ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『白鯨』(1956) ハーマン・メルヴィル:原作 ジョン・ヒューストン:監督

 わたしは昔、この原作を読んだことはある。「筑摩世界文学大系」の一冊で、阿部知二の翻訳だった。ストーリーから外れて「クジラ」のこと、そして「捕鯨」のことについての記述もいっぱいあり、いわば「鯨の百科全書」的な書物だった。かなり分厚い本だったし、読み終えたときには「読んだぞ!」って気分になったものだった(今はもうほとんどその内容も忘れてしまってはいるが、この映画を観ると、登場人物の名前はけっこう記憶しているようだ)。じっさい、『白鯨』は読み通すことの困難な本の一冊にあげられることも多いらしい。
 まだその本は持っているはずなので、「どこにあるかな?」と探してみたけれども見つからなかった。そうするとなんだか、急にまた読みたくなってしまうのだった。

 さて、このジョン・ヒューストン監督による映画版『白鯨』だけれども、この原作の映画化はこれで3度目のことだったようだが、ヒューストン監督は以前からこの映画化を望んでいて、映画会社と「エイハブ役には名のあるスター俳優を起用する」という条件で契約し、ついに映画化の夢がかなう。しかしエイハブ役にはグレゴリー・ペックが起用され、「あまりに若すぎる」など映画公開後も批判の声があったし、何よりもグレゴリー・ペック自身がその配役に違和感を持ったらしい(以後も、ペックはこの作品での自分の演技に納得していないようだ)。
 原作からの脚色にはジョン・ヒューストンレイ・ブラッドベリの二人が共同作業にあたったというが、レイ・ブラッドベリはこのとき、自分をしろうと扱いするジョン・ヒューストンの強圧的な態度に辟易したという。

 映画はさすがに「鯨の百科全書」的な展開は取り入れようもなく、原作のメイン・ストーリー、ただ一人生き残ったイシュメール(リチャード・ベイスハートが演じた)の手記の映像化、という体裁になっていたが、アイルランドでのロケ、じっさいの海上でのロケも活かされ、ドラマとして生き生きとした作品ではあったと思う。エイハブ船長のセリフでもかなり長い彼の捕鯨哲学、宿命のモビィ・ディックへの怨念が語られ、単純な娯楽映画ではない奥行きをみせていたと思う。
 撮影も船上での様々な角度のカメラ位置、大量の水を使っての撮影、そして夜のシーンの美しさなどが印象に残った(従来のカラー・フィルムにモノクロ・フィルムを重ね焼きし、原作本『白鯨』にあった捕鯨の版画を思わせる深みを出したようだ)。
 終盤のクライマックス、その「モビィ・ディックとの死闘」は今観ても相当の迫力で、スペクタクル映画の「範」、といってもいいのではないかとも思ったし、そのモビィ・ディックを「巨大な神/悪魔」のごとくに見せる演出にも心動かされた。今観ても「これは公開当時も相当ヒットしたのではないか?」と思ったのだったが、実のところそこまでのヒットでもなく、膨大な製作費をマイナスするとかなりの赤字になってしまったらしい。どうも「娯楽映画」というには暗い内容、七面倒くさいエイハブ船長の「長セリフ」などが敬遠されたのではないか、ということだったが、今は暗い内容の映画でもヒットするようになってはいるし、ちょっと見た映画の感想を集めたサイトでも評価は高かったみたいだ。時代による映画の見方の変化、というようなことを思わせられた。

 エイハブ船長を演じたグレゴリー・ペックはさすがに若すぎるというか、この映画撮影時にまだ40歳(映画の中には「ワシが最初にモビィ・ディックに出会ってから40年」というセリフがあるというのに)、たしかに無理を感じさせられる(わたしが観たのはあまり出来の良くない「吹替版」で、彼がどのようにセリフ回しをしたのかはわからないが)。
 このことは単にエイハブ船長のことばかりでなく、エイハブ船長に対抗する大事な役だったと思う一等航海士のスターバックもまた、わたしには演技力~インパクト不足のように感じられた(辛口評、ゴメンナサイ)。そんな中でわたしは、船員スタッブを演じたハリー・アンドリュースの生き生きとした演技がお気に入り。この人の顔は記憶にあると思ったら、わたしの好きな映画、ジョセフ・ロージーの『唇からナイフ』にも出演されていたのだった。