もちろん、むかし鑑賞したことのある映画ではあるが、今となっては(わたしの「記憶障害」もあり)ほとんど記憶していない。そういうところで「初めて観る映画」と変わりはない。でも、とっても面白かった。この複合して重層的なストーリーは原作に内包されていたものなのだろうけれども、それをあからさまに前面に出さずにおいたあたりにこの作品の「成功」があるのかな、とも思う。
もちろん、バッファロー・ビルという変態シリアルキラーを探り出し、拉致されている女性を救い出すという喫緊の問題はあるのだけれども、観ているとこの劇構成として、ヒロインのクラリス・スターリング(ジョディ・フォスター)とハンニバル・レクター(アンソニー・ホプキンス)、そしてクラリスのFBIの上司であるクロフォード(スコット・グレン)との微妙な三角関係物語、とも読み取れる。
レクター博士は連続殺人事件解決のために自分のもとに派遣されたクラリス・スターリングから、彼女を派遣したクロフォードはクラリスと「関係」を持ちたいと望んでいるのではないかと推測するが、映画の展開はその推理は外れてはいなかっただろうというところをみせる。
死体発見現場にクラリス・スターリングと共に到着したクロフォードは、奇妙な気遣いをみせてその場にいた男性の保安官、警官らを排除するのだけれども、そのあとにわざわざスターリングに「あれはおまえを気遣ってのことだった」と語り、マイナス点を稼ぐし、ラストにスターリングにレクターから電話がかかってきたとき、電話口に向かうスターリングを呼び止め(その電話がレクターからのものとは知らなかっただろうとはいえ)、まあ言ってみれば「邪魔」をするのである。
しかしスターリングはレクターとの「面談」で彼女の内面について問われ、レクターへの執着は強くなっている。
決定的なのは、レクターが警備の薄い「にわか刑務所」に移送されたとき、スターリングはクロフォードの指示ではなく自分の意思でレクターに面会することで、ここでこの映画の白眉である二人の「対話」がなされ、タイトルの「羊たちの沈黙」とは何か、ということが観る側にも明らかにされる。そういうところでは、クラリス・スターリングにとって、ハンニバル・レクターとの対話は、FBIでの身体的「訓練」を越えた、その内面の「精神的成長」を促すものではあったのだろう。
その「白眉」の対話シーンの撮影、そしてアンソニー・ホプキンス、ジョディ・フォスターの演技は素晴らしいもので、特にアンソニー・ホプキンスへの演出、そのライティングとか素晴らしいものだったし、アンソニー・ホプキンスの「まばたきもしない」演技も「強烈」なものだったと思う。
もちろん、そういう「背景」にプラスして、本題の「シリアル・キラー摘発」というストーリーがまた緊迫感満点の演出で、これは楽しめる作品だった。