ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『リプリー 暴かれた贋作』(2005) パトリシア・ハイスミス:原作 ロジャー・スポティスウッド:監督

 原作のハイスミスの『贋作』が発表されてから、35年も経ってつくられた映画だが、どこの国でも劇場公開もされず、英語版Wikipediaは「この映画はリプリーの映画化作品の中で最も知られていない」と書いている(「リプリーの映画化作品」というのは、『太陽がいっぱい』とその再映画化の『リプリー』、そしてヴィム・ヴェンダースの『アメリカの友人』と、その再映画化、ジョン・マルコヴィッチが主演した『リプリーズ・ゲーム』の4本がある)。

 しかしこの映画化スタッフはなかなかに豪華で、監督は1997年に007モノ、『トゥモロー・ネバー・ダイ』を監督したロジャー・スポティスウッドだし(彼は最近では『ボブという名の猫 幸せのハイタッチ』を撮っている)、脚本はミステリー作家としても著名なドナルド・E・ウェストレイクが担当している(わたしはこの脚本、「これはこれでなかなかに面白いじゃん」とも思ったのだけれども、そのことはあとで書く)。
 でも、仮にパトリシア・ハイスミスが生きていてこの映画を観たならば、ど~んな感想を持っただろうか?
 う~ん、おそらくは激怒したんじゃないかとは思う。「わたしのリプリーを、こ~んなアホのチンピラにしてしまって!」などと思ったのではないだろうか。

 さてこの作品、舞台は2000年代のロンドンに移し、トム・リプリーはロンドンに住むチンケな詐欺師なのである。つまりこの作品、『太陽がいっぱい』はなかったことにして、それでもハイスミスの原作との整合性を取らせようと、けっこうがんばっている。
 登場人物は、原作のエドバンバリーこそ出てこないが(彼のことはジェフ一人でやってのけられるわけだ)、その他の登場人物は原作通りである(やることはまるで異なっていたりするが)。トムがチンケな詐欺師であるように、ジェフ周辺の原作での画廊仲間は、この映画ではアホなパリピ連中であって、トムも彼らとつるんでるアホのひとりである。それで彼らの仲間のダーワット(彼はマトモなアーティストだったようだ)の個展が開かれているのだが、このアホたちとつるんでいて、交通事故で死んでしまうのだ。
 そこで「ダーワットの作品はこれから売れるのだから、仲間のバーナードにダーワットの贋作を描かせて稼ごうぜ!」となるわけだ。ダーワットの死体は、ジェフの倉庫の冷凍庫の中に隠すのだ。あとの展開は原作に近くって、ダーワットの絵を買ったマーチソン(ウィレム・デフォーが演じている!)が「贋作じゃないか?」と言ってくるわけだ。

 ここで、トム・リプリーの妻のエロイーズにも登場してもらわなくってはならないけれども、この作品の冒頭ではトムはまだエロイーズとはいっしょではなく、ロンドンでの何かのパーティーで2人は知り合うわけで、そのあとにはトムはエロイーズの住むフランスのヴィルペルスの屋敷に招かれ、そのまま居ついてしまうのである。「富豪の娘」であるエロイーズが、一体なんでまたトム・リプリーみたいな「チンピラ」を恋人にするのか? エロイーズもやっぱり「アホ」なのか?、っちゅう答えがラストに用意されているのだが。

 原作通りにマーチソンはヴィルペルスの邸宅にトムを訪ね、そこでトムに殺されるのだが、トムは明確な殺意があったわけではなく、彼を押し倒したら頭を強打して死んでしまった、という感じではあった。

 とにかくは原作にあった「トムとバーナードとの葛藤」というものがすっかり削除されているのが、この作品の大きな欠点で、やはり登場人物らはみ~んな、脳みそをどこかに置き忘れてしまっているようなのだ。
 それでも、さいごの「つじつま合わせ」というのは、原作から離れても同じような結末に持って行っていて、ここにも「脚本」のうまさがあったことと思う。

 わたしがいちばん感心したのは、先にちょっと書いた「エロイーズ」の存在で、実はこの作品の中でいちばん賢いのは彼女、だったのではないかとも思えるのだ。彼女がトム・リプリーを選んだのには、特にトムが魅力的だったとかそういうのではなく、「適度にゴロツキ」だったからで、エロイーズとしては、彼のことを御しやすいと思えたからではないだろうか(彼女には、このあとトムにやってもらいたいことがあるのだ)。
 つまりこの映画、パトリシア・ハイスミスの原作からスタートしながらも、登場人物の性格をしっかりと読み替えたモノに思える。トム・リプリーらロンドンのギャラリー関係者はみ~んな「アホ」にされてしまい、原作ファンとしては「なんやねん」ということになるが、先に書いたように「エロイーズ」だけは、「こういう小悪魔はいいね!」という感じになっている、と思う。つまりこの映画、実は主役はこのエロイーズとしてつくられていたのではないか、とまで思ってしまうのだ(エロイーズを演じていた女優さんも、けっこう魅力的ではあった、と思う)。
 あと全体にコミカルな演出が目立ち、「ミステリー・サスペンス」としての緊迫感が薄くなっていたことも、この作品「不人気」の理由になったのではないか、とも思える(わたしはそういう演出、嫌いではないが)。