ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『月世界旅行』(1902) ジョルジュ・メリエス:製作・脚本・監督

 この古典的名作を、今になって初めて観た!
 むむむ、とにかくは「映画黎明期」の作品だけあり、ワンシーンワンカットは当たり前なのである。観ているとコレはやはり、舞台作品を撮影してつなぎ合わせて1本の作品にしました、という事情は強く感じるのだけれども、しかし各場面での舞台セットのクオリティの高さには、今でも驚くところがある。そもそもメリエスは若い頃に絵画を学びたいという夢を持っていたそうで、この『月世界旅行』での舞台セットはメリエス自身の製作になるものらしい(というか、メリエスの映画作品の美術はすべて「メリエス作」であり、このことがメリエスの映画の大きな特色になっているだろう)。

 それで、単にカメラの前に舞台をつくってそこで役者に演じさせ、それを撮影するというシンプルなやり方で通しているわけではなく、つまりは元祖「特殊撮影」というさまざまなアイディアを取り入れ、そのことがこの作品の大きな大きな魅力になっている。
 この映画のイメージとしてあまりに有名な、「人の顔をした」月面に砲弾型のロケットが突き刺さるショットなど、これは単に「人間が月に行くのだよ」という思考だけで生み出される映像ではない。一種「奇想」であり、この映画がまさに「ファンタジー」であることを高らかに宣言するショットでもあるだろう。
 この、「人の顔をした」月の顔のメイクも秀逸で、リアリズムなどからはるか遠くぶっ飛んでしまったその顔に砲弾型ロケットが突き刺さるなんて、永劫不滅のイマジネーションではあるだろう。
 そのショットでも、まずは遠くに小さく見えたその月の顔が、だんだんにクローズアップされて画面の中で大きくなっていくわけで、この場面は「舞台を撮影した」というコンセプトをはるかに超えている。

 そういう「特殊撮影」は、月面に到着した人々(探検隊)が月の地下に降りていき、キノコみたいなのがいっぱい生えたその地中に登場人物が持っていた傘を立てると、それがキノコに姿を変え、ムクムクと伸びていくシーンでも見られるし(この「月の地下」のシーンの美術など、わたしは『ファンタスティック・プラネット』をも思い浮かべたりしたが)、そこで探検隊が遭遇するバルタン星人みたいな「月の人」をガン!とぶん殴ると、その「月の人」が煙になって消えてしまうという「マジック」的なシーン、そして探検隊が来た時の砲弾ロケットで地球に帰還し、その砲弾ロケットが海に落ちて海中に潜るところのショットでも、ブクブクと泡立つ海中に魚も泳いでいるという、もっと後の時代の映画でも盛んに使われた特撮を、すでにやってのけているのだ。

 しかし、月世界から地球に帰還するのに、月の断崖絶壁から下に落下すると地球に戻るってどういうことよ、などとは思ったのだが、考えてみれば、月へ行くのには大砲で高く打ち上げているわけで、つまり月は高~い高~いところにある。その高~いところから比べて低いところにある地球に帰還するとは、「高いところから低いところへ」落下するということなのだ。あくまでも「地球」中心とするヒエラルキーによる思考なのか。

 あと思ったのは、やっぱり「舞台作品」をスクリーンに移し替えたというそもそものコンセプトからか、女性たちの出演比率がとっても高い。これはまさに「舞台に華を添える」ための女性たちの登場ではあったのだろう。

 今の映画は「どこまでリアルでありえるか」ということを追求して、それは映画がこの時代に本来持っていた「夢」からは大きく離れてしまった。それはそれで「リアルな夢」を観客に観せるものだろうが、今はもう忘れられてしまいそうな「ファンタジー」としての「夢」というものを、しっかりと思い出させてくれる作品だと思った。
 そういうことで最後にちょっと書いておきたいけれども、この映画で月に打ち上げられる「砲弾ロケット」は、実は立体ではなく「平面」的につくられている。これは、あの『2001年宇宙の旅』の中で、冒頭に宇宙を飛翔する「宇宙船」が、じっさいには立体ではなくって描かれた「平面」だったことを思い出す。そんな連想から、この『月世界旅行』と『2001年宇宙の旅』とを並列させて考えてみることも面白いだろう。