるのだから、ジャガイモとかもぶっこんだりする。
 とにかくはご飯が炊けるのを1時間待ち、久々の「おでん」。まあ冬っぽいお手軽な「鍋モノ」というのだろうか。「料理」とは呼べないか。食べているとニェネントが寄って来たけれども、ニェネントくんに「おでん」はあげられないね。

 食後ちょっとまどろんで、わたしには珍しく、10時も過ぎてから寝るのだった。
 

2021-10-22(Fri)

 夜中に、ニェネントがベッドに上がってきていた。わたしはその気配でぼんやりと目覚め、ベッドの上にニェネントが来ているのがわかったけれども、眠いので放置した。ニェネントをかまってあげなくって、悪いことをした。

 前から予報されていたけれども、この日は早朝から雨で、気温も上がらずに「寒~いよ!」ということだったが、まさに予報通りの寒い一日になった。報道では今日は12月中旬並みの気温だという。雨は降っているし、昨日のような「満月」も見えるわけもない。
 仕事に出るのに電車に乗っても、もう「冬」という装いの人が多い。セーターを着ている人も多かったし、マフラーを巻いている人もいた。先週はまだ半袖の人もいっぱい見かけたなんて、もうウソみたいだ(わたしも帰宅したあと、セーターを引っぱり出したくなったが)。

 仕事を終えて帰るときには、もうほとんど雨もやんでいたけれども、やっぱり寒い。自宅駅からの帰り道、「野良ネコ通り」では、このところネコたちの姿は見かけなくなった。今週は「ふるさと公園」にも行かなかったし、「生きものたち」の姿をほとんど見ていなくって寂しい。でも、帰り道にはあちこちからスズメのなき声が聞こえてきて、「スズメたちはどこかにいるのかな?」と思いながら上を見ながら歩いていると、電信柱の上の方にスズメがとまっていた。「うまく撮れるかな?」とカメラを向けてシャッターを押すと、ちょっとピントは甘いけれども、2羽のスズメがうまく撮れた。

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 もうちよっとズームして、スズメをメインにアップで撮りたかったところだけれども、これ以上ズームにすると、シャッターを押すときの手ブレでスズメが画面から外れてしまったりする。このあたりがわたしの限界か。

 ウチには大きな山芋があるので、今日は職場近くのちょっとリッチなスーパーで「海鮮天ぷらセット」を買って帰ってあり、大好物の「とろろそば」プラス「海鮮天ぷら」という昼食にしたのだが、この寒さでは「おでん」とかを食べたかったなあ、という気分ではあった。

 今Amazonに注文したものがあり、自分では「置き配」指定したつもりでいた。というのも、前回に注文したときに「置き配」指定のつもりだったのが指定が効いてなく、「配達出来ませんでした」なんてされてしまったことがあり、そのときに再配達を申し込んだときに「置き配」指定をし、その指定が以後のデフォルトにされるというのを読んだ記憶があったから安心していたのだが、勤め先のスマホにまたもや「お届けできなかったため、持ち帰りました」との通知が来た。
 どうも、前回再配達希望したときに「置き配」としたことはぜ~んぜん「デフォルト」にされたわけではなく、すっかりチャラにされてしまったようだ。というか、注文時に指定欄のいちばん下には「置き配」とも書かれていて、わたしとしては「ああ、<置き配指定>が生きているのだな」と思ったというか、「置き配」と表示があるんだから「置き配」してくれるんだろうと思ったらそうではなく、そこで「置き配」をクリックしてちゃ~んと指定しなければならなかったようだ。つまり、「デフォルト機能」など働いていないのだろう。なんだか原始的でイライラする。余計なことで配送の方にもムダな労力をかけていることだろう。

 今わたしはRose Simpsonの本(洋書)を読もうとしているのだけれども、あまりにわたしの知らない単語が多くてめげる。「アバウトな意味」を得ようとは読み進めるけれども、まあ幼稚園児が大人の会話(いや、「講演」だろう)を聴いて理解しようとするようなものだ。
 もちろん、手元に英和辞書を置いて、わからない単語に出会うたびに辞書を引けばいいのだけれども、通勤電車の中でそういうことをやってられるかどうか。
 それで今ごろになって今日思ったのだが、これだけコンピュータも発達しているわけだから、そういう英語の本を写真に撮るとか映像化してやって、その映像からテキストを抽出するなんていうことは、今のコンピュータなら「朝メシ前」なのではないだろうか、ということである。あとはその英文を「Google翻訳」(ものすごっく、アテにならない)とかでとりあえずは和訳させれば、概略だけでもつかみやすいのではないのか。
 調べてみたら、原文が(写真に撮るのが)「和文」だったりするとややっこしいというか、専用アプリを使わないといけないみたいだけれども、「英文」であれば、「Windows 10」のデフォルトの機能だけで出来るみたいなのだ。それでさっそくやってみたが、原書を写真に撮って「英文テキスト」を生成させるのは、いとも簡単に出来た。すごい。むむむ、まああとはコンピュータの「翻訳」の問題ではありますな。「課題」は多いですな! ‥‥でも、とりあえずは「未来」は大きく拓けた気がする。いったい、いちばん納得のいく「自動翻訳」は何だろうか?

 寒いので夕食は早めにして早く寝てしまおうと、夕食にはまたまた山芋を使って「とろろご飯」にして、6時にはもうベッドにもぐり込んで本を読んでいたのだが、そんなに読まないうちに眠ってしまったようだ。
 

2021-10-21(Thu)

 朝起きて、和室のベッドからリヴィングへ行こうとしたとき、和室の床に窓から四角く、青白い光が射し込んでいるのがみえた。
 今までの体験から、これは「月の光」なのではないかと窓の外を見てみると、まん丸な月が空に浮かんで輝いていた。

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 そう、今日は満月なのだった。相変わらず気温が低くって寒いけれども、こういう美しい月が見られたのは早起きしたおかげだろうか。
 出勤のため家を出て、駅に近くなると、月の近くに明るい雲も見えた。カメラの絞りを拡げ、シャッタースピードを遅くして撮ってみると、ちょっとボケたけれども、これが夜明け前のまっ暗闇だとは思えないような写真が撮れた。

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 この日は雨の心配はないだろうということで、傘も置いて出たのだけれども、勤め先駅に着いてみると、空にはちょっと不穏な雲の重なりが見られた。地平線近くの雲は、ちょびっと「朝焼け」で朱色に染まっているのが見える。

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 今日はけっきょく雨も降らず、昨日よりはずいぶんと暖かい昼になった。仕事の帰りにまた手前の駅で途中下車し、駅前のスーパーで買い物をして帰る。好物の「イカゲソ天ぷら」を買い、このところは「これ以上のごちそうはないね!」という「とろろそば」プラス「イカゲソ天ぷら」という昼食になった。やはり美味かった。

 ネットのニュースとかを閲覧していると、これまでの「安倍~菅政権」での政策の見直しみたいな記事も多いようで、これは昨日読んだ記事だけれども、前政権での「レジ袋有料化」というのは「どうなのよ!」というようなのを読んだ。
 これはいろいろと論議を呼んでいるらしいけれども、わたしはああいう、もらった人がパッパカ即座に「ゴミ」としてそんじょそこらに捨ててしまうようなモノを、無料で配布するのは「原始国家」だと思っているから、「金を払わなければレジ袋は出せない!」というやり方は「とてもいい」と思っている。
 今はそういう「レジ袋」が有料化されたから、たいていの道ばたに「レジ袋」が捨てられているという光景も見なくなったけれども、かつてはあちこちにそんな「レジ袋」が捨てられ、風が強い日にはそ~んな「レジ袋」が風をはらんで道路を飛び交い、「アレって交通事故も誘発するんじゃないの?」とか思ったこともある。いちおう言っておくけれども、わたしはそういう、路上に散乱する「レジ袋」を、買い物ついでに歩きながら拾い集めていた人間だから、そういうことで苦情・反論は言われたくはない(今は「使い捨てマスク」の遺棄が悲しいが、コレばっかりは、さすがに自分で拾い集められない)。
 そういうネットの報道とかを読んで興味深かったのは、そんな報道に寄せられた「コメント」で、そういう人たちはまずは「地球温暖化」というのは「フェイク」だという。そして、「ゴミを出すときに、どれだけ<レジ袋>が有用なものであることか」ということを語るのが通例のようだ。中には、「レジ袋」がゴミに含まれないと、ゴミ焼却にプラスする経費がかかるという発言もあった(笑ったが)。あとは、「レジ袋が有料化されて皆がトートバッグなどを持ち歩くと、万引き犯罪が増加する」という意見も複数あったが、議論に値するような問題ではない。
 わたしは単純に、もう「ゴミを出す袋」=「レジ袋」という「刷り込み」から脱していいんじゃないかと思う(自治体によっては「ゴミ袋」が指定されていて、「レジ袋」でゴミを出すことなど、そもそも出来ないのだ)。わたしたちが生活していて「ゴミ」を出す、そういうことにいろんな面で責任を感じる時代にわたしたちは生きていると思う。自分たちの排泄物は無料で処理してもらえるだね、という生活サイクルはもう終わってるんだと思う。

 いろいろ閲覧してわかったのは、そういう「レジ袋有料」に反対するような方々は、けっきょく「CO2が地球温暖化の原因になっている」などということは「フェイク」だと語る人が大半で、まあこういうのはアメリカでトランプが大統領になり、それでもって退任したあとにまずはアメリカでウジ虫が湧くようにはびこり、それが日本にも伝達して来た感がある。また、「地球温暖化問題」が深刻になる頃には、自分はもう死んじゃってるから関係ないね!という、高齢者の抱きがちな意見なのかもしれない。
 単に「CO2問題」に限らず、今のCOVID-19禍のもと、「反-マスク」「反-ワクチン」など、あっちゃこっちゃに、それこそ「COVID-19」みたいにまん延しているみたいだ。ここで、「反レジ袋有料」、「反マスク」、「反ワクチン」と主張する人たちを、ひとくくりに「いっしょ」にしてしまいたい誘惑に駆られてしまう。わたしはここに『あいちトリエンナーレ』の『表現の不自由展』に強烈なまでに反対した人たち、「政府の方針に異議を申し立てる人たち、およびマスコミ」を「反日」と切り捨てたがる人たち、異様なまでに反共意識の強い人たちも<同じグループ>ではないかとも思うし、今異様なまでに皇室の結婚問題に反対している人たち(「デモ」までやったらしいが)もまたいっしょなんじゃないかと思う。そうだ、「殺人犯はみ~んな<死刑>!」という人らや、「未成年の犯罪者も<住所・氏名>を公表しろ!」という人々とかも<仲間>だろう。
 どうも、そういうネットのニュースでのコメントに群れ集う人たちはみ~んな、そんなグループで「ひとくくり」にできるのではないかとも思う。前にも書いたかもしれないが、わたしはそういった人々とは、おそらくは60代以上の高齢者がメインになっているのではないかと思う。そのことが当たってるかどうかはとにかくとして、ネットのニュースのコメント欄は「剣呑」ではあろう。
 

2021-10-20(Wed)

 わたしのスマホの、「アプリデータ使用量」というヤツが先月からおかしい。先月末に「そろそろ設定リミットに近づいてます」なんてメッセージが出て、そりゃあ過去において考えれば、去年入院していたときには病室でずっとスマホ使いっぱなしで、設定してあった「アプリデータ使用量」を大幅にオーバーして、病室は「フリーWi-Fi」でもないからしょーがないよねと、そのときはあきらめて使いたいだけ使って追加料金払ったけれども、今、このときになって唐突に、あなたの「アプリデータ使用量」がすごいです、などと言われても納得がいかない。特にスマホの使い方で変化のあったことなどないのだから。
 今月も、すでに相当量の「データ使用量」になっていて、このままでは設定してある上限を軽く超えてしまいそうだ。ヤバいので、パソコンでいろいろ調べてみたのだけれども、イマイチわからない。パソコンに書かれている説明と、わたしの手元にあるスマホの画面とが一致しないし(どうもわたしはスマホのことがわからない)。
 先週末からは、よけいなときにはスマホの電源を落とすとか「機内モード」にするとかいう対策をとってみたが、そういうことは「根源的な対策」ではありえない。それではスマホを持っている意味がないし、やってられない「対策」ではある。

 それで今日は考え直して「これは何かのアプリが陰で終了しないで動作してるせいではないのか?」ということを推測し、使ってないようなアプリをアンインストールし、さらに「設定」を全体に見直してみた。
 その結果、な~んだ、「アプリデータ使用量」は、この目で見てもわかるぐらいに低減化したではないか。むむむ、けっきょく、「何が原因だったのか」わからないままではあるが(おそらくは、何かのときに何かの設定をいじってしまったのだろう)、とにかくは「危機的状態」は、回避出来たのだった。

 朝、ニェネントくんがベッドの上に来てくれたのはわかった。何かストーリーのある夢を見ていたと思うのだが、目覚めてすぐにみ~んな「忘却の彼方」に消えてしまった。
 今日も朝は寒い。予報では昨日などよりは日中(にっちゅう)の気温は上がるというが、やはり家を出るときは寒いので、昨日とかと同じようにパーカージャケットを着て出かけた。

 駅に近づくと、ちょうど駅の方角の空がちょっと明るくなっていて、「あれは雲のうしろに月があるんだろうか」という感じだった。露出を開いて写真を撮ってみたが、ちょっとレンズにゴミがたかっていたようだし、シャッタースピードが遅すぎてカメラが動いてしまった。それでも、空に雲があって、その雲が赤く染まっているのがわかるだろうとは思う。まるで夕焼けのようにみえるが、これは夜明け前の真っ暗闇で撮った写真である。

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 今日は水曜日なので、仕事のあとは歯医者へ行く。治療は前回のつづき。来週は水曜日が予約が埋まっているらしく、金曜日の仕事のあとになる。わたしはずっと水曜日に予約しているのだから、優先的にやってくれてもいいのでは、とはちょこっと思ったが。

 帰りに自宅駅前のスーパーに寄り、またまた山芋(今までのよりずっとデカい)を買ってしまう。このところ、もうほとんど「とろろ中毒」みたいな感じで、「世の中でいちばん、安くて美味いのは<とろろそば>なのだ!」となっている。ここでのポイントは、「安い」ということでもある。そりゃあ、1食千円とかかければいろいろと美味しいものはあるさ。でも、1食百円ぐらいで(天ぷらとかを一品添えれば百円ではすまないが)ここまでに美味で満足するモノは他にないだろう。
 当分はこの「中毒症状」がつづきそうだけれども、「そば麺」の買い置きストックが残り少なくなってきた。今の「そば麺」は「とろろそば」にマッチして、安くて美味しいのだけれども、麺を変えてみたら「あの美味しさはどこへ?」となってしまうとイヤだなあ、などという庶民的感慨。
 夕食は久々に、アルファ米を使ってのオムライスなどをやってみたが。