ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『マーニー』(1964) アルフレッド・ヒッチコック:監督

 ヒッチコックは『鳥』よりも先に、このウィンストン・グレアム原作の『マーニー』を撮りたかったらしいのだが、そのマーニー役にモナコ公妃のグレース・ケリーを考え、実際に依頼したという。「窃盗犯」であり、性的にも歪んだ観念の持ち主であるマーニーという女性を、いくら元女優だからといえ、一国の公妃に依頼するというのは「非常識」も極まるというか、人間としてどこかバランスを逸していたのではないだろうか。それでそんな「マーニー=グレース・ケリー」計画が頓挫したとき、ヒッチコックは先に『鳥』を撮ることにし、そこでティッピ・ヘドレンを起用したのだった。
 このときヒッチコックはティッピ・ヘドレンの髪型、口紅の色、衣服にもあれこれ注文をつけ、それはまさに『めまい』の劇中でジェームズ・ステュアートがキム・ノヴァクにやったこととまるで同じなわけだけれども、ヒッチコックはそのことを自覚できていたのだろうか。彼は『めまい』のように、ティッピ・ヘドレンをもう戻って来ないグレース・ケリーにしようとしたわけだろうか。以降の有名なティッピ・ヘドレンへの執拗なセクハラも、ヒッチコックの中ではティッピ・ヘドレンはグレース・ケリーに見えていたのだろうか。
 『鳥』の撮影中に、ヒッチコックは『マーニー』への出演を彼女に依頼していたらしい。

 一方、彼女と共演する男優には、そのときジェームズ・ボンド役で売り出し中だったショーン・コネリーがオファーされたが、彼は自ら「ヒッチコックの映画に出たい」という希望を語っていたらしい。彼は出演が決定する前に脚本を読ませてくれるように求め、ちょっと周囲を驚かせたらしいのだが、それはヒッチコックでも『北北西に進路を取れ』のような映画なら、ジェームズ・ボンドと変わらないから出たくなかったかららしい。
 映画でショーン・コネリーの亡き妻の妹役で、ダイアン・ベイカーという女優さんが出演しているが、彼女はずいぶん後にあの『羊たちの沈黙』で、誘拐された女性の母親の上院議員役で出演していたのだった。
 また、映画のラストの方の回想シーンで、映画のキモとなる「乱暴な船員」を演じているのは、若き日のブルース・ダーンではあった。

 脚本はさいしょ、『サイコ』の脚本を書いたジョセフ・ステファノが担当したが途中降板、『鳥』のエヴァン・ハンターが後任となったが、マーニーと夫のマークとの「性的なシーン」の解釈でヒッチコックと対立し、解雇されてしまうのだった。さいごにヒッチコックは、ミリュエル・スパークの『ミス・ブロディの青春』が戯曲化されたものを読み、その作者のジェイ・プレッソン・アレンを雇い入れた。
 ジェイ・プレッソン・アレンにとってはこれが脚本家としてほとんど最初の仕事だったが、のちに彼女の『ミス・ブロディの青春』も映画化されたし、長く脚本家として活躍したのだった。

 この作品はヒッチコックにとって、長年仕事を共にした音楽のバーナード・ハーマンと、撮影のロバート・バークスとの最後の仕事になった。二人ともこの作品でもいい仕事をされているわけだが、特に撮影のロバート・バークスへの評価は極めて高いようだ。

 さて、映画の内容だけれども、ヒロインのマーニー・エドガー(ティッピ・ヘドレン)は、偽名でいくつかの会社に就職し、仕事ぶりを評価されるようになったあと、会社の金を持ち逃げする「常習犯」。彼女には不仲の母があり、母を援助する送金は続けている。
 フィラデルフィアの会社経営者マーク・ラットランド(ショーン・コネリー)は、面接に来たマーニーが「窃盗犯」であることを知りながら彼女を雇う。
 マークは彼女には何らかの精神障害があり、特に赤い色に対して過剰な反応を示すことを知り、彼女を愛しながらも彼女の精神障害の原因を探り、治療しようとするのであった。

 ちょっと、このマークという男の「忍耐強さ」には頭が下がるのだが、この映画からは、いったいマークはどうしてそこまでにこの盗癖のある女性を愛するのか、イマイチわかり切らない。やはりそこは「ヒッチコック映画」であるわけだから、人はそこまでの理由がなくっても人を愛してしまうものなのだ。
 しかしこの映画では、マーニーはマークを拒み続ける。それは性的な「潔癖症」でもあり、まあ「拒まれれば追い求める」性癖からマークはマーニーを求めるとも取れるのだけれどっも、けっきょくマーニーの「潔癖症」、「赤色へ抱く恐怖」とは彼女の母親との幼少期の体験に根差すものであったと、ラストの「謎解き」で解明されるわけだ。
 この「謎解き」は、ヒッチコックの演出もあってとっても面白いのだけれども、やはり『白い恐怖』での精神分析謎解きに似て、今の時代ではさすがに「古めかしい」とは思ってしまうわたしがいる。