ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『Laughter in the Dark(悪魔のような恋人)』(1969) ウラジーミル・ナボコフ:原作 エドワード・ボンド:脚本 トニー・リチャードソン:監督

  

 ナボコフの原作は『ロリータ』よりずっと前に書かれた作品だけれども、『ロリータ』が世界的ベストセラーとなり、スタンリー・キューブリックによって映画化されたあとに映画化された。当然トニー・リチャードソンには「あの『ロリータ』のナボコフ作品の映画化」ということでそれなりの「野心」もあったのではないかと思う。ここでの脚本担当のエドワード・ボンドという人物、2年前の1967年のミケランジェロ・アントニオーニの『欲望』の英語脚本に協力した人物ではあるし。

 実はこの作品、登場人物の名前が原作(ナボコフによる英語訳)から変えられてもいるのだけれども、マルゴ(この映画では「マーゴット」)を演じたのはアンナ・カリーナ、そして主人公のアルビヌス(エドワード・モア)はニコール・ウィリアムソンが演じている。アンナ・カリーナのホントの恋人のレックス(トゥーレース)はジャン・クロード・ドルオー(この人はアニエス・ヴァルダの『幸福』に出ていた人)なのだが、さいしょクランクインしたときにはエドワード・モア役はニコール・ウィリアムソンではなく、なんとリチャード・バートンだったらしい。それがリチャード・バートンは撮影に遅刻ばっかりしてくるもので、ニコール・ウィリアムソンと交代させられたらしい。しかし映画を観ると、この役はニコール・ウィリアムソンで正解で、リチャード・バートンでは「ミスキャスト」ではないか、とは思えてしまう。
 「じゃあアンナ・カリーナはどうなのか」ということになるが、原作でのマルゴはとにかく16歳、そしてアンナ・カリーナは映画公開の年には29歳になっちゃっているのだ。そういう意味ではあまりに年齢差がありすぎ、原作の「魔性の小悪魔」というところは消えてしまっているか、とも思えるのだけれども、意外とコレが悪くはない感じ(まあ若い女性の魅力のトリコになってしまった、というニュアンスは薄くなったが)。これは実生活でもアンナ・カリーナジャン=リュック・ゴダールというおっさんシネアストをとりこにしていたからそう思うのだろうか(じっさい、この映画の終盤の黒メガネをかけたニコール・ウィリアムソンとアンナ・カリーナは、まさにゴダールアンナ・カリーナカリカチュアではないか、という<映画評>もあったのだ)。

 さて、映画はストーリー展開としては原作をしっかりとなぞっているし、そんな中でニコール・ウィリアムソン(この映画では貴族ということになっているようだ)は「若い頃、女遊びしなかったのね」というウブな感じがにじみ出ていたし、ジャン・クロード・ドルオーはまさに卑劣な「悪党、悪人」というところで、原作と同じように観ていて「この男に天罰を!」とか思いたくなるのだ。
 映画は時代を「現代(1968年)」の設定にされていて、場所はイギリスが舞台。まさに「スウィンギング・ロンドン」なわけで、少しだけそんなポップ・バンドのライヴの場面もあるのだけれども、残念ながらアンナ・カリーナはそんな「流行に敏感な女性」というわけでもないようで、あまりそういう時代背景を感じさせる作品ではなかった。

 もともとが「近~現代イギリス文学」の映画化が得意だったトニー・リチャードソン(1963年にはフィールディングの『トム・ジョーンズの華麗な冒険』の映画化によって、アカデミー賞の「最優秀作品賞」と「最優秀監督賞」を獲得している)のこと、まさに原作の面白さを的確にシニカルな視線で映像化しながらもチープな演出に堕することなく、「現代文学の映像化」という空気が画面からしみ出てくるようで、観ていて気もちがいいのだった。また、そもそもが視覚に訴える「映画」の特性から、原作の「見える」~「見えない」という対立関係がよりはっきりと描かれるというか、いやおうもなく観客に突きつけられる感もあり、この映画化は成功だっただろうとは思う。
 英語版Wikipediaでも「この作品は好評を博した」と書かれているのだが、つづけて「理由は不明だが、その後配給中止となった」ということで、今は国内は当然、海外でもDVD化されてはいないのであった。どういうことなんだろう(日本では『悪魔のような恋人』のタイトルで、ちゃんと映画館で公開された過去がある)。だからわたしは、今も奇跡的にYouTubeにアップされている版でこの作品を観たのである。
 ナボコフ自身もこの映画は観ていることと思うのだが、わたしが読んだナボコフの伝記などには、この映画のことは書かれていなかったと思う。この映画ならきっとナボコフも気に入ったんじゃないか、とは思うのだけれども。