昨夜も、段ボール箱の中で寝ていたニェネントくんを抱き上げて、ベッドでわたしの胸の上にあげて「かわいいね~」となでなでしてあげたのだけれども、予想外なことに、ニェネントくんはのどをゴロゴロと鳴らしていたのだった。「なんだ、やっぱりうれしいんじゃないか」と思ったけれども、そもそもニェネントくんがのどを鳴らすのを聞くのはずいぶんと久しぶりのことなのだった。
けっこう同じように体をなでなでしてやることはしょっちゅうやっているのだけれども、いつもは無反応のように見えたのだった。無反応のように見えても、やっぱり気もちよくってうれしがってるんだろうな。そう思うことにした。
この日も寒かったのだけれども、昼からはまた、けっこう陽射しの暖かい日になって、ニェネントくんは午後からはキャットタワーの上でひなたぼっこをやっていた。わたしもキャットタワーの横のベッドに寝転んで、本を読んだりしてニェネントくんといっしょに午後の陽射しを満喫した。
読んでいるパトリシア・ハイスミスの『贋作』、ここまで来るとわたしもどんどんと読み進めるようになり、ついに残りは百ページになった。おそらくはこの週末のうちに読み終えることだろう。
さいしょっからこんなペースで読み進められたらいいとはいつも思うのだけれども、どうしてもその本の中の世界に入り込むまでに時間がかかってしまうのだ。
あと百ページ、これからいったいどんな展開になるのかまったく読めないが、どう転んでもヤバそうだ。次に読むのは『アメリカの友人』だな。
さて、ハイスミスの作品なみに「ミステリー」と言っていいのか、盛山文部科学大臣と旧統一教会との関係の件だが、旧統一教会の関連団体の推薦確認書に署名したとされる写真が報じられたことに関し「記憶にないが、報道を踏まえれば署名したのではないか」と、何とも言いようのない答弁をされるのだった。その推薦確認書へのサインについても、「わたしのサインに似ていると思いました」ということである。
こういう人物を、どう扱えばいいのか。誰か、トム・リプリーのような人物が彼のサインをまねて、推薦確認書を偽造したとでも言いたいのだろうか。そしていったいなぜ、3年前の自分の行動の記憶がないという人物が、いまだに「文部科学大臣」の地位に着きつづけ、そのことが「無問題」と考えられるというのだろうか(こんなこと書くと2年前の記憶がないわたしの問題に帰ってきてしまうが)。
夕方からはまた、アンソニー・マンの監督作品を観る。今日からはしばらく、監督がジェームズ・スチュアートと組んで撮った西部劇で、まずはその第一作、1950年の作品、『ウィンチェスター銃'73』を観るのだった。