ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

2022-09-14(Wed)

 昨夕、映画監督のジャン=リュック・ゴダール氏が亡くなられたとの報があった。享年91歳だったという。
 それは「ショック」なニュースだったけれども、わたしは近年思っていたことがあって、映画の世界には、ジャン=リュック・ゴダールクリント・イーストウッド、そしてフレデリック・ワイズマンという、いずれも1930年生まれの高齢の「偉大な」映画監督が存在(君臨)していて、もう彼ら3人は不死身というか「永遠の生」を授けられていらっしゃるのではないかと思っていたところがあったのだ。しかしやはり人の子、亡くなられるのだなあとは思ったのだった。
 それが今朝起きてネットのニュースをみると、ゴダール氏は「病死」とかいうのではなく、ゴダール氏の国籍地であるスイスでは認められている、医師処方の薬物を使用した「自殺」だったということらしい。つまりゴダール氏が医師に「わたしはもう死にたい」と訴え、その訴えをスイスの医師が「もっともだ」と認め、致死量の安楽死用の薬物を処方したということなのだろう。報道ではゴダール氏は「疲れ切っていた」というが‥‥。

 わたしにとって「映画監督」ゴダール氏はあまりに大きな存在で、それはわたしが高校に入りたての頃、ゴダール監督の『男性・女性』を観たことから始まる。そのときとうの昔に『勝手にしやがれ』は公開されていたし、『気狂いピエロ』の公開もこの『男性・女性』の前の年だったのだと思う。それでもわたしがさいしょに観たゴダール映画はその『男性・女性』だったし、それはひょっとしたら、主演のシャンタル・ゴヤの曲(『乙女の涙』)が日本でもヒットし(この映画の中でも、シャンタル・ゴヤは「わたし、日本で4位よ!」とか言うのだけれども、これはあるラジオのヒットパレード番組では「真実」だったはずだと、中学生時代に「ヒットパレード番組」のマニアだったわたしはしっかりと記憶している)、そのせいで「スクリーンのシャンタル・ゴヤを観たい!」と思って映画館へ行ったのかもしれない。
 しかしこの『男性・女性』こそ、わたしに「映画表現」の奥深さ、可能性を知らしめてくれた作品ではあり、当時の「アートシアター・ギルド」の直営映画館「日劇文化」で公開されたこの映画の、作品シナリオも収録されたパンフレットを買って、まさに「熟読」し、すっかり「とりこ」になってしまったのだった。

 書くと長くなってしまうが、そのときゴダールはこの映画のことを「マルクスコカ・コーラの子どもたちの映画」と呼んでいたようで、まあわたしはこの映画の登場人物たちよりはずっと年下だったけれども、「背伸びして届きたい」と思っていた世代ではあるし、じっさいわたしは「マルクス」に熱中はしなかったが、「社会主義」とかのリヴェラリズムに目覚めた時期だったし(わたしは「アナーキズム」に惹かれたのだったが)、まさに「コカ・コーラ」に象徴される「資本主義」の快楽の中に足を踏み込もうとしていた時期だったのだ。

 『男性・女性』を観たあと、遅ればせながら『気狂いピエロ』も『勝手にしやがれ』も観て、『小さな兵隊』『カラビニエ』そして『アルファヴィル』などの作品にも夢中になったものだった。あの時代、わたしにはこのジャン=リュック・ゴダールと、フランク・ザッパの存在こそが、「どこまでも追いかけて行くべき」存在だった。そういう意味では、わたしの脳内でゴダールがザッパと交錯したような『ウイークエンド』や『中国女』には、「これこそわたしのための映画!」とばかりに夢中になったものだった。
 1970年の『東風』を観てのわたしの「高揚」を最後に、それ以降の作品は日本で新作が公開されない時期も続いたし、以後、かつての高揚感は感じない作品が続いてしまった。
 それでも、新作が公開されるたびに映画館に通ったものだったが、わたしが「これは!」と思った作品は、2014年の『さらば、愛の言葉よ』だっただろうか。右目と左目で別映像を見せるという「乱暴」な3D映画でもあったけれども、「ほぼ主役」を演じたゴダールの「愛犬」がどこまでも愛おしかった。あの犬も、今はもうゴダールより先に「虹の向こうへ」行ってしまってるのだろうか?

 ゴダール氏の訃報に接し、今いちばん観たいゴダールの作品は、この『さらば、愛の言葉よ』ではある。

 長く書いてしまったが、この日はやはり、「追悼:ジャン=リュック・ゴダール氏」という日である。
 だからこの日はゴダールの映画でも観ればいいのだけれども、先日鈴木清純の『殺しの烙印』がヴェネチア映画祭で「最優秀復元映画賞」を受賞されたという報道を見ていたもので、その『殺しの烙印』を観ようかとは思っていたのだけれども、その前に『東京流れ者』を観てしまった。こういう、「ガッツリ」やってしまう感覚は、ゴダール映画に通じるところはあるだろうと思った。堪能した。

 このところけっこう残暑がきびしいというか、早朝に仕事に出るときには「半袖Tシャツ一枚では涼しいか」と感じるけれども、仕事を終えて帰るときには汗がにじみ出る天候だ。
 自宅駅で降りてものどが渇く感じで、駅前のスーパーに立ち寄って「濃厚ミルク仕立て抹茶ミルク」というのが税込み73円で売られていたのを買い、帰り道に歩きながら飲んだのだが、これはすこぶる美味だった。
 この「抹茶ミルク」は、わたしの勤め先の自販機に同じモノが160円で売られているヤツだ。倍以上の価格だな。

 そんな「抹茶ミルク」を飲みながらの帰り道、ウチの近くの道路のヘリに、「ソバ」の花のような清楚な白い花が咲いていたのを写真に撮った。帰宅して何の花か調べたがよくわからない。「ノラニンジン」という花に似ているようには思うけれども、「不明」ではある。亡くなられたジャン=リュック・ゴダール氏への(わたしなりの)「追悼」にも、これは似合いの花かとも思う。