ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『女と男のいる舗道』(1962) ジャン=リュック・ゴダール:脚本・監督

 ゴダールの長篇第4作で、アンナ・カリーナがヒロインを演じた3作目。わたしはゴダールの初期の作品で未だに観ていない作品がけっこうあり(観ていたとしても記憶していなかったりするが)、この『女と男のいる舗道』、そして『軽蔑』『恋人のいる時間』など未見ではあり、この機会に何とか観ておきたい。

 映画は逆光の中に浮かぶアンナ・カリーナの横顔から始まるけれども、この作品ではそんなアンナ・カリーナの逆光での顔が頻出する。撮影は初期ゴダール映画の常連のラウール・クタール
 アンナ・カリーナ演じるナナという女性は、映画俳優になることを夢見ながらもレコード屋の店員から娼婦へと身を落とし、ラウールというヒモもつく。そのうちにナナはバーで若い男と知り合い、彼と暮らしたいとも思うのだが、ラウールは別の組織にナナを売り渡そうとする。組織とラウールは金のことでもめ、その争いの中でナナは路上で撃ち殺されるのだった。

 有名なのはナナが映画館で『裁かるるジャンヌ』を観ながら涙をこぼす、そのナナの顔のアップで、これはあらゆる映画の中でも記憶に留められるべき、もっとも印象的な女性の表情だと思う。以前からいろんな本の中で、このシーンのアンナ・カリーナの写真は目にしていたけれども、やっと「現物」を観ることが出来た。これは、ゴダールアンナ・カリーナへの「愛」の姿でもあったと思う。感動すべき。

 ゴダールのことだから、いわゆる「通常の映画」の演出からはみ出して、リアルな「現実」の世界との接触を映像にとどめようとされているが、この作品では終盤のアンナ・カリーナと「哲学者」との対話のシーンで、じっさいの「哲学者」ブリス・パランが出演し、「言葉を語るとは何か」について語り、「言葉とは愛だ」という。
 このシーンは当然シナリオなどなしで撮られていると思われるけれども、まさに「ゴダールらしい」シーンになっていた。

 ラストの、ナナが撃たれるパリ郊外の風景が、まさに「郊外」という様子でもあり、そんな中に即物的に撃たれて倒れ、置き去りにされてしまうナナの身体が「あわれ」ではあった。

 この映画はゴダールがもっとも敬愛する映画監督溝口健二の遺作、『赤線地帯』の強い影響で撮られたのだろうという意見がある。わたしは『赤線地帯』は観ていないが、溝口監督の別の作品で娼婦へと墜ちた女性らを描いた『夜の女たち』は観た。その映画ではヒロインの語る男性への呪詛というのが印象に残る映画だったが、この『女と男のいる舗道』では、ナナはそこまでも「世間への呪詛」のようなことは語らずにただ堕ちて行く印象がある。それは『赤線地帯』とどこまでリンクしているのか、今は『赤線地帯』を観てみたいと思う。