日本では、ピナ・バウシュを撮ったドキュメンタリー映画以外ほとんど紹介されることのなかったシャンタル・アケルマン監督の作品は、なぜか去年「シャンタル・アケルマン映画祭」が突然開催されてまとめて紹介されることになり、わたしの住まいのとなりの駅の映画館でも上映されたもので、わたしもそのうちの3本を観に行ったものだった。
それが去年の暮れになって、英国映画協会が世界各国の研究者・批評家からの回答をもとに10年ごとに集計している「オールタイムベスト100選」でシャンタル・アケルマン監督の作品『ジャンヌ・ディエルマン ブリュッセル1080,コルメス河畔通り23番地』が「歴代1位」の映画と選出され、俄然注目を浴びるようになり、去年につづいて「シャンタル・アケルマン映画祭2023」というのが開催され、今回は初公開を含む全10作品が公開されたのだった(今も国内のどこかでこの映画祭は継続されているはず)。
わたしはシャンタル・アケルマン監督というと、Facebook上でのフェミニスト女性による、シャンタル・アケルマン作品を観た男性客を揶揄するような発言を目にして以来、シャンタル・アケルマンの映画を観るのに勇気を必要とするようになってしまっている(その揶揄発言を思い出してしまう)のだが、やはり去年観た3本の作品が素晴らしかったし、せっかく今「Prime Video」のスターチャンネルで観ることもできることだし、がんばって観てみることにした(今、そのスターチャンネルではシャンタル・アケルマンの作品は5本観ることが出来、わたしはそのうち3本は去年映画館で観ているのだった)。
まず最初に、プルーストの『失われた時を求めて』の第五篇『囚われの女』からアケルマンが自由に翻案した作品という、『囚われの女』を観た。
シモン(スタニスラス・メラール)という青年は、アリアーヌ(シルヴィ・テスチュ)という女性のことを愛し、または愛しているつもりで、シモンが祖母と住む邸宅の一室に住んでいる(もしくは、かこわれている)。二人は結婚はしていない。
シモンはアリアーヌのすべてを知りたいと思い、車で出かけるアリアーヌを車で付けたりするし、そうでなければアリアーヌが出かけるときにはアリアーヌの友だちのアンドレを同行させ、シモンはそのアンドレからアリアーヌの行動のさまを報告してもらっている。
シモンとアリアーヌは不透明なガラスで仕切られた風呂に別々に入り、ガラス越しに性的な会話をする。しかしシモンは寝ているアリアーヌの裸の脚のあいだをみて、そしてその匂いを感じるのが好きなようで、いっしょのベッドに寝ても着衣のままのアリアーヌの腰に自分の腰を密着させ、自慰のように動くだけなのだ。
アリアーヌはアンドレと歌唱レッスンに毎週通っているのだが、アンドレに、そのレッスンにも来ているレア・ランドウスキという女性も出演するらしいオペラの舞台に誘われる。
その日、アリアーヌはアンドレと共にオペラ公演会場へ行き、シモンはひとり家に残っている。しかしラジオでそのオペラ公演の中継があり、それを聞いたシモンは家の運転士の運転する車で公演会場へ行く。
すでに公演の終わった会場では出演者やらでパーティーが開かれていたのだが、アリアーヌも出演者なのだった(シモンは知らなかった~聞いてなかった)。パーティー会場に足を踏み込んだシモンはアリアーヌの腕をつかむと無理矢理に外へ連れ出し、「友だちから引き離して悪かった。いい天気だから君と散歩に行きたかったのだ」という。車に乗るときにそのレアという女性が追ってきて、アリアーヌに親しげに「また今夜ね」といって別れる。
先にアリアーヌから「レアとは親しくない」と聞いていたシモンはレアの態度を疑問に思い、アリアーヌとレアは同性愛の関係ではないのかと疑う。
帰宅したアリアーヌが窓から外を眺めていると、別の建物の窓に女性が出てきて男の心をもてあそぶような歌を歌いはじめ、いつしかアリアーヌもいっしょに歌いはじめる。
「あの人の甘い言葉には 冗談で答えることにするわ」
「彼は言うでしょう 愛しい人 僕は死ぬ」
「そうしたら楽しいでしょうね なんて素敵な気晴らしでしょう」
その夜シモンは外に出かけ、街の娼婦らに「女性同士の感情」について聞く。また、男女の愛情についても「セックスのとき相手のことを忘れたりするか?」などと聞く。
眠れずに朝を迎えたシモンは、アリアーヌに「この先は不幸しかない」から今すぐ別れようという。「君も我慢の日々におさらばできるだろう」
シモンのいうことには何でも「いいわ」と答えるアリアーヌは、このときも「いいわ」と答え、荷物をまとめて叔母の家へ行くことにし、シモンの車で送ってもらう。
叔母の留守している家に着いた2人はしばらく話をし、「あと数週間やってみようか?」「いいわ」と、いっしょに車で戻るのである。帰路の車の中でもシモンはアリアーヌに「君の心は遠くにある」などといいはじめたりする。
2人は海沿いのホテルに泊まり、部屋でシモンは「しばらくしたら旅行に出よう」といい、アリアーヌは「あなたにまかせるわ」という。シモンは「アンドレも呼ぼう」などという。
夜中、アリアーヌはひとりで、ホテルの前の海に泳ぎに出る。
彼女のことを、その考えまですべて知りたいと思うシモンの愛は「自己完結」しているようで、彼のアリアーヌへの愛情表現は理解しがたい。シモンはおそらくは彼女が他の男にも会わないように気を配っていたことだろう(この映画には「若い男」というのはシモンしか登場しない)。しかしアリアーヌは女性だって愛するかもしれないではないか。そう考えたシモンは「一人相撲」に陥るだろう。
何でも従順に「あなたのいう通りにするわ」とばかりいうアリアーヌはもちろん本心を隠していて、シモンが恐れたようにシモンに隠していることもたくさんあっただろう。
まあ普通であればシモンのような男、「もうごめんだわ!」と、たいていの女性は逃げ出してしまうように思うが、この映画はそんな男女の「愛」における、精神面での男の「エゴ」を描いたのだろうか。ちょっとまだ、わたしの中で「答え」は出ていないが。