ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『疑惑の影』(1943) アルフレッド・ヒッチコック:監督

 ヒッチコックとしては『レベッカ』に始まり『断崖』へと引き継がれた「男女の関係性の中のミステリー」という主題といえるのだろうか。この主題はしばらく間をおいて、最後に『めまい』という大輪の花を咲かせるだろう。

 この作品の製作関係のことは調べてもよくわからなかったのだけれども、2年前に『偽りの花園』でデビューし、それ以降連続してアカデミー主演女優賞候補になっていた(42年の『ミニヴァー夫人』で主演女優賞を得る)、当時もっとも注目されていただろう女優のテレサ・ライトと、『市民ケーン』、『偉大なるアンバーソン家の人々』とオーソン・ウェルズの作品に出演していたジョセフ・コットンと、話題に事欠かないだろう2人のスターの共演というのは豪華だ。
 また。脚本には劇作家として著名なソーントン・ワイルダーの名も見られるし、音楽でヒッチコックは初めてディミトリ・ティオムキンと仕事をしている(映画の冒頭、ちょびっと音楽はうるさかった)。これだけのキャスト、製作陣を準備出来たのはプロデューサーの力とも思えるが、この映画のプロデューサーとして記載されているジャック・スカーボールという人は、そこまで著名なプロデューサーでもないようだ。

 『断崖』では新婚夫婦の妻が夫を信じられなくなるというストーリーだったが、この『疑惑の影』ではティーンエイジャーのヒロイン(テレサ・ライト)が、昔からあこがれていた「すてきなおじさま」の叔父(ジョセフ・コットン)がしばらく自分の家に滞在することを喜ぶのだが、そのうちに叔父のことを刑事らが調べようとしていることを知り、じっさいに叔父の行動に不可解な点を認め、疑惑を強めていくというストーリーである。

 この作品が魅力的なのは、ストーリーがきちっとしていて曖昧なところも破綻もなく、ヒッチコックの手慣れた演出がヒロインの疑念をしっかりと描いていることだし、さらにヒロインの父と母、まだけっこう幼い妹と弟とで、アメリカの典型的な家族の生活ぶりがあらわされていること、その家族だけでなく推理小説ファンの父の友人や、町で出会うヒロインのクラスメイトらがやはりきっちりとドラマを盛り上げていることだろうか。

 そしてヒロインが叔父に疑惑を抱くこととなる、叔父からヒロインに贈られたエメラルドの指輪の、ミステリーの典型的な「小道具」としての使い方が見事。その指輪はプレゼントだというのに、ヒロインとは異なるイニシャルが刻まれていたのだが。
 ヒロインは、叔父がある日の新聞を皆の目から隠そうとしたことから、その新聞を図書館で調べ、過去の未解決の「未亡人殺し」の被害者のイニシャルが、まさに贈られた指輪に刻まれたイニシャルだったと知るのである。
 この図書館の場面、すでに閉館時間を過ぎて無理に入れてもらっていたせいでもうメインの明かりも落とされ、館内に誰もいないのだけれども、まずはヒロインの横顔を捉えたカメラは座った彼女のうしろへと引いて行き、そのまま高く上昇し、立ち上がって呆然とするヒロインの姿を上から捉える。さらにこのシーンの影、ヒッチコックといえばいつも「影」の演出なのだけれども、ここでの影は決して現実にはそうは映りっこない、いわば「非現実」の影であって、ここでヒロインの中で「何か」が崩れ落ちたシーンとして、大傑作の演出だったと思う。

 そういう「影」はこの映画の中でさまざまな場面で印象的な映像を見せてくれていたし、例によって「階段」の描写にも素晴らしモノがあった。ジョセフ・コットンが階段の上に立ち、下にいるテレサ・ライトを眺めているシーンは、シチュエーションを変えて何度も繰り返されたし、逆に階段を降りて来るテレサ・ライトの手の指に例の指輪がはめられているのを見て、ジョセフ・コットンが「彼女は知ってしまっている」と認識し、彼女への殺意を抱くシーンも、いかにも「サスペンス」だった。

 いちおう、冒頭にジョセフ・コットンが誰かに追われている場面もあり、「やはり彼は殺人犯なのか」とは思いながら観ていたが、まあ『断崖』で「ケーリー・グラントはやはりジョーン・フォンテインを殺そうとしているのか」見ていてもわからないことになってたわけで、ここでも「ひょっとしたらジョセフ・コットンが犯人というのではないのでは?」などという気もちも抱きながら観ることになった。

 ジョセフ・コットンがある夜、テレサ・ライトを連れて町のパブに行き、まるで「自白」のように自分の人生哲学を語って聞かせる場面も、このドラマの中で「なぜこの男は犯罪を犯したのか」という、しかとした裏付けを与えるシーンとして重要だっただろうし、この「場末のパブ」という雰囲気も出色モノで、ドラマのほとんどがヒロインの明るい家庭で繰り広げられたから、その対比で(叔父の生きる)「世界の暗黒面」を見せたという感じでもあった。

 ジョセフ・コットンとテレサ・ライトとの対立した緊張関係というのは、この2人だけのことで家族の誰もそのことを知ることはない(叔父が殺人犯と疑われていることも家族は知らない)のだけれど、けっきょく映画のラストも、すべてはテレサ・ライトの胸の中にだけ秘めて、「叔父は殺人犯だった」などということは、家族らに知られないで終わるだろう。

 ただわたしとしては、そりゃあヒッチコックのことだから「ヒロインにロマンスを」というのはわかるけれども、どうみても彼女はハイスクール在学っぽいティーンエイジャーだし、ここで刑事の男に「一目惚れ」させるというのはあんまりピンと来なかった。刑事役の役者自体もイマイチだったことだし。
 「どうしてもロマンスを」ということであれば、ヒロインのクラスメイトの男の子ででもあった方が良かったと思うのだが、そういう演技が出来る若い役者は見つからないか。

 ヒッチコック自身、この作品は「お気に入り」だったらしく、トリュフォーとのインタビューでも「お気に入り」と認めていたらしい。当時の一般の批評もとっても高評価だったという。わたしも、この映画は大好きだ。