原題は「Spellbound」で、「魅せられた」とか「魔法にかけられたように」みたいな意味合いだけれども、映画を観て考えてみると、イマイチどういうことかよくわからないわたし。まあ、あっという間に恋に落ちてしまう主人公2人のことをいっているのだろう。前の『断崖(Suspicion)』、『疑惑の影(Shadow of a Doubt)』と合わせて、「人の心的状態」をあらわすタイトルで、この時期のヒッチコックの映画製作姿勢がわかる気がする。
この作品からプロデューサーにデヴィッド・O・セルズニックが復帰しているのだけれども、そのためにヒッチコックが苦労したというような話はあんまり確認されなかった。というか、この映画自体がセルズニックが精神分析を受けた体験から「精神分析を主題とした映画を撮ったら?」と提案したという。
ここでまたも、グレゴリー・ペックとイングリッド・バーグマンという、当時「勢いのある」俳優を主役に迎えているし、脚本はベン・ヘクト、音楽はミクロス・ローザと、この数本のヒッチコックは、当時のアメリカ映画のキャスト・スタッフの実力者をみ~んな使ってしまうような感じだ(ミクロス・ローザはこの作品でアカデミー音楽賞を受賞している)。撮影は、『レベッカ』につづいてジョージ・バーンズであった。この作品は、この年のアカデミー賞で作品賞・監督賞の候補にノミネートされたという。
また、この作品で語らずにはすませられないのは、グレゴリー・ペックが見た夢の映像化に、あのサルバドール・ダリが携わったこと。ただこの夢のシーンはあまりに長すぎて(当初は20分あったらしい)セルズニックも却下し、使われたのは2分間だけになった(使われなかったフィルムは行方不明らしい)。この時期ダリは戦禍を避けてアメリカに住んでいてグッドタイミングだったが、ダリは1938年にシュルレアリスト・グループから除名されていて、アンドレ・ブルトンからは「ドルの亡者」と呼ばれていた頃だ。この映画でもドルをいっぱいせしめたことだろうが、その2分間のシーン、彼の旧作の焼き直しっぽいとはいえ、意外と本気で取り組んでいる印象ではあった。
ストーリーは思いっきり「精神分析」による謎解きで、実は精神科医院の新しい病院長としてやって来た男(グレゴリー・ペック)は病院長ではなく、その男は記憶喪失で自分の名前も思い出せない(おそらくは病院長を殺害しているのではないか?と思われている)。それを精神分析医(イングリッド・バーグマン)が、男のオブセッション(邦題の『白い恐怖』の来たるところ、である)と、彼の見た夢とから、彼の意識下の行動を解明するのである。
実のところあまりにも表面的な「精神分析療法」(「療法」というか「解明」だが)なので、21世紀の今になってこういう映画を観ると「過去の遺物」という感覚も持つし、そもそもわたしはウラジーミル・ナボコフの本をいっぱい読んで来たもので、ナボコフの「フロイト嫌い」にすっかり共鳴する人間になってしまっていて、ちょっと「バカバカしい」と思ってしまうわたしがいる。
けっこうその「謎解き」で解明される事実と「夢」とのこじつけも、「なんだかな~」という感じ。ただ、真犯人のちょっとした「言い間違い」から「彼が犯人だ」とわかるのは精神分析とは関係ない推理小説の常道なのだから、納得した。
そうはいってもやはり、美しいイングリッド・バーグマンと若々しいグレゴリー・ペックの演技は新鮮で、けっこう惚れ惚れしたのだった。
ただ、わたしどもは高校生の頃に最初にフロイトの精神分析を知ったとき、「何でもセックスの問題にしてしまうのだな」などとも思ったわけだけれども、当時保守的だったアメリカ映画協会は、この映画の脚本の性的表現に異議を唱え、「欲求不満」や「性欲」ということばを問題にし、映画の冒頭に登場する精神科の患者に「色情狂」らしい人物が描かれていて、その人物の登場シーンの大部分が削られたらしい。
この映画に、イングリッド・バーグマンの精神分析の師として、マイケル・チェーホフという人が出演していて、この人はこの年のアカデミー助演賞の候補になったらしいのだが、実はこのマイケル・チェーホフ、スタニスラフスキーの実際の弟子でもあったそうで、アメリカで多くの俳優に演技を教え、イングリッド・バーグマンもまた彼に教わった「生徒」であったという。
当時はけっこう斬新なストーリーではあっただろうし、イングリッド・バーグマンとグレゴリー・ペックの魅力的な演技もあって批評家らからも好評で、興行収入も大成功を収めたという。