ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『わが谷は緑なりき』(1941) ジョン・フォード:監督

 先日観た『男の敵』に続いて、ジョン・フォードはこの作品でアカデミー監督賞を受賞し、最優秀作品賞、助演男優賞、撮影賞、美術賞などを受賞している。

 映画の舞台はウェールズの炭坑町で、そこで暮らすモーガン一家のヒューマニスティックな人間ドラマ。父母と6人の息子、1人の娘の大家族で、まだ就労していない末っ子のヒュー(ロディ・マクドウォール)以外の男たちは皆、炭鉱で働いている。町中の皆が同じ炭鉱で働いているようで、住まいも皆同じような家が並んでいるし、朝になると皆が炭鉱へと歩いて行く。
 わたしはこういう情景を別の映画で観たように思うのだが、それが何の映画だったのか思い出せない。おそらくはケネス・ブラナー監督の『ベルファスト』だったように思うし、「家族愛の物語」という内容も似ていたように思うのだけれども。

 時代は、この作品の語り手であるヒューが、自分が年老いたことを語ることから始まるわけで、この映画のつくられたのが1941年だと考えると、映画の物語は19世紀末から20世紀にかけてのことではないかと思える。それなりに時勢的な話も語られ、まずは炭鉱労働者らの賃金がカットされることから、モーガン家の息子たちは皆「組合をつくろう」と話するが、保守的な父親はそんな息子たちに反対し、息子たちが家を出て行ってしまったりもする。
 あと、モーガン家の一人娘のアンハード(モーリン・オハラ)と、新しく街に教会に赴任して来た牧師のグリュフィーード(ウォルター・ピジョン)とが惹かれ合うという展開もあるのだけれども、アンハードには炭鉱主の息子からの求婚があり、そっちへ嫁いでしまったりする。

 そのような、時代の変わり目での社会の変化、家族の変化(上の2人の兄はアメリカへ移住したりもする)など描かれるのだが、映画全体の基調として「保守」に陥るわけでも「革新」に走るわけでもなく、ほど良い「中庸」のバランスをみせてくれる印象があった。
 それは語り手の末っ子のヒューの抱く、古き善き時代の「良い思い出」というイメージを描いたものという感じなのだが、そんな中では「差別意識」の強い学校教師や、「旧的な偏見」の持ち主であった教会の助司祭などの描写には、「正義感」という意識が見られたようだ。

 前に観た『男の敵』に続いて、町の人たちが皆でトラディショナル・ソングを歌うシーンがいっぱいあり、ジョン・フォード監督というのはこういうシーンが好きなのだろうかと思うのだった。

 末っ子のヒューを演じたロディ・マクドウォールは、この映画撮影時はまだローティーンだったのだろうが、その後(ずっと後)に映画『猿の惑星』に出演したりしていて、なぜかわたしはこの人の名前は記憶していたのであった。