ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

2021-12-15(Wed)

 昨日書かなかったが(書くのを忘れたが)、昨日仕事のあとに歯科医へ行き、問題の(悩ましい)インプラント施行処置は、来年1月の20日に行うことが決まった。その日まではもう、とりあえずは通院せずに「待機」なのである。

 昨日は雨も降ったりして、不安定な天気だったけれども、今日はいちおう晴天がつづいた。ただ、めっちゃ寒い一日だったと思う。
 朝(深夜)、駅への道を歩いていて、不意に視界の左端を「流れ星」のような光が流れて行った。まだまだ「双子座流星群」はいっぱい観測されている時期ではあるし、「わたしは今、<流れ星>を見ただね!」という感覚だ。
 ただ、「これは確実に<流れ星>を見たのだ」と言える前に光のすじは消えてしまっているわけで、「さっきの光、プレイバック!」などと言ってもプレイバックはしてくれないから、しかと「流れ星を見た」とは言い切れないところはある。でも自分としては、「今日は、ずいぶんと久しぶりに<流れ星>を見たのだ」ということにした。

 今日は仕事の帰り、「野良ネコ通り」の入り口で、「ミケ」くんに出会った。6週間ぶりの出会いだ。元気でいてくれてうれしい。

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 ‥‥しかし、何だかキミは「妖猫」と言いたくなるような顔っすね。その眼なんか、昔の浮世絵の「化け猫」の眼を思わせられるというか。いや、決してキミを忌み嫌ったりするのではなく、わたしはキミが大好きですよ。
 というか、最近わたしが出会うネコたちは、何だかみ~んな「ブス」というか、一般に「かわいいネコだね~」と言われるような、「岩合光昭の世界ネコ歩き」に登場するような「かわいい」ネコではないように思う。
 まあ、ウチのニェネントくんからしても、そこまでに眉目秀麗なネコくんでもないからね。そうではないだろうか?(わたしにとってはいちばんのネコだけれども)

 今日は読んでいたパトリシア・ハイスミスの『ゴルフコースの人魚たち』のさいごの一篇、「ロマンティック」を読んだ。
 ヒロインのイザベルは23歳になるが、ずっと病気の母の世話をしていた。ついに母は亡くなり、彼女も「青春を謳歌する」チャンスがめぐってくる。会社で受付をつとめるイザベルは男性と出会うチャンスも多い。あるとき、「なかなかにイイ男」がイザベルをディナーに誘い、イザベルもそれを楽しみに約束の時刻、約束の場所へ着飾って行くのだが、1時間以上待っても男は来ないのだった。しかしイザベルは「裏切られた」という思いよりも、そうやってバーで男の来るのを待っていた時間こそが「充実した時間」だったと思えてしまう。イザベルはそれから何度か、盛装して男の来るのを待つふりをしていろいろなバーに通うのだ。
 次に、「そこまでもイイ男でもない」男性からディナーに誘われ、承諾するのだが、イザベルはいちおう待ち合わせのバーへは行くのだが、彼と会うことはやめてすっぽかしてしまう。帰りは、せっかくいい服を着ているのだからと、タクシーをひろって帰るのだった。
 これはどうなんだろう? 「形から入る」というか、男とデートするのが目的ではなくなってしまい、「男とデートする」ことに付随するあれこれのことこそが目的となるというか、心のときめきを感じる。その気もちを大切にしたいのだろう。

 これでハイスミスの『ゴルフコースの人魚たち』はすべて読み終えたのだけれども、さて、「次は何を読もうか」ということだけれども、実は今日、注文してあったDVD『リプリー 暴かれた贋作』が届いていた。これはハイスミス原作の、「トム・リプリー」シリーズの第2作『贋作』の映画化作品ということで、先日ついつい注文してしまったのだが、その原作の『贋作』をわたしはこれっぽっちも記憶していないわけで、「では次はその『贋作』を読もう」ということに決定。

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 並行して長々と読んでいた、シャーリイ・ジャクスンの『絞首人』も、おそらくは明日にも読み終えることだろう。