ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『メリエスの素晴らしき映画魔術』(2011) セルジュ・ブロンベルグ/エリック・ランジュ:監督

 前半は黎明期の映画界での「映画製作者・映画監督」としてのジョルジュ・メリエスを追うドキュメンタリーで、後半は、2001年になってバルセロナで発見された「着色カラー版」『月世界旅行』の、気が遠くなるような修復作業のさまが紹介される。

 メリエスはそもそも、ステージ・マジックへの興味から「イリュージョニスト」として舞台に立った人物ということで、その舞台でいくつものマジックを披露して人気を博したらしい。
 そこに「映画」というものが登場してくるわけだけれども、初期のリュミエール兄弟らの「映画」というものは、現実の風景、現実の出来事をフィルムに定着して披露するという、いってみれば「リアリズム」を基調としていたわけで、有名な「駅に到着する列車」などの映像で観客を驚かせたわけだった。
 そんな「映画」を観て「コレは使える」と思ったのがメリエスで、彼はその映画製作のさいしょっから「舞台の再現」としての「映画」というものを追求したらしい。そこには「イリュージョニスト」としてのメリエスのキャリアこそが第一義にあり、そこから「映画」という技術を追求しての「特殊撮影」という手法を駆使し、当時非常な人気を博したらしい。ここに映画というものの、一方に「リアリズム」があり、一方に「ファンタジー」があるという根本的原理が示されたわけだろう。

 以降、映画というモノは「劇映画」こそが主流になっていくわけだけれども、そういう「劇映画」というものの原点を「演劇」と捉えるならば、メリエスが追及した「舞台の再現」ということこそ、「劇映画」への道を拓いたといえるのだろう。これはあとで調べて知ったのだが、そこにはフランス演劇の伝統的な「夢幻劇」というジャンルの継承もみられるという。

 しかしその後に、当時の「著作権」の不備で、彼の映画の海賊版アメリカで盛んに上映され(ここでエジソンがメリエスの競争相手としてメリエスにダメージを与えたりする)、正当な利益を得ることができなかったり、例えば「南極探検」などという事象で彼の「ファンタジー」が実際の「リアリズム」に追い抜かれたりもする。第一次世界大戦で彼の所有する劇場が撤収されたり、セルロイドフィルムもまた軍に没収されたりもする。他にも事業的失敗もあったし、スタジオも失ってしまう。絶望したメリエスは、所有していた自分の作品のネガやフィルム500点を焼き捨ててしまうのだ(のちに発見された作品も多く、今は200以上のメリエス作品が現存しているという)。
 1920年後半にはメリエスはモンパルナス駅近くで小さな玩具屋を細々と営むことになる。その後メリエスは再評価されることになるが、彼は二度と映画を撮ることはなかったし、舞台に立つこともなかったという。ここまでがこのドキュメントの前半。

 後半、「もう存在しない」と思われていた「着色版」『月世界旅行』のフィルムがバルセロナで発見されるが、フィルムの状態はまさに「劣悪」な状態だった。リールになって固まってしまっているフィルムを解きほぐすことも不可能と思われたけれども、いろいろな作業を経て数年をかけてすべてのコマ(1万3345枚!)を個別に保存することに成功、さらにコンピューターの最新技術を駆使して1コマ1コマを修復、2011年に復元作業が完了したのだった。

 もちろん、1902年当時に「カラーフィルム」があるわけもなく、この「着色版」は、当時の工房がフィルムの1枚1枚に着色して完成したものだった。
 わたしは「何でもかんでも」カラー化すればいいと思っているわけでもなく、最近は昔のモノクロ写真をカラー化したものをよくネットで見かけ、「モノクロのままでいいんじゃないの」とは思うものだったけれども、この『月世界旅行』の着色版はそもそもが当時につくられた「カラー版」ということでもあるし、そこに当時の人々のこの映画に賭けた「情熱」というもの、そしてこのフィルムを「復元」した現代の人々の「熱意」を思い、胸を熱くしたのだった。

 監督のお二人は、その「着色版」の『月世界旅行』の復元に尽力された方でもあり、そのあたりのじっさいの苦労が画面からしのばれるし、ジャン=ピエール・ジュネミシェル・ゴンドリーらのインタヴューを交えながらも、メリエスという人物、彼の業績へのリスペクトにあふれる、好感の持てるドキュメンタリーだった。