ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『ハリーの災難』(1955) アルフレッド・ヒッチコック:監督

 原作はイギリスの小説家、ジャック・トレヴァー・ストーリーによる小説をアメリカの劇作家、ジョン・マイケル・ヘイズが戯曲化したもので、(しっかりと確認は取れていないが)この映画化の前にイギリスでの舞台はかなりヒットしたという。またジョン・マイケル・ヘイズは、ヒッチコックの『裏窓』『泥棒成金』、そしてこの次の『知りすぎていた男』と、4本の作品で脚本に協力したらしい。

 そして、この作品から音楽はバーナード・ハーマンが担当するようになる。「撮影:ロバート・バークス、音楽:バーナード・ハーマン」という、ヒッチコック映画の「黄金の組み合わせ」が始まる。
 あともうひとつ、この作品のオープニング・クレジットのバックのかわいいイラストは、ソール・スタインバーグによるもので、見方によっては「この映画でいちばん素晴らしいモノだ」と言えると思う。

 映画の撮影はバーモント州の郊外での野外ロケで行われたというが、9月下旬で撮影地はまだ紅葉が残っているだろうという予想に反して、葉はほとんど残っていなかったのだった。そんなもので、スタッフは枯れ枝に葉っぱを貼り付けて対処したらしい。
 さらに撮影中に雨が長く降り続け、急きょ高校の体育館を借りてその中で撮影した。しかし、体育館の屋根に降り続く雨音のため、撮影後に大規模な再録音を行わなければならなかったという話だ。

 この映画に出演しているのは、それまで「名脇役」として知られていた俳優が多いけれど、シャーリー・マクレーンがこの映画でデビューしたことはよく知られている(映画撮影時に、彼女はまだ20歳だった)。ヒッチコックは彼女の着ていた青い服の襟元を開き気味にして、チラッと彼女の胸元に観客の目が行くような撮り方をしているし、そういうことなくってもコケティッシュな彼女の魅力はしっかりと出ていた。

 ストーリーは、そのバーモントの小さな村の近くの小高い丘の上に、男の「死体」が横たわっていたことから始まる。
 さいしょに死体を見つけた子どものアーニーは、お母さんのジェニファー(シャーリー・マクレーン)に知らせるために家へ取って返す。次にウサギ狩りをしていたアルバートが死体を見つけ、「自分がまちがって撃ってしまったのだ」と思い、死体を埋めようと考える。するとグレイヴリー夫人がやって来て、死体を見てしまう。彼女もまた、その死体の男にその丘で襲われたので、自分の靴のヒールで男を殴っていて、そのせいで男が死んだのだと考える。
 ジェニファーがアーニーと共に戻って来て、アルバートとグレイヴリー夫人は身を隠す。ジェニファーは別れていたが自分を追って来た夫のハリーを、その朝牛乳瓶で殴って追い出していて、彼女も「自分のせいでハリーは死んだのだ」と思うが、そのままアーニーを連れて家に帰ってしまう。
 さらにド近眼の医師が死体に躓くが死体に気づかずに行ってしまったり、浮浪者がやって来て死体の履いていた靴を失敬して行ったりする。

 画家のサムも登場し、アルバートから事の経緯を聞き、2人で死体(ハリーという人物の死体だとわかったが)を埋めてしまう。しかしそのあとにアルバートは残った銃弾の数から、自分が撃ったのではないと気づき、死因を確認するために死体を掘り起こす。死体の額に何かで殴られた傷跡があることを確認し、また死体を埋めてしまう。
 しかしそれを聞いたグレイヴリー夫人が「自分は正当防衛でやましいところはないから、死体が見つかってかまわない」と言い出して、自ら死体を掘り返しに行く。しかししかし、「死体はジェニファーの夫のハリーだったわけだから、やはり死体は埋めておこう」となる。
 しかしさらにこの村の保安官代理が「浮浪者が新しい靴を履いていたのでどこで手に入れた?と聞いたら、丘の死体から失敬したというのだ」などと言い出すし、医者も絡んで来て、ついには「もういちど死体を掘り起こして、死因をちゃんと調べよう」ということになる。ハリーの死因は「心臓麻痺」だったと判明し、もういちどアーニーが死体を発見したところからすべてやり直そう、ということになったのであった。
 この死体にまつわる話とは別に、画家のサムはジェニファーに結婚を申し込んで承諾を受けるし、グレイヴリー夫人とアルバートというカップルも誕生したようだった。

 こうやって「あらすじ」を書いてみても、何が何だかわっからないし、つじつまが合わないようなところもある。
 しかし、「死体」をめぐるドラマとしてはそういう「緊張感」のないドラマだし、みんなまるでホームドラマの延長のように死体のことを語り合う。そういうところに「ブラック」さを内包させた、奇妙なほのぼのとしたユーモアを読み取ればいいのだろう。
 ただ、そういうところで前の『泥棒成金』に続いてヒッチコック流の「サスペンス」はまったく捨てられてしまっていて、ヒッチコックとしては毎回試みて来た「コメディ要素」を、この際一気に全開放させてみたかったのだろうか。よくわからないが、そういうのはビリー・ワイルダー監督の方が上手いような気がする。この映画が、独特の「奇妙な」映画であることは認めるけれども。