先月から「Amazon Prime Video」の「スターチャンネル」というのと、一ヶ月だけのつもりで契約していて、ヴィム・ヴェンダースの作品などを観ていたのだったが、昨日で一ヶ月が過ぎてしまい、継続しないで辞めてしまった。まだ、シャンタル・アケルマンの作品とか観たい作品はあれこれあったけれども、とりあえず今は辞めた。
自宅にあるDVDで買ったまま観ていない作品もけっこうあるので、しばらくはそういうのを観ていこうかな、とは思っている。
さて、「物価高騰対応生活支援給付金」というものがどうやらわたしに給付されそうもないという件で、近々市役所へちょくせつ問い合わせに行こうとは考えていたのだけれども、きっと問い合わせたところで「給付対象は令和4年度の納税状態で判断している」ということで、つまりわたしは「対象外」だと言われることが充分に想像できる。そのことに関して、「でもわたしの場合は令和4年の10月には仕事を辞めてしまっているんですよ」などと言っても、「それは別案件です」とされることだろう。先日の電話でもちょっと言われたが、「生活が困窮しているのなら別の部署に相談して下さい」ということになるのだろう。わざわざけっこう遠い市役所まで出かけても、ただ消耗するだけになる。無念だが、もう「給付金」のことはあきらめようと思う。
今日も気温が上がり、わたしは外に出なかったけれども、室内でもずっと半袖Tシャツだけで過ごした。ニェネントくんは好きなときに出窓へと跳び上がり、猫草をむしゃむしゃと食べているのだった。
今読書中で、もう残りページも少なくなっていたハイスミスの『死者と踊るリプリー』を読み終えた。これがハイスミスの「トム・リプリー・シリーズ」の最終作だと思うと、「もうこのあとはないのか」と、ちょっと寂しくなってしまった。
実はつい2、3日前に夢をみていて、いつものようにほとんど記憶に残っていないのだけれども、どうやら『死者と踊るリプリー』を読んでいた夢で、そのラストまで読んで「これでシリーズがおしまいだということもしっかり納得が行くなあ」とか思っている、というような夢だったように思う。「これでシリーズもおしまい」というのは、トム・リプリーが死んでしまう、ということだったのだろうか。
「次は何を読もうか」と考え、同じパトリシア・ハイスミスのさいしょの短編集『11の物語』を読むことにした。
この日は冒頭の、グレアム・グリーンによる「序」だけを読んだ。
ヴェンダースの映画『PERFECT DAYS』の中で主人公が古本屋へ行って、この『11の物語』を買うシーンがあるのだけれども、そのとき古本屋のレジの女性が「パトリシア・ハイスミスは不安を描く天才だと思う。恐怖と不安は別のものだと、彼女から教わったの」と語るのだった。しかし彼女の語った言葉はこの『11の物語』のグレアム・グリーンによる「序」の要約ではある。
グリーンはこの「序」の中で、彼女の作品が「ミステリー/サスペンス」と分類されるにしても、ハメットやチャンドラーの描く「英雄的な主人公や合理的な展開」とは異なる、「不合理な展開と不安感」こそが彼女の作品の特徴なのだと書いている。グリーンはハイスミスの多くの長編作品について短くコメントも寄せているけれども、グリーンにとってのハイスミスの最高傑作は『変身の恐怖』だと書いている(もちろん、この『11の物語』が刊行されるまでの作品でのことであるが)。そして、「もしもこの作品のテーマはなにかと聞かれたら、“不安感”だと答えるだろう」と。うん、わたしも『変身の恐怖』がいちばん好きかもしれない。