ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

2021年2月のおさらい

Book:
●『世界動物発見史』ヘルベルト・ヴェント:著 小原秀雄・羽田節子・大羽更明:訳

ホームシアター
●『ショック集団』(1963) サミュエル・フラー:脚本・監督
●『アポロンの地獄』(1967) ピエロ・パオロ・パゾリーニ:監督
●『わらの犬』(1971) サム・ペキンパー:監督
●『長く熱い週末』(1980) ジョン・マッケンジー:監督
●『コンスタンティン』(2005) フランシス・ローレンス:監督
●『ホーリー・モーターズ』(2012) レオス・カラックス:脚本・監督
●『白鯨との闘い』(2015) ロン・ハワード:監督
●『ムーンライト』(2016) バリー・ジェンキンス:脚本・監督
●『団地妻 白昼の不倫』(1997) 小林政広:脚本 サトウトシキ:監督
 

2021-02-28(Sun)

 日曜日。夜中に目覚めるとカーテンのすき間、窓の外から白い光が射し込んでいて、ふとんの上にトレースが明るく映っていた。月の光。
 満月は27日だったけれども、夜中だからきっとこれも満月だろう。写真を撮ったけれども、何が何だかよくわからない写真になった。この2月の満月は「Snow Moon」という。

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 わたしはいつもなら、仕事が休みでも暗いうちに目覚めてしまうのだけれども、昨夜は2本映画を観て寝るのが遅くなったせいか、目覚めたときは外はもうすっかり明るくなっていた。それでも6時半。
 休みの日の朝食は、食パンにハムとチーズをのせてトーストしたもの。このメニューはニェネントも大好きなメニューで、わたしが食べているといつもテーブルの上に乗っかってきて、「わたしにもちょうだいな」とおねだりをする。ハムもチーズもネコが食べるには少し塩分が多いのだけれども、毎回ちょびっとだけちぎって分けてあげる。ニェネントはパンまできれいに食べてしまう。
 食事のあとは昨日の日記を書いたり、テレビを見たりして時間が過ぎる。いつものようにスーパーがオープンする時間に合わせて買い物に出て、いつものように来週分の朝食のバナナ、仕事中のおやつの肉まん、そしてニェネントのネコ缶などを買う。

 帰宅してベッドで本を読んでいたら毎度のことながらすっかり眠ってしまい、しかもこの日は寝ざめてみると3時半になっていた。4時間も寝てしまった。
 この日はまた、配信が今日で終わってしまう「GYAO!」の映画『長く熱い週末』を観るつもりだったし、今日の夕食は東のスーパーに行って「何かおいしいもの」を買うつもりだったのに、すべて押せ押せになってしまった。
 それでも何とか予定通り遂行できそうなので、まずは風呂を沸かして風呂に入り、買い物に出ていろいろ見てまわってけっきょく「オードブルプレート」を買い(これならレンジでチンしなくていい)、帰宅してそのオードブルで夕食にした(ニェネントくんにはあげないよ)。

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 オードブルの量も多かったので半分ほどしか食べず、また明日も残りのオードブルでの食事になる。
 そのあと映画を観て、観終えたのが9時ごろになり、待ちかねていたニェネントくんといっしょに寝るのだった。

 さて、わたしは今、変なことが気になっている。それは「今さら」な話なのだが、今になってビートルズの、というかジョージ・ハリソンの名曲「Something」の歌詞のことを考えているのだ(ちょうど、2月25日がジョージの誕生日だったのでこの曲を思い出し、それ以来考えているのだが)。
 この曲は"I"(わたし)が、どんなにどれだけ"She"(彼女)に夢中になっているかを歌っている曲なわけだけれども、この歌にはもうひとり、"You"(あなた)という存在が登場する。その「あなた」は「わたし」に、わたしの愛は成長しているのか?と聞くのである。

 いちおう、この曲の歌詞を引用しておこう。

Something in the way she moves
Attracts me like no other lover
Something in the way she woos me
I don't want to leave her now
You know I believe and how


Somewhere in her smile she knows
That I don't need no other lover
Something in her style that shows me
I don't want to leave her now
You know I believe and how


You're asking me will my love grow
I don't know, I don't know
You stick around and it may show
I don't know, I don't know


Something in the way she knows
And all I have to do is think of her
Something in the things she shows me
I don't want to leave her now
You know I believe and how

 わたしがわからなくなるのは、その"You"(あなた)とはどんな存在なのか、"I"(わたし)との関係はどのようなものなのかということなのだ。
 だから歌い手の"I"(わたし)は、"You"(あなた)に対して自分が"She"(彼女)のことが好きになっていて、もう彼女と離れられないと語るわけだ。"You"(あなた)が、"I"(わたし)の親しい友人だとして、それが男の友人だとしたら「おまえの彼女への愛はこれから成長するのか?」などと聞くだろうかと、わたしは疑問に思う。この"You"(あなた)は女性だと考えた方がスッキリする。
 そう考えると、その女性だと仮定した"You"(あなた)とは、"I"(わたし)と非常に親しい存在ではないだろうか? というか、わたしはここで"You"(あなた)はいま現在"I"(わたし)と親しく交際している存在、もっと踏み込んで考えれば、いま現在の"I"(わたし)の交際相手、つまり恋人ではないのだろうか。
 そうするとつまり、この曲は今の恋人に「実はオレ、彼女のことが好きになっちゃったんだよね」と告白する、つまり今の恋人に別離宣言しようとしてるのではないかと思ってしまうのだ。だから彼女は「あなたの彼女への愛はこれから成長していくというの?」と問いただす。そうすると"I"(わたし)は、「わからない、わからないんだよ」と答える。「はっきりしろよ!」と思うのだが、次の行で「You stick around and it may show」というわけで、これは「わたしといっしょにいれば(そのうち)はっきりする」ということだろうか? 特にこの部分は、"You"(あなた)が交際している相手だということで成り立っていることばで、つまり男の友だちにこういうことを言うヤツっていうのは、いないんじゃないだろうか。
 どうもトータルに考えて、この曲は男が今付き合ってる彼女に「他に好きな人ができたから別れてくれ」と言っているようなものではないかと思うのだ。
 つまり、まずは「"You"(あなた)とは誰なのか?」という問題。
 この件でネットでいろいろ調べてみたのだけれども、こんなことを問題にしている人はいないようだ(というか、日本では「歌詞の内容を考える」ということは一般にやられることではないようだ)。
 まあわたしとしては「"You"(あなた)とはこのときの"I"(わたし)の恋人ではないのか」という解釈を取りたいところではある。もう一回、この曲を聴いてみようか。

『わらの犬』(1971) サム・ペキンパー:監督

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  • 発売日: 2017/11/02
  • メディア: DVD

 これまでのサム・ペキンパー作品はすべて西部劇だったけれども、この作品が最初に撮った「現代劇」で、しかも舞台はイギリス。ペキンパー監督はこれ以降も何本か西部劇を撮ってはいるけれども、現代劇の比率が増加することになる。

 物語は、温厚なアメリカ人数学者であるデヴィッド(ダスティン・ホフマン)がアメリカの喧騒を嫌い、結婚したばかりの妻のエイミー(スーザン・ジョージ)の故郷のイギリスの片田舎(どうやら「コーンウォール」らしい)の集落に転居してきて、しばらく経ったところから始まる。地元の若者たちはやさぐれものばかりというか、かつてエイミーと付き合っていた男もいるし、皆がデヴィッドを小バカにしている。デヴィッドはそんな地元の若者らに納屋の改装を頼むのだが、仕事はまったくはかどらない。
 あるとき、デヴィッド家で飼われていたネコが殺される。犯人は納屋を改修している若者たちにちがいないのだが、エイミーはその事件をデヴィッドが若者らを責めることができるかどうかと試すことに利用する。デヴィッドは何も言えない。
 若者たちはデヴィッドを「カモ猟」に誘うのだが、若者たちはデヴィッドを放置し、そのうちの2人は家に行ってエイミーをレイプするのであるが、エイミーは最後には彼らと親密に抱き合ったようにみえる。
 あるとき、集落で皆に偏見を持たれている精神薄弱のヘンリーを、あるきっかけでデヴィッドとエイミーは家にかくまうことになる。ヘンリーを危険視する集落の男と、若者たちがデヴィッドの家を取り囲み、「ヘンリーを出せ」とせまる。状況を収めようとデヴィッドに好意的な「少佐」が来るが、家を取り囲んだ男らは誤って「少佐」を射殺してしまう。
 「血」を見た男たちは理性を失い、より暴力的にデヴィッドの家に侵入しようとするが、デヴィッドは「このオレの家で暴力は許さない!」と、彼らにひとりで立ち向かうのだった。

 デヴィッドとエイミーの夫婦、いったいなぜこの二人は結婚したのだろう?といぶかしく思うのだけれども、まあこのくらい「不釣り合い」な夫婦もいないだろうというか、エイミーはデヴィッドの数学家としての仕事をまるで理解していないようだし、集落の若者らと同じようにデヴィッドの弱々しく頼りないさまを軽蔑しているようにも見受けられる。

 クライマックスの、デヴィッド家を若者らが取り囲み窓ガラスを割り、ドアを壊して家の中になだれ込もうとする展開は、それこそペキンパー監督得意の西部劇でも成立する状況だろうし、戦争映画でもあり得る設定だろう。これはある意味「ゾンビ映画」にだって通じるような、普遍的な「恐怖」ではあるだろう。そして、「惨劇」である。
 そこで、どう見ても「あらそいごと」を好まず、腕力がありそうにも見えないデヴィッドが、何かスイッチが入ったように豁然と「暴力には暴力で立ち向かう」ことになるクライマックスが、何といっても「圧倒的」である。これがダスティン・ホフマンがまさに「適役」で、それまでの大人しい数学者ぶりからの豹変が見事。スーザン・ジョージもまたあきれかえるビッチぶりで、それがこの映画の狙いなのだったら、まさに「最悪の夫婦像」をここに現出させていた。

 ペキンパー映画といえば、例の「スローモーション」の多用とかを思い出すのだけれども、この作品では途中でわずかにスローモーションを見せただけで、けっこう封印していた。この作品で特徴的なのは、レイプされるエイミーのフラッシュバック的な短かいショットが多用されていたあたりで、そのことがこの映画での「暴力」というものをクロースアップしていたようではあった。あとは、グッドタイミングにデヴィッドが自分を鼓舞するために掛けるバグパイプのレコードとか。
 しかしこのあと、デヴィッドはどこへ行くのだろうか?
 

『ショック集団』(1963) サミュエル・フラー:脚本・監督

ショック集団 [DVD]

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  • 発売日: 2006/12/21
  • メディア: DVD

 サミュエル・フラー監督。あのゴダールの『気狂いピエロ』に登場し、「映画とは戦場のようなものだ」と語った監督としてわたしの記憶には残っているのだけれども、実は彼の作品を観たという記憶がない。ひょっとしたら遺作の『ストリート・オブ・ノー・リターン』は公開当時映画館で観ているのではないかという気もするけれども、もちろんまったく、断片たりと記憶してはいない。そんなサミュエル・フラー監督の作品が今、「GYAO!」の無料配信作品で3本も観ることができる。この作品と『チャイナ・ゲイト』、そして『裸のキッス』とである。残りの2本も、じきに観るつもりである。

 この『ショック集団』の原題は「Shock Corridor」。ちょっと邦題はイメージがちがう。この映画、精神病院内で起きた殺人事件の真相を追うため、ジョニーという新聞記者が自ら患者を装って病院に潜入するというものである。まあそういう設定を聞いただけで、いったいどうなってしまうか想像がついてしまうけれども、この映画はそれだけのものではない。

 ジョニーは精神を病んだフリをして、病棟内の患者から情報を聞き出そうとするわけだが、その中で彼もまた病院職員、医師らからは患者と見られてもいるし、ジョニー自身も「偽装」のためにそのようにふるまうわけで、結果としてジョニーも「電気ショック療法」を強制的に処置されもする。
 しかし、そんな努力の甲斐あって、ジョニーは3人の患者から重要な情報を聞き出すことに成功はする。さいごには看護人であった犯人を突き止め、乱闘の末取り押さえるわけだ(DVDのジャケットに女性たちの「狂乱」のさまが映されているけれども、これはジョニーがついつい、女性患者棟のドアの中に入ってしまったあとでの「狂乱」シーン)。

 以上がストーリーだけれども、この映画での見どころはそんなストーリーにはなく、ジョニーが出会う3人の証言者の人物像にある。
 さいしょの男は、朝鮮戦争に出征していたのだが敵の捕虜になる。捕虜交換で帰国するが、戦争体験と、捕虜として帰国したことへの周囲の非難から発狂、自分を南北戦争の南軍の将軍のつもりでいるのである。
 次の男は南部出身のアフリカ系の男で、南部で初めてアフリカ系人間として大学に入学する。しかし人種差別に耐えられず発狂、今では自分のことをK・K・Kの一員だと思っている。
 もうひとりはノーベル賞をも受賞した物理学者だったのだが、原子爆弾の開発にかかわってしまい、その罪悪感に耐えられずに6歳の幼児に退行してしまっている。
 つまり、この3人はまさに、その時代のアメリカの恥部を体験した人たちなのである。そしてこの映画は、まずはその3人を通じて「アメリカ」を告発することになり、さらには精神病院内での患者の非人間的な取り扱いをも告発するものではないだろうか。

 映画のラストで、ジョニーは執筆した「スクープ記事」のおかげでピューリッツァー賞を受賞したことが観客にも知らされるけれども、想像した通り、彼自身はじっさいに精神を病んでしまい、自らが潜入した病院の、リアルな患者となってしまうのであった。

 この時代の精神疾患の療法はやたらと「電気ショック療法」が用いられたわけで、わたしはあのルー・リードが若い頃、「同性愛的傾向」の治療のために「電気ショック療法」を受けさせられたことを知っている。
 まあこの時代に限らず、歴史の上で精神疾患患者への対処とは、いま聞くと信じられないような話ばかりなのだけれども。

 演出はいわゆる「低予算B級映画」の路線に沿ったようなものではあるけれども、まずは「異常な状況の提示」として、今なおパワフルなものだと思う。そして、冒頭に主人公ジョニーが病院に潜入するために「精神疾患」のフリをする練習場面の、そのカット割り、カメラ位置、編集など、「映画のお手本」のような見事なものだとわたしは思ったのだった。
 
 

2021-02-27(Sat)

 午後からとなり駅前の家電量販店へ行き、再度「電子レンジ」をチェックする。けっきょく、昨日目星をつけていた電子レンジはなく、「もう通販で買ってしまおう」ということにした。
 家電量販店を出てから道を左に迂回して、某ディスカウントストアに立ち寄る。この店は安いものはたしかに近郊でいちばん安いわけで、今日はインスタントコーヒーを買い、最近飲んでいるチョコレートドリンクが、今まで買っていたドラッグストアよりも相当安かったのを買う。
 次に、ディスカウントストアのそばの書店に行く。今気になっているのは乗代雄介の『旅する練習』という小説なのだが、いつも本を買う書店には置かれていない。この書店はこのあたりでいちばん大きな書店で在庫も豊富。「ここならあるだろう」と探し、無事に発見して買って帰った。150ページほどの中篇なので、読んでいる『ユリシーズ』をちょっとお休みしてこちらを先に読んでもいい。

 帰り道、駅から「野良ネコ通り」を歩くと、実に久しぶりに「ヒゲ殿下」の姿をみた。わたしを見てびっくりしたような顔をしている。去年の12月以来の遭遇だったが、これで先日は「殿」にも出会ったし、わたしがこの通りで執心する2匹のネコがどちらも、無事にこの冬を乗り切っていたことがわかった。とにかくはホッとして、うれしい気分でウチへの道を歩いた。

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 帰宅して、まずはAmazonで目星をつけてあった「電子レンジ」を再度確認して購入の準備をする。そのあとカモノハシの本などを読んでいて夕方になる。そういえば、「GYAO!」の無料配信映画で、早めに観ておかないと配信が終わってしまうモノがあるのではないかと気づいてチェックしてみると、サミュエル・フラー監督の『ショック集団』、そしてサム・ペキンパー監督の『わらの犬』がどちらも、今日いっぱいで配信が終わってしまうのだった。
 まだ時間は5時なので、両方とも観ることはできる。夕食は映画の合い間に納豆でかんたんにすませ、実に久しぶりに一日に二本の映画を観た。

 「GYAO!」の無料配信映画は先日までそれほどに注目していなかったのだけれども、ここにきて急に、「これは観たい!」という作品だらけになっている。今日観たサミュエル・フラー監督の作品もまあだあと2本あるし、ジャームッシュ監督の『パターソン』もある。イギリスのノワール映画の隠れた名作『長く熱い週末』は明日までの配信だから、明日観なければならない。『実録・連合赤軍』とか『バグダッド・カフェ』、『陽炎座』とかは観られないかもしれないな。

 わたしはほんとうは、今新宿で公開されている黒沢清監督の旧作『地獄の警備員』を映画館に観に行きたいのだけれども、これが夕方上映のスケジュールで、わざわざその時間に出て行かなくてはならないし、終映時は思いっきりラッシュアワーにぶっつかるし、やっぱり観に行けないかと思っている。
 もうひとつ観たい『古代エジプト展』は、時間の制約もないから来週には行ってみようと思っている。

 そんな「COVID-19」の感染状況だけれども、先日は東京で200人以下の新規感染者だったという。ところがこの数字、PCR検査数はわずか1500人台だったというのだから、お話にならない。つまり単純に、15万人検査をしたならば2万人の新規感染者がいるということになるのだ。恐ろしい。今の「新規感染者数」報道など、まるでアテにならないということだ。
 いちおう今の<緊急事態宣言>はそもそも3月7日までの予定だったのだが、政府は首都圏以外ではこの28日で解除するという。
 このことに関しては、スカ首相が昨日にも会見をひらいて国民に意向を伝えるはずだったのが、昨日の昼には「会見はやらない」という報道があり、これはやっぱりスカ首相は「内閣報道官」の山田氏をそのまま継続して起用することを決めていたわけで、彼女を隠すために会見をやらないのだという憶測が伝えられ、わたしも「そりゃそういうことだろう」とは思っていたのだが、今日になってみると昨夜、スカ首相は山田内閣報道官抜きで、いわゆる「ぶら下がり会見」をやったらしい。これが「悪評ふんぷん」で、わたしも今朝YouTubeでその会見を見たのだが、まさに記者の質問に「不機嫌」の骨頂で、「ですから」とか語りながら質問を封じ込めるような動作は見せるし、「あなた2回目の質問」とか言うし、極めつけは最後に「みんな同じような質問ばかり」などと宣うのだ。それはアレだよ、あなたがちゃんと記者の納得のいく回答をしないからまた聞くわけだろうし、そもそも、「同じような質問」と記者を責める前に、自分自身が国会でも会見でも「同じようなスピーチ」ばかりをくりかえしているわけで、立憲民主党の枝野代表に「壊れたレコード」と言われていたわけではないか。
 首相長男が総務省役員と会食した問題は、総務省関係者は左遷され、長男が所属した会社の社長は辞任の意向を表明し、当の長男は懲戒処分を受けたということだ。しかし、この問題の背後にはその「首相長男」が「この男は<首相>(当時は<官房長官>)の息子だ」という<威光>で君臨していたから、ということは「明白」な事実であろう(誰もがそう思う)。ではスカ首相自身、このような腐敗しきった構造の頂点にあった責任者であることを自覚し、本来ならば「首相の座」を自ら降りるべきだろう。
 首相は自分と自分の長男とは「別人格」だと言うが、長男の方は自分が権力者の息子であることを最大限に利用したのだ。自分が首相・総理の座を降りないのならば、そのクソ息子を勘当するぐらいのことはやるべきだろう。
 

2021-02-26(Fri)

 やはり、電子レンジがダメである。もう使えるのはトースト機能だけになってしまった。早急に買いましょう、ということにした。
 いちどはオーブントースターを別に買って、電子レンジはシンプルなものにしようかと考えていたのだけれども、オーブントースターを置こうと考えていたスペースの奥行きが足りなくって、ちょっと置けそうもない。もういちどトースト機能付きの電子レンジということで再考することにし、仕事の帰りに駅をひとつ乗り越して、その駅に近い大きなスーパーマーケットにまた見にいくことにした。

 駅に到着して改札を出るとなんだか人がわさわさとしていて、でっかいカメラを構えた人らの姿も。「何よ」と思うと、改札のそばに持ち帰り専用の寿司店ができていて、まさに今日がオープンの日ということらしかった。この店は回転寿司チェーン店では今ダントツの業績を上げているチェーン店の経営。ここも駅の改札を出てすぐの立地だし、お手頃な価格設定みたいだし、うまく軌道に乗るのかもしれないな。

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 実はウチから歩いて10分ぐらいの住宅街の中にも去年の夏ぐらいから、持ち帰り専用の「海鮮丼」の店ができていて、けっこうお客さんがあるみたいだし、わたしも「そのうちに一度買ってみようかな」と思ったりしてる。
 COVID-19禍で食堂~レストランの中で食事する人が減った分、こういうテイクアウトの店は好調なのかもしれない。コンビニのお弁当も売り上げを伸ばしているらしいけれども、寿司とか海鮮丼の専門店の需要は大きいだろうか。町の食べ物屋の形態が変化するね。

 わたしはスーパーマーケットへ直行。ここにはそんなに多くの家電製品も置かれていないし、電子レンジも10種類もないぐらい。あんまり高級品は置かれていない代わりに、「こういうのが売れ線」というのがわかりやすいか。
 2万円も出せば、トースト機能もついてそれなりにいろんなメニューの付加されたモノが買えるみたいだ。このあたりを基準に考えようと、メーカー名や製品番号、価格などをメモしておく。

 ついでに食品売り場に行き、「今日は何かお弁当を買って帰ろうか」と思って見て歩くが、考えてみたら「お弁当」を買って帰っても、レンジがダメだから温められないのだ。それで「にぎり寿司」のセットのパックにした。いっしょに「かつおのたたき」、そしてまたチョコレートやスナック類を買う。それで手持ちのトートバッグに買ったものを入れようとしたら、寿司のパックが横長すぎてバッグに入らないのだ。しょうがないのでつい、縦にしてバッグに入れてしまったのだけれどもイヤな予感。「これはまずかったな」とバッグから出してみたら、にぎり寿司が全部一方に寄ってしまっていて、もう形が崩れてしまって「ちらし寿司」みたいになってしまっていた。悲しい。
 だいたい、一般のトートバッグというもののサイズというものも「定型サイズ」としてあるだろうし、こういう「傾けるとヤバいよ」という食品パックのサイズをトートバッグに入らない大きさにするというのは、いけないことだと思うのだが(苦情を言うのが好きな人なら、こんなことでもスーパーに苦情を入れそうだ)。

 帰宅して、その半分「ちらし寿司」になった寿司でちょっと遅い昼食にしたが、やはりこのスーパーの料理は何にせよけっこう美味で、寿司もかなりおいしかった。ニェネントくんには「かつおのたたき」と、にぎり寿司のネタも少し、おやつで差し上げました。

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 落ち着いてから、今日チェックした「電子レンジ」を基準に、Amazonで検索して何がいいか検討する。前回はトーストを焼くのに時間がかかるということで「トースト機能」のないもので探したのだけれども、今回は再度、「トースト機能」付きのもので考えた。トーストを焼いていても、途中で裏返さなければならないのはやっぱりパス。焼くのに時間がかかるというが、今手元にあるレンジで食パンを焼くのにどのくらい時間がかかるか計ってみたら、だいたい4分ぐらいかかるのだった。それなら例え6分かかっても、そんなに「長い」とは感じないのではないかな。とにかくユーザーレビューを読んでいるとどの機種も一長一短で、「これがベスト!」というのは決め難い。「これでいいのでは」と選んだ機種のマイナス評価は「故障した」というようなものばかりで、機能自体へのマイナス評価というのは見当たらないので、このあたりで決めることにした。
 あとは、ひょっとしたらとなり駅の家電量販店でもっと安く売っている可能性もあるし、買ったあとの保証を考えると近郊の店舗の方が頼れるので、少しぐらいなら高くっても買ってしまってもいい。明日、チェックしに行ってみることにした。

 『世界動物発見史』を読了し、お楽しみの『カモノハシの博物誌』を読み始めているのだが、さいしょの方は「カモノハシの生態」とかが書かれていたのだけれども、それ以降、いま読んでいるところはカモノハシがそうである「単孔類」の話から、哺乳類などの発達、進化の歴史になり、あまりカモノハシにはダイレクトにつながらない話になった。わたしがいちばん楽しみにしている「カモノハシの発見と研究の歴史」の章は、まだまだ先だ。