これはもう、<監督:鈴木清純 美術:木村威夫>の「最強」コンビということを抜きには判断できない作品で、ひとつ「行くところまで行ってしまったな」という印象がある。この作品のあと鈴木清純は『けんかえれじい』で木村威夫とタッグを組んでいるらしいが(前に『けんかえれじい』は観ているが、木村威夫氏の「美術」ということを意識してはいなかった、こんど観直そう)、なぜか『殺しの烙印』では木村威夫は清純チームに参加していない。それでその次がついに、あの『ツィゴイネルワイゼン』になるのである。
もちろん、木村威夫の「強烈な」美術造形が印象に残るのだけれども、そのある面「非:現実」的な美術世界を、この一本の映画をまさに「非:現実」(一面、「超:現実」でもあるだろう)として演出し、「コラボレーション」として強烈なパワーを持たせた鈴木清純監督の、「異次元的な」演出の力をこそ堪能する映画だろう。とりわけ「東京」のシーンでの、ヤクザの組事務所(?)のポンペイ壁画みたいな壁、そして「どこまでだだっ広いんだ!」というような、クラブで松原智恵子が歌う空間があり、一方に「東京」から離れたときの、雪景色の中の赤ちょうちんだとか、どこか土着的というか、ノスタルジアをもかき起こされるような「風景」もある。
この映画はひとつ、どこか「異世界」でのドラマを楽しむ映画であって、ストーリーの「整合性」だとか「リアリティ」などは、もうある意味で「どうでもいい」のである。
ゴダールの『勝手にしやがれ』みたいなジャンプカットを楽しめるカットもあるし、佐世保のキャバレーの「舞台崩し」的なお祭り騒ぎは、「醍醐味」とはこのことか、という楽しみに満ちていた(そういうのでは、「ヤクザの抗争シーン」それぞれの強い演出に歓喜するしかない)。
次は順番からいっても、やはり『けんかえれじい』を観てみたい(前に観たときは「美術:木村威夫」ということはまるで意識しないで観たのだった)。
追記:『殺しの烙印』では、主人公の宍戸錠が「米の炊き上がる匂いが大好き!」というシーンが人気を博したのだったが、実はあのシーンは「パロマガス」のガス炊飯器の映画内コマーシャルだったらしいのだが、この『東京流れ者』でも登場人物が唐突に「ヘアードライヤー」をその商品名とともに賛美するシーンがあり、この時代、映画内でこうやって「コマーシャル」を投げ込むことがおこなわれていたのではないかと、「なるほど」と想像できる。