ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『危険なメソッド』(2011) デヴィッド・クローネンバーグ:監督

 この作品のことはまるで知らなかったが、ジークムント・フロイトカール・グスタフユングとのドラマ、そこにわたしの知らなかった人物だが、ザビ―ナ・シュピールラインという実在の女性が絡むのである。ザビーナはやはりのちに精神分析医になるのだが、映画の冒頭では彼女自身が精神病院へ収容される患者であり、担当医はユングなのだ。ザビーナはのちにユングと関係を持ち、自身が精神分析医となり、フロイトと文通もする(じっさいにフロイトと会ったこともある)。そりゃあまさに「危険なメソッド」であろう。人物関係を聞いただけでおそろしい。
 映画を観ると、この3人にプラスしてユングの妻のエマ、そして関りは短いあいだだったとはいえ、けっこう強烈なパーソナリティーの持ち主だったらしいオットー・グロース(この人も精神分析医であった)という人物も絡み、もうた~いへんなのである。

 そしてこの映画の監督はデヴィッド・クローネンバーグで、プロデューサーはジェレミー・トーマス。ユングを演じるのはマイケル・ファスベンダーフロイトヴィゴ・モーテンセン、ザビ―ナ・シュピールラインを演じているのはキーラ・ナイトレイなのだった。オットー・グロースはヴァンサン・カッセルが演っている。

 そもそもはこの話、1977年にザビーナ・シュピールラインの日記と書簡が発表され、それこそ「スキャンダル」というか、それまで知られていなかった新事実が明るみになったことから始まっているわけで、書簡にはザビーナからユングへのもの、さらにフロイトへのもの、そしてフロイトからザビーナ宛てのものが含まれていたらしい。
 じっさいにはユングからザビーナに宛てた手紙もあるらしいのだけれども、ユングの遺族が発表をストップさせたらしい(そういう内容だったようだ)。
 そのザビーネの日記・書簡をもとに、1993年にジョン・カーという人が「A Most Dangerous Method: The Story of Jung, Freud, and Sabina Spielrein」というノンフィクションを書き、さらにそのノンフィクションをもとに、クリストファー・ハンプトンが「The Talking Cure」という戯曲を書いたのだった。
 この『危険なメソッド』という映画は、その「The Talking Cure」を、クリストファー・ハンプトン自身が映画のために脚色したものである。

 映画を観ていると、フロイトユングとの対話というのは記録に残っているわけではないから、お互いの著作から、また一般のフロイト評、ユング評から抽出して「二人の会話」に仕上げているようではある。ユングフロイトの理論を「何でもセックスに結び付けすぎる」と批判し、フロイトユングに「神秘思想に接近しすぎているのでは?」と疑念を語る。ただ、互いに「自分のみた夢」のことを語り、その夢を互いに「夢分析」するという場面など、お互いに相手の中にどんな人物像をみているのか、ということが露わになるようで、けっこう面白かったし、ユングとザビーネの「あらあら」という関係、ユングの分析治療のやり方の一端が見られたりもした。

 しかし、ザビーネとフロイトとの手紙のやりとりはまさに「現物」から書き下ろしたものだろうから、かなり生々しいというか、「ナマの声」という感じはする。

 映画としてはユングとザビーネ、そしてユングの妻との関係、ユングフロイトとの関係を追っていくわけだけれども、ザビーネに惹かれているユングは、フロイトによって彼の療養所に送られてきたグロースの「ただ自由であれ」という助言(?)に従ってザビーネと関係を持つ。しかしユングの療養所を訪れたフロイトに、「ザビーネは色情狂」とも言われ、「これからはただ患者としての関係であろう」とザビーネに伝える。しかし関係は続く。
 フロイトは「ユングこそ自分の後継者」と思っていたが、彼のザビーネとの関係、彼の「神秘主義」への傾倒から、ついにはユングと絶縁する。ユング自身も自分のことを「卑俗なブルジョワ」と分析するように、そこには「精神分析理論」の導き出す回答ではなく、「世俗的一夫一婦主義」を捨てられない男の姿があるようだ。ザビーネとの関係を絶ってもまた、自分の患者と交際するユング。彼はザビーネにさいごに、「許しがたいことをしつつ、人は生きていく」と語るのだった。
 
 わたしはザビ―ナ・シュピールラインという人をこれまで知らなかったから、彼女がどのような精神分析理論を唱えていたのかは知らないけれども、映画終盤でのフロイトとの対話で語る「性」と「死」の相克の理論は、むかしちょっと読んだジョルジュ・バタイユの「エロスとタナトス」のことを思い出させられた。
 いろいろと「濃い」対話のつづく映画で、「これはある程度フロイトユングのことは知っていないと厳しい映画だろうな」とは思うのだった。

 途中、フロイトユングとが共にアメリカへと向かい、その船のデッキで二人が夢の話をするとき、フロイトのうしろには夜の暗い海が拡がっていたのが、とっても心に残った。