ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『パトリシア・ハイスミスに恋して』(2022)エヴァ・ヴィティヤ:脚本・監督

   

 観る前から予想はしていたが、パトリシア・ハイスミスの著作を年代的に紹介しながら彼女の私生活を追っていくような展開ではなく、彼女の著作で紹介されるのはデビュー作の『見知らぬ乗客』、それと『トム・リプリー・シリーズ』、そしてもちろん『キャロル』だけ。
 というか、このドキュメンタリーでは「作家としてのハイスミス」ではなく、「人間としてのハイスミス」の人生にスポットを当てている。それはつまりは「レズビアンとしての」ということが大きくなってくるが。

 そもそもこの作品、幼い頃から熱烈なハイスミスのファンであった監督のエヴァ・ヴィティヤが、図書館などに所蔵されていたハイスミスの創作ノート、日記などを調べて企画していたらしく、偶然にも2021年に「Patricia Highsmith: Her Diaries and Notebooks; 1941-1995」が刊行され、この作品の後押しをした。
 日本でもわたしのようなハイスミスのファンはそれなりにいるようで、去年には不意に彼女の『サスペンス小説の書き方』という本が発売され、ちょっと驚いたものだけれども、この「Her Diaries and Notebook」は邦訳は出るだろうか? 原書で千ページにもなる本だけに、わたしは邦訳が出ることには懐疑的だが。

 ハイスミスの母親はハイスミスが生まれる直前に離婚し、ハイスミスが生まれると彼女をテキサスで牧場を経営する親戚に預けて、自分はニューヨークへ行ってしまう。この映画にそのハイスミスの母親の写真が何枚か出てくるが、これがまさに1920年代のアメリカの「モダン・ガール」という姿で、美人でもあり、ちょっと驚いてしまう。
 6歳までテキサスで育ったハイスミスはそのあとニューヨークへ行き、以後母と継父と暮らすのだが、その頃に母から「テレピン油を飲み、あなたを流産しようとした」と聞かされショックを受ける。母親はハイスミスが14歳のころに彼女がレズビアンではないかと疑い、無理に男性と交際させようともした。これらの体験はハイスミスの母親感をネガティヴなものにもするのだが、この体験ゆえにハイスミスミソジニー的性向になったと、前に読んだ本には書かれていたのを思い出した。
 にもかかわらずというか、やはりハイスミスは男性よりも女性を愛するようにはなる。ニューヨークにいた若い頃からレズビアン・バーに足を運ぶようになったという。
 この作品には3人の、生前のハイスミスと密接な関係にあった女性がじっさいに登場するし、彼女と交際したイギリス人女性の話も語られる。その中に、あのウルリケ・オッティンガーの映画に出演した女優、タベア・ブルーメンシャインもいたのはちょっと驚いた。ベルリンで彼女やハイスミスのたまり場だったレズビアン・バーには、デヴィッド・ボウイも顔を見せたという。

 生前のハイスミスの映像もふんだんに引用され、猫といっしょの写真も多かった。タイプライターを打つ彼女の指さばきがまったく正しい運指法でなかったのも、「同じく」であるわたしにはうれしかったか。
 よく、「若い頃のパトリシア・ハイスミスは素晴らしい美人だったが、歳を重ねたのちにはその面影も失い、いつも苦虫を嚙みつぶしたような顔をしていた」と言われていたし、じっさい「最悪の性格」とも言われたし、この映画でのインタビューに答える映像はやはり、いつも気難しく、面白くなさそうな顔をしていた。しかし、映画のさいごに出てくるインタビュー映像では、珍しくもうっすら笑みを浮かべ、やわらかい表情だったのが印象に残った。

 この映画でも「わたしはミステリーを書いているつもりはない」という彼女のことばが紹介されていたが、わたしも、彼女がずっと書きつづけていたのは「人間の心の歪み」みたいなもので、それを表面化させるために「犯罪」が起こり、「犯罪」を書くことが目的ではなかったことは理解できる。
 そんな中で、彼女が唯一シリーズ化した「トム・リプリーもの」は、一種トム・リプリーを「スーパーマン」みたいに「超越した存在」と描いたものだったようだ。

 ハイスミスは自分の実生活、実体験を作品に書いたりすることはなかったようだけれども、このドキュメンタリーを見ると、遺作の『スモールgの夜』には彼女のよく知る世界が描かれていたようでもあるし、映画の中の話ではじっさいに交際した人の記憶から「トム・リプリーもの」の次回作を書こうとしていたようでもあるという。
 また、『キャロル』以外まったく書かなかった「レズビアン小説」についても、映画では晩年にひとつ書き上げていた、というような話もあったのだが。
 もう、パトリシア・ハイスミスが亡くなって30年近い歳月が経ってしまったけれども、意外とこれからも「未発表作品」というのがひょっこりあらわれるのかもしれないな。