ヒッチコックはこの作品の前、『ダイヤルMを廻せ!』『裏窓』と連続して、ドラマ進行を一室内に限定するような作品を撮っていたけれど、それで「外に出たい!」と強く思ったのかもしれない。この『泥棒成金』(あまり好きな邦題ではない)ではアメリカを抜け出して、南フランスのコート・ダジュールだとかリヴィエラとかのリゾート地でロケを行った。おそらくヒッチコックらキャスト、スタッフの連中は、オフの日にたっぷりと「休養」したことだろう。
作品としてもロケ地の魅力をたっぷりと撮り、導入部での空撮によるカー・チェイスの撮影など、さすがのものである。
主演はヒッチコック作品3作連続して主演のグレース・ケリーと、『断崖』以来の主演になるケーリー・グラント。
グレース・ケリーはこの映画公開の1955年に「カンヌ国際映画祭」に招かれ(この『泥棒成金』が映画祭に出品されたわけではないようだ)、そのときにモナコのレーニエ大公と出会い、翌1956年4月には結婚して「モナコ公妃」になっちゃって、映画界は引退してしまうのである。映画界での活動期間はわずか5年のことだった。
『断崖』の中で、ケーリー・グラントがジョーン・フォンテインを乗せた車で海沿いの崖の上の道で猛スピードを出し、ジョーン・フォンテインが命の危険を感じるシーンがあったが、この映画では逆にグレース・ケリーが崖の上の道で猛スピードを出して、ケーリー・グラントがおびえるシーンがある。ヒッチコックもやはり『断崖』を意識してこのシーンを撮ったのだろうけど、のちのグレース・ケリーの死因を考えると、何とも言えない気分になる。
かつて「The Cat」と呼ばれる宝石泥棒だったロビー(ケーリー・グラント)だが、その後レジスタンス活動で英雄となり、事実上恩赦されている。今は引退、リヴィエラの屋敷で優雅な生活を送っているが、今になって彼の手口をまねた宝石泥棒があらわれ、ロビーが疑われる。
彼は「宝石泥棒」を自らの手で捕らえ、自分の無実を証明しようとする。保険会社のヒューソンの力を借り、「次に狙われる富豪」を予測してもらうのだった。
ロビーはそのリストにあったスティーヴンス母娘と知り合い、特にその娘のフランセス嬢(グレース・ケリー)と親しくなる。
しかしロビーの目配りにもかかわらずスティーヴンス夫人の宝石が盗まれてしまう。
そのあと、リヴィエラで盛大な仮面舞踏会が開かれる予定があり、ロビーはその舞踏会に罠をかけて、真犯人をつきとめて捕えようとする。
ヒッチコック映画によくあることで、グレース・ケリーはあっという間にケーリー・グラントに恋してしまうのだが、これはもはや「いくら何でも」という展開で、「またかよ~」というのを通り越して呆れてしまう。
さらに、花火をバックにしたこの二人のラヴシーンで、二人の心の高まりに比例して花火が打ち上がり、さいごに二人が熱いキッスを交わすときには、花火はまるで「暴発」するかのようであった。正直言って「アホらしい」。ヒッチコックともあろうものが、これではまるで三流監督の演出だ。あきれた。
他にもこの映画には、わたしがどうしても首肯出来ない表現がいくつかあって、実は観ていてげんなりしてしまったのだった。書いておくとそのひとつが、スティーヴンス夫人が喫っていたタバコを食卓の目玉焼きに突き立てて消すシーンで、わたしはこういうの、こういう行為が大っ嫌いというか、みていて気分悪くなってしまった。実はここで「再生」を止めて、「もう観るのは辞めようか」とも思ったのだった。
終盤のクライマックスの「仮面舞踏会」も、「ヒッチコックって、こんなに趣味の悪い人間だったのか!」というダサさだったし。
そういうわけで、いちおう最後まで観たのだが、ヒッチコックらしいサスペンスも皆無だったし、「真犯人」も、観ていれば早くに「コイツだ!」と気づいてしまう。ケーリー・グラントも、屋根の上では「怪盗ルパン」のような颯爽たるいで立ちではなく、どうも腰が引けて見える(歳のせいもあるよなあ)。
ケーリー・グラントとグレース・ケリーの「ラヴロマンス」にしても、グレース・ケリーの美しさには見惚れてしまうけれども、それ以上のものでもなかった。
正直、近年観た映画で最もつまらなかった類(たぐい)の作品でもあり、それがヒッチコックの作品だったということで、心底ガッカリさせられた作品ではあった。