ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『サイコ』(1960) アルフレッド・ヒッチコック:監督

 ついに、もうひとつのヒッチコックの「代表作」、1960年の『サイコ』を観る順番になってしまった。
 というか、わたしは『めまい』、そしてこの『サイコ』の2本こそヒッチコックの「大傑作」だろうと思っていたのだが、昨日観た『北北西に進路を取れ』もまた、ヒッチコックお得意の「サスペンス映画」の完成形というか、相当な傑作だと思ったし、このあとの『鳥』だって「動物パニック映画」というジャンルを誕生させた傑作だろう。この時期のヒッチコックは「無双無敵」というか、乗りに乗っていた時期だったのだろう。
 今になっても、「ホラー映画」というものを考えるとき思い浮かべるのは、スタンリー・キューブリック監督の『シャイニング』の「Here's Johnny!」の場面と、この『サイコ』のシャワーシーン、なのではないだろうか。ちなみに、日本ではこの年の「キネマ旬報ベストテン」で「35位」だったという。「なんやねん」という感じだが。
 いわゆる「サイコパス映画」ということでも、あのジョナサン・デミ監督の『羊たちの沈黙』に大きな影響を与えているのが、この『サイコ』であろうし、『サイコ』をもっと過激な描写にすることから「スプラッター・ホラー」というジャンルが生まれたのだろう。

 この『サイコ』は、ロバート・ブロックの同名小説を原作とし、実在のシリアル・キラーエド・ゲインをモデルにしていたのだけれども、ヒッチコックのアシスタント・スタッフのペギー・ロバートソンは新聞に掲載されたロバート・ブロックの小説の紹介記事を読み、ヒッチコックに勧めることになる。ヒッチコックはこの小説の権利を9500ドルで買い取り、映画化しようとしたが、そのときの契約会社パラマウント映画は、この小説の映画化に反対だった。
 ヒッチコックは「低予算」のモノクロ映画で撮ること、自分の契約金も公開後のチケット売り上げからの歩合にする(このことが逆にヒッチコックには膨大な利益となるのだが)など譲歩して、スタッフも当時テレビで始めていた「ヒッチコック劇場」のスタッフを使うことになった(そのため、いつもの撮影監督のロバート・バークスはこの作品に関わらなかった)。
 主演のジャネット・リーも、アンソニー・パーキンスも、通常考えるよりも安い出演料で契約することが出来たが、これは当時のヒッチコックのネームバリューによるものだったようだ。
 舞台となる例の「ベイツ・モーテル」はユニヴァーサル・スタジオの中に建設され(「パラマウント映画」なのになぜ?)、今もそのまま残っていてスタジオツアーのハイライトになっているらしい。そのモーテルの奥の丘の上の「ベイツ邸」は、エドワード・ホッパーの「House by the Railroad」をモデルに建てられたという。その、元になった絵は下に掲げておく。

     

 脚本はジョセフ・ステファノという、それまでほとんどキャリアのない脚本家が担当し、ヒッチコックと打ち合わせをしながら脚本を仕上げた。結果として原作にあった「性的な要素」を切り捨て、原作ではわずかな出番だったマリオン・クレイン(ジャネット・リー)の登場する前半部分を膨らませた。
 また、バーナード・ハーマンの音楽もこの作品の評価を高めた一因ともなったが、例のシャワーシーンでヒッチコックは当初、音楽は使わないつもりだったらしい。しかしバーナード・ハーマンが「まあ聴いてくれよ」って感じであの自作曲を聴かせ、ヒッチコックは大いに気に入って彼の音楽を使うことにしたのだという。

 ヒッチコックは撮影の前に、スタッフらに原作本を出来るだけ買い占めさせ、観客が先にストーリーを知ることはないようにした(どれだけ効果があったかは知らないが)。
 また、ヒッチコックはこの映画の公開に際して、「映画開始後は誰も映画館に入場出来ない」という条件をつけた。これは最後に大きなネタバレのあるストーリー展開のための処置かと思ったが、そうではなくって、主演格のジャネット・リーは前半早くに死んで出番がなくなるので、途中から見た人が「ジャネット・リーが出てないじゃないか!」などと言い出すことを防ぐためだったらしい。って、むかしは映画を途中から見るなんていうのはごく普通のことだったのだ(わたしの幼い頃もそうだった)。

 この映画には超有名なシャワーシーンでなくっても、ヒッチコックらしいギミックな撮影で満ちているのだけれども、わたしはまずはこのファーストシーン、フェニックスの街の空撮から、マリオン・クレイン(ジャネット・リー)が恋人のサム(ジョン・ギャヴィン)と密会しているホテルの部屋の中へとそのままカメラが入って行くショットに驚かされる。観ていると「ああ、ココでつないだんだな」というところはわかるけれども、ただ暗黒の画面でつなぐのではなく、外からの光で光っている部屋の中のものの、その明るい部分をそのままに引き継いでいるので、つなぎ目がないように見える。
 次はやはり、預かった金を持ち逃げして車で逃亡するマリオンの、車の中での表情、視線と、車の周囲の風景との切り返しの連続シーンで、もうヒッチコックは『めまい』でもキム・ノヴァクの車を追跡するジェームズ・ステュアートの表情を見せることで、こういう「車を運転する人」の心理をその表情から読み取らせる演出には長けている。ここではマリオンの「不安」な表情。

 マリオンは「ベイツ・モーテル」に到着するが、ここでのモーテルの管理人室にはオーナーのノーマン・ベイツ(アンソニー・パーキンス)の趣味だという、多数の鳥の剥製が飾られている(客室には鳥の絵が飾られているが)。これは原作の読み替えというか、原作のモデルのエド・ゲインは墓場から掘り返した死体を使って切断、合成し、彼の「作品」ともいえる「人間の剥製」を作っていたことで知られている。それをこの『サイコ』では、「鳥の剥製」に置き換えたわけだろう。面白いことに、マリオンの姓は「クレイン」といい、それは「鶴」を意味している。鳥の名を持つマリオンの運命は、すでに決められていたのだ。

 ついにマリオンは「ベイツ・モーテル」に到着するが、この約3分のシーンの始まりではマリオンは現金の持ち出しを悔い、翌日にはフェニックスに持ち帰ろうと思っているわけで、ここでのシャワーは「罪を洗い流す」贖罪の意味をも持っていただろう。それは唐突に破られるのだが。
 伝説ではこのシャワーシーンは細かい78ものショットで成り立っているという(60ショットだという説もあるが)。これはもちろん犯人の姿をはっきり見せないためでも、煽情的にマリオンのヌードをはっきりと見せないためでもあるだろうけれども、ここまで来るともう、このシーンだけで「芸術作品」であろう。

 次に、行方不明になったマリオンを追って私立探偵のアーボガスト(マーティン・バルサム)がモーテルを訪れ、階段のところで刺し殺される、これも有名なシーンがあるが、そのあとにアーボガストと連絡を取って近くまで来ていたサムと、マリオンの姉のライラ(ヴェラ・マイルズ)の二人がモーテルを訪れ、ついに犯人を捕らえて謎が解けることになる。

 この、サムとライラが謎を解くという展開は、これまでのヒッチコック映画によくあった「謎解き」の展開で、いつものヒッチコック作品ならば、この二人は捜査の過程で愛し合うことになるのだが、さすがにこの作品ではそういうことにはしなかった。
 映画のラストシーンが、沼から引き上げられる沈んでいた車だったというのも、この作品のラストにぴったりだったように思う。

 この作品はアメリカをはじめ各国で大ヒットして、契約金を歩合制にしてあったヒッチコックは、大儲けしたはずである。