ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

2019-07-15(Mon)

 今日は「海の日」とかで祭日の休日。外は昨日からずっと雨模様で「梅雨の日」である。何かつまらない夢をみて目覚めると風邪の症状もずいぶんと良くなったみたいで、「これでようやく快方か」と思った。熱を測ると6度4分の平熱になっていた。しかしけっきょく、この三連休はすっかり風邪で台無しにされてしまった。「部屋を片付けてアレをやろう、コレをやろう」という計画もあったのに、そんな計画はつぶれてしまった。今日だってまだまだ鼻水は出て本調子ではないし、ここでムチャをすると風邪がぶり返さないとも限らない。やはり今日もおとなしく寝ていよう。

 起きてリヴィングにいるときはコンポで音楽を聴いているのだけれども、ふと、今までずっと視聴できないでいたエンハンスドCDの映像を何とか観られないだろうか、という気になり、いろいろと調べてみた。
 そのエンハンスドCDとはBert Janschの「L.A.Turnaround」で、ウチにはエンハンスドCDはこれ一枚しかない。前のMacのときには「Power Macじゃないと映像は見られません」というのであきらめていたけれども、Windowsだとどうだろうか? ただプレーヤーにCDを突っ込んだだけではどうにもならないことは前に試してわかっているけれども、そこはWindowsのことだから打開策はあるはずだ。CDをセットしてフォルダーを開き、そこから再生させてみたら冒頭の10秒ぐらいは観ることができたけれども、すぐにクラッシュしてしまった。
 なおも調べてみると、「左クリックで<再生>を選択すればいい」とある。そいつを試してみて、ついに、ついにその映像を観ることができた。これはイギリス南部のサセックスにある屋敷(オーナーは金持ちヒッピー風の若者?)でのレコーディング風景。わたしはこのアルバムはてっきりタイトル通りにロサンゼルスで録音されたのかと思っていたが(パリで録音された2曲があることは知っていたが)、たしかにロスで録音されたものもあるようだが、こうやってサセックスの屋敷で録音されてもいたのだった。Bertは何だか血色も良くって健康そうだ。あとはこの映像にはプロデューサー/ギターのMike Nesmithと、ペダル・スティールギターのRed Rhodesの姿とが見られる。このアルバムでとってもいい味を出しているRed Rhodesはけっこう「普通のおじさん」ぽくって、わたしは最初エンジニアの人だと思ってしまった。まあとにかく、ようやく観ることができて満足なのでした(今リリースされているCDは、エンハンスドではないみたい)。

L.A.TURNAROUND

L.A.TURNAROUND

 さて夕食はまたもや「親子丼」に再トライ。今日は「おつゆ」の量を極端に減らして、「これなら文句あるまい」とやったのだが、出来上がりはイマイチだった。やはり玉子の色が死んでいる。どうしてこうなってしまうのか。しゃくだから明日はちゃ~んとレシピをみながら、三度目のトライをやってみてやろうかと思うのだった。
 

2019-07-14(Sun)

 いよいよ、本格的な風邪の症状に襲われることになった。鼻水が出て汗をかき、汗をかいて暑い気がして一枚脱ぐとこんどは寒い。熱を測るとついに7度5分という表示が出た。これだけの発熱はずいぶんと久しぶりのことに思う。

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 できるだけベッドに横になっていることにして、ぴょっと本棚を見て近場にあったのが「グリム童話集」(子供向けのモノではなく、講談社文芸文庫から出ていた池田香代子による原典からの完訳本のその一)だったので、「風邪のときはこういう本がいいや」と、この本を読みながら横になった。
 この本はむか~し例の量販古本販売店で百円で買っていたもので(ほんとうの価格は1700円で、美本だったし、量販古本販売店ならではの破格値だっただろうか)、今まで中を開いたこともなかった。いきなり「蛙の王さま あるいは鉄のハインリヒ」である。「鉄のハインリヒ」というタイトルは聞いたことがあったけれども、その内容はまるで知らない。読んでみるとこれがハインリヒは「鉄で武装した」とか「鋼のように強い」というのではなくて王の忠臣で、蛙になってしまった王への悲しみから心臓が張り裂けてしまうのを防ぐために、胸にぐるりと三本の鉄のタガをはめているのである。面白い。なんというか落語みたいな話もあるし、楽しい。ちょこっと掲載されている挿画もいいし、残り二巻も買って全巻そろえてしまおうかと思うのだった。

 夕食は、昼間見ていたテレビで「親子丼」のレシピをやっていたので、「親子丼なんかかんたんじゃないか」とトライしてみた。‥‥これがみごとに失敗したというか、おつゆが多すぎてつまり「つゆだくの親子丼」になってしまった。見た目も玉子の色が沈んでしまっておいしそうではない。不味くはないのだが、残念なことだった。
 

2019-07-13(Sat)

 土曜日。新しいコンポの留守録をセッティングして、すっごく久しぶりにMDに「ウイークエンド サンシャイン」と「世界の快適音楽セレクション」とを録音した。まだUSBでの録音はいちどもやっていないけれども、いずれはそちらの方が効率的なのでやってみようと思う。ただ、MDでならもう一台のラジカセで和室の方で寝ながら聴けるので、今日は風邪で調子が悪いこともあって寝てばかりだったので、寝ながら「ウイークエンド サンシャイン」と「世界の快適音楽」、合わせて220分を2回聴いた(途中のたいていは眠っていたのだが)。
 新しいコンポを買ってまたあれこれと音楽を聴くようになり、自分にはうれしい生活の変化だと感じる。

 今朝はまだまだ雨も降っていなくって、あしたあさっては天気も崩れると聞いていたので洗濯をした。洗濯物を干すのに窓を開けていて、ニェネントが外に出ないように気をつけていたつもりだったけれども、急に飛び出してきて外に出て行ってしまった。外に出て、あたりの草を食んでいる。ネコがそうやって草を食むのは健康にいいのだろうし、外で遊ぶニェネントは楽しそうにも見える。「そんなに外に出たいのだったら(すぐに部屋に戻ることを条件に)外に出て遊んでもいいよ」とも思うのだけれども、その「すぐに部屋に戻ること」という条件をどれだけ守ってくれるのか不明なので、やはりそういうことは<禁止>である。
 この日は比較的かんたんに部屋に戻ってくれたのだけれども、いつもこの日ぐらいのエスケープなのだったら、容認してもあげたくなる。

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 風邪の状態はだんだんに悪化して、寒いのだか暑いのだかわからないような状態が続く。体温を計ったら7度2分ぐらいあった。微熱というところだろうか。夕方にコンビニに日本酒を買いに行き、帰って「玉子酒」をつくって飲み、あとはただひたすら眠った。せっかくの3連休、ただ「風邪の療養」で終わりそうだ。
 

『雪の練習生』多和田葉子:著

雪の練習生 (新潮文庫)

雪の練習生 (新潮文庫)

 多和田葉子を読むのは3冊目(新書の『言葉と歩く日記』をカウントすれば4冊目)。やはりここでも「言葉」の問題というか「バイリンガル」の問題が一面のテーマになっている。主人公はサーカス、そして動物園にいるシロクマ3代、それぞれの物語。その背景に東ヨーロッパの政治情勢があるのだけれども、なぜか東側崩壊前の時代は人とシロクマとの意思疎通があったのに、さいごのクヌートの話「北極を想う日」ではクヌートは人の言葉を解するけれども、会話はできない(ただ、某スーパースターを思わせる「ミヒャエル」とだけは会話ができる)。
 そういう意味で、「自伝」、「伝記」にこだわる最初の二つ、「祖母の退化論」、「死の接吻」が面白く、正直さいごの「北極を想う日」はどう読んだらいいのかわからないところもあった。けっきょくこの3代のシロクマたちは、自分の本来の生まれ故郷の「北極」を知ることはなかったのだ。

 「祖母の退化論」から引き継いで、サーカスの芸人であるウルズラがパートナーのトスカの伝記を書こうとし、同時に自分の「自伝」を書くという構成の「死の接吻」こそがあまりに刺激的で、ちょっとしびれた。
 

2019-07-12(Fri)

 朝から仕事をしていて強い疲労感に包まれていて、今の仕事でこんなにクタクタに感じるのも初めてのことに思ったのだが、これがどうもあとで考えると「風邪のひきはじめ」だったのだろうか。
 仕事を終えて帰宅して、しばらくして近所の内科クリニックに通院したのだが、そのときの服装の選択もまちがえたのだろう。一時間以上待たされ、待合室で寒いような暑いような、体温調整ができない感じになった。待ち時間が長かったので、持って行った多和田葉子の『雪の練習生』は全部読み終えた。

 帰宅して夕食。実は今、わが家には職場からもらった「非常食」の「チキンライス」が、大量にストックされている。ただ封を切って、お湯を入れて(最悪水でもいい)しばらく放置すると食べられるのだが、これがおいしくない。
 前にもこの「非常食」シリーズで「ドライカレー」、「赤飯」ともらったのだけれども、「ドライカレー」はけっこうおいしかった。「赤飯」も、ふつうに白いご飯の代わりになるぐらいの味だったが、この「チキンライス」はおいしくない。つくるときに粉末ソースを入れてつくるのだが、この粉末ソースが異様にしょっぱくて、塩分のダメな私にはつらいので、ソースは入れないでつくり、あとでケチャップとかで味付けする。それでもおいしくはない。
 今日はちょっと考えて、ちゃんとした「チキンライス」にしてやろうと、鶏肉とタマネギを炒めてケチャップとかで味付けし、そこにその「チキンライス」をぶちこんで炒めて仕上げてみた。
 ‥‥結果、そこまでに不味くはない。まあ自分で炊いた白米でつくった方がおいしいのは確かだけれども、「これがチキンライスだ」と、自分を騙すことはできるだろうか。とにかくは米代、そして米を炊く手間は省けるのだ。まだ勤め先には50食以上のストックがあり、(まずいので)誰も持って行かない。わたしが皆もらって帰って、しばらくこの「チキンライス」だけで生活して、食費を節約してみようか。次は玉子を使って「オムライス」とかもやってみたい。

 で、寝るときになってベッドに横になり、咳が出るようになった。これは「風邪」の前兆である。明日からせっかくの三連休だというのに、悪化しなけれないいと思う。
 

2019-07-11(Thu)

 先週、具合が悪そうな野良ネコと、それを見守っているように見える野良とを見て、「ネコたちの同胞愛」みたいなものを感じ、そのネコに「安らかな眠りを!」とか書いたのだけれども。
 ところが、昨日その場所をまた通ったらこの日は4匹の野良がゴロゴロしていて、あれ? 先週具合が悪そうだったヤツも元気じゃないですか???
 近づいてみたらその野良たちがわたしに寄ってきて、スリスリしてくるのだった。つまり、この野良たちはきっと近隣の人らにかわいがられていて、人間への警戒心が「ゼロ」なのだろう。
 わたしは、野良ネコというのは近づけば警戒して逃げて行くものだと思っていたわけで(今までみんなそうだった)、それで逃げないでいつまでもゴロゴロしているヤツを「具合悪いんじゃないの?」と思ったのだけれども、そうじゃない、人のことなんかまるっきし気にしていない、警戒しないでゴロゴロしていたのでした(黒いヤツは多少警戒心を持ち合わせていたようだけれども)。
 すっかり、「いやあネコの同胞愛はすばらしいね!」「可哀そうな野良、追悼」とか思っていたというのに。しかしこの4匹、それぞれまるで違う方角を向いてまどろんでいて、「じっさいに仲がいいのだろうか?」と思ってしまうのだった。

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 近所のLAWSON100だけれども、今日店の人に聞いてみたら、やはり今月いっぱいで店をたたむということだった。たしかに駅に近いわけでもないし、大通りとか商店街に並んでいるわけでもない。やって行くのは難しかったのだろう。しかし、一人用の惣菜ならば近隣のスーパーよりも安く買えたし、コンビニだけれども賞味期限が近づいたら値引きしてあったり、いろいろと重宝した店だった。この店がなくなってしまうと不便なので、ネットで検索して近くに同じチェーン店がないものか探してみたりした。ときどき、仕事の帰りに途中下車して買い物をしたスーパーのある駅の、反対側の駅のそばにあるようだった。これからは仕事の帰りにこの店に買い物に寄ろうかと思うのだった。
 

『ニューヨーク、ジャクソンハイツへようこそ』(2015) フレデリック・ワイズマン:製作・録音・編集・監督

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 ジャクソンハイツとはニューヨークのマンハッタンの東、ブルックリンの北の「クイーンズ区」の北西部の区域。クイーンズ地域ならば、わたしも多少の知識がある。アフリカ系、そしてヒスパニック系の住民がひしめき合い、いわゆるWASPの文化とは異なる文化の、ニューヨークの、いやアメリカの拠点のようなところだ。
 しかし、このドキュメンタリーで紹介される「ジャクソンハイツ」地域にはWASP系はもちろんだが、アフリカ系の住民もいないようだ(少なくともこの映画には登場しない)。すべての住民がヒスパニック系で、ちょうどこのドキュメント撮影時に開催されていたサッカーのワールドカップでは、皆がコロンビアを応援しているみたいだ。

 ワイズマン監督のドキュメンタリーには独特のタッチがある。ナレーション、説明字幕は一切ないし、カメラを向けてのインタビューもない。もちろん後付けの音楽もない。観ていて、「これはこういう状況なのだな」と、観客は最大限に自分の想像力を駆使して、その映像の中に入っていくことになる。そして、この作品では特に「カット割り」が多い。普通ドキュメンタリー映画というものは対象を見据えた「長回し」が多いのだが、この作品は観ていると劇映画並みにカット割りが多く、そこに「映画的な」(といってしまっていいのだろうか)体験を得ることができる。しかもこの撮影が、いつものワイズマン組の二人の、たった二人の撮影した映像で成り立っているというから驚く。

 このドキュメンタリーの訴えるのは、つまりは「多様性の肯定」であり、「民主主義の国、アメリカ」で、その民主主義で「弱者」をどう守れるか?という問題提起。このジャクソンハイツで生きる人たち、この区域にやってくる人たちの映像を通して、それがひとつの「人間賛歌」であることを了解し、登場する人たちの生き生きとした「生」がいつまでも継続することを願わずにはいられなくなる。
 この映画でクロースアップされるのは、大きく分ければ3つのポイントが見て取れる。ひとつはLGBTらのパレード「クイーンズ・プライド」の様子と、その周辺に集まる人々。そして、ジャクソンハイツで小規模な商店を営む人々にとって深刻な問題、BID(Business Improvement Discricts)の件での集会、そしてこの地域で活動するNPO、「メイク・ザ・ロード・ニューヨーク」の活動の紹介であるだろう。
 ここでわたしの感じたのは、アメリカの人々の「民主主義」への考え方、その正当性だろうか。ちょうど今日本でも参議院選挙に突入しているが、このドキュメントに登場する人は、選挙で議員を選出するということは自分たちの考えを伝える「代理人」を選ぶことだと語る。だから自分の選んだ「代理人」である議員の活動は常にフォローしている。わたしたち日本人に欠けているのは、この「選挙とは自分の<代理人>を選ぶ行為なのだ」という意識なのではないかと思った。
 この作品のつくられたのは2015年のことで、ドナルド・トランプ登場の前のことなのだが、すでにこの時期に「トランプ登場」を予見させる動きが出てきていたのだな、などと納得する。はたして今、このジャクソンハイツは、この作品撮影以降どのような変化をみせているのだろうか。
 
 この作品でわたしの好きなシーンは、どこかのカフェに集まった4人のおばあさんらが(この作品には珍しく、WASPの人たちみたいだった)、なぜか4人でニットの編み物をやりながら、町のはずれの古い墓地の話や、むかしのハリウッドスターの同性愛の話とかをつづけているシーンで、ドキュメンタリーというには仕込みっぽいのだけれども、この4人のおばあさんたちが、どうしても「マクベス」の4人の魔女に思えてしまって仕方がないのだった。
 ワイズマンの作品の中でも、「楽しい」というのではずば抜けた作品だったと思う。