ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

2024-04-23(Tue)

 夜、ベッドで本を読んでいて、ふとニェネントくんのいるキャットタワーの方を見ると、そのキャットタワーのてっぺんにすわっているニェネントくんが、じぃっとわたしのことを見つめているのだった。
 わたしはニェネントくんに「なあに?」と声をかけるけれども、彼女はただ黙ってわたしを見ているだけだ。それでわたしも、ニェネントくんの顔をじぃっと見つめてみる。

 改めて思うのだけれども、ニェネントくんの顔はいわゆる「ネコらしい」可愛らしさとはちょっと違う。目がキリッとつり上がっていて、頬袋のしゃくれが大きい。皆がネット上に「ウチのネコはかわいいでしょ?」と写真をアップしていて、それらのネコはたしかにみ~んなかわいい。でも、そんな中にニェネントくんの写真をアップして「ど~う、かわいいでしょ?」ってやっても、まったく同意は得られないんじゃないかと思う。そういう考え方をすると、つまりはニェネントくんは「かわいいネコ」ではないだろう、とか思ってしまう。
 まだ子ネコだった頃は、お父さんネコの「ラグドール」にも似ていて、いわゆる一般的に言う「かわいいネコ」ではあったと思うのだけれども、もうすっかり成長して「おばさん」になってしまった今、とても「ラグドール」に似てなどいないし、わたしがみると「世界中のどんなネコにも似ていない」気がしてしまう。

     

 夜見るとニェネントくんの眼はオレンジ色しているし、見ているとやはり「ネコじゃない、別の動物なんじゃないかな?」とも思ってしまう。地球上では知られていない動物。そんな、宇宙のどこかから遺伝子が飛来してきた謎の生物がなぜかわたしの家にきて、わたしといっしょに暮しているのだ。
 そんなことを思っていると、こうやってつまらない生き方をしているわたしが、この「ニェネント」という生き物と出会って、いっしょに生きているというのは、「とんでもない奇跡」のようにも思えてしまう。

 しばらくするとニェネントくんはまた、いつものキャットタワーの下のボックスの中に入り込んでいて、目を閉じて寝ているようだった。その寝顔を眺めると、「なんだ、やっぱりニェネントくんも<かわいいネコ>じゃないか」とも思ってしまう。寝顔はかわいい。

     

 ニェネントくんの「全世界」は、つまりわたしの住んでいる家の中だけ(たま~にちょっとだけ、窓から外に脱走するけれども、せいぜい50メートルぐらい外に行くだけだ)。
 彼女はその外の世界を知らないのだから、「外の世界を想像してみる」ということもないだろう。こ~んな狭い、つまらない世界に閉じ込めてしまって、「ホントに申し訳ない」って思っている。いつも「ごめんね」って思っているよ。

 わたしはいつもは2合炊いたご飯で3食分まかなっているのだけれども、昨日いつものように2合炊いたご飯を、4食分にしてやった。
 やはり2合のご飯を4食分にするのは「ちょっときびしい」という感じだけれども、今日の夕食は鶏肉やタマネギやニンジンをいっぱい使ってチキンライスにして、その上にたまご2個を使ったプレーンオムレツをのっけて「オムライス」にしたのだが、これはご飯の量は少なかったのだけれどもボリュームがあって、満腹になったのだった(だから毎食「オムライス」にしようとは思わないが)。

 今日は、昨日観たクローネンバーグ監督の『危険なメソッド』をもういちど観た。けっこうこの作品、やはりわたしの中では「傑作」ということになると思う。
 続けて2回観ると「そうだったか」と思うことも多いし、それでわたしのおぼつかない記憶に焼き付くということもあると思う。ほんとうはわたしは、どんな映画でも2回は観るべきなのだろう(読書でも同じだろうが)。

 読んでいるパトリシア・ハイスミスの『死者と踊るリプリー』、ようやく残り百ページを切った。ま、明日中にはムリとしても、あさってには読み終えるだろう。
 しかし、何という展開だろう。う~ん、これは「リプリー・シリーズ」としても、ハイスミスの作品としても、イマイチなのではないかという気がする。まだ百ページ残っているのだけれども。