この作品は、ヒッチコックがシドニー・バーンスタインと組んでつくった「トランスアトランティック・ピクチャーズ」でのプロデュース作品。
原作であるこのパトリシア・ハイスミスの長篇デビュー作が発表されたのは1950年だから、ヒッチコックは刊行後すぐにこの小説の映画化権を買い取ったことになる。ハイスミスがまったく無名だったので、わずか7500ドルで権利を確保したらしいが、買い取るときにヒッチコックは自分の名前が出ないようにしたという。ハイスミスは、あとでそんな少額で権利を買ったのが誰かということを知り、いささか立腹したという。ところでわたしは、パトリシア・ハイスミスの邦訳全作品を持って読んでいる、ハイスミスの大ファンでもあるが。
ヒッチコックはこの原作を『舞台恐怖症』でも仕事をしたホットフィールド・クックに脚本の「第一稿」を書いてもらうが、それがあまりに同性愛的すぎることもあり、もういちど脚本化してくれる「有名な」作家を探したが、ジョン・スタインベックやソーントン・ワイルダー、ダシール・ハメットら8人の脚本家候補は、主にハイスミスが無名だというため、そして「話がばかげている」という理由で断って来た。そんな中でようやくレイモンド・チャンドラーが引き受けてくれたが(彼もまた、「ばかばかしいストーリーだ」と原作を酷評していたらしいが)、チャンドラーとヒッチコックとの折衝はいろいろな困難がつきまとったらしい。けっきょく彼の脚本はまったく使用されなかった。
ヒッチコックはさらに、前に何作かいっしょに仕事をしたベン・ヘクトを雇おうとしたが敵わず、彼のアシスタントのチェンツイ・オーモンドに脚本をまかせた。しかし、配給会社のワーナー・ブラザースの意向で、映画にはまったくその脚本を使わなかったレイモンド・チャンドラーの名前もクレジットされた。
クランクインも迫っていたので、チェンツイ・オーモンドはヒッチコックのアシスタントのバーバラ・オーキン、そしてヒッチコック夫人のアルマ・レヴィルとの3人で、夜遅くまで執筆し、何とか間に合わせた。
出演者は『ロープ』のファーリー・グレンジャーが主役のガイ・ヘインズを演じ、サイコパスな犯人のブルーノ・アントニーはロバート・ウォーカーが演じ、彼の演技は高く評価されたというが、そもそも精神を病んでアルコール依存症だったロバートは、この『見知らぬ乗客』公開直後の1951年8月、32歳の若さで急死されたのだった。
ガイ・ヘインズの恋人のアン・モートンには、ワーナー・ブラザースの圧力でルース・ローマンということになったが、ヒッチコックは彼女を「性的魅力に欠ける」として、役者としては軽んじていたという。
このアン・モートンの妹役で出演しているのは、ヒッチコックの娘のパトリシア・ヒッチコックなのであった。
また、この頃ヒッチコックの作品によく出演していたレオ・G・キャロルも、アンのお父さん役で出演している。
音楽は『疑惑の影』のディミトリ・ティオムキンで、撮影監督はこの作品からロバート・バークスで、以後ヒッチコックとロバート・バークスとは組んで、以後『マーニー』までの作品を共に撮ることになる。
ストーリーは、ガイが列車の中で乗り合わせたブルーノという男と食堂車で話をし、「オレがあなたの奥さんを殺すから、あなたはオレの父親を殺してくれ」と、交換殺人を持ちかけるのだ。ブルーノはガイが今の妻と別れて新しい恋人と結婚したいということを知っていたのだ。ガイはそのときイニシャル入りのライターを忘れ、ブルーノの手に入ることになる。
ガイはそんな話にとりあわないでいたが、ブルーノはそのとき別居していたガイの妻のミリアムが男友達らと遊園地に遊びに行くのを尾行し、彼女がひとりになったときに絞殺してしまう。
ブルーノは「オレはあんたの奥さんを殺したから、今度はあんたがオレの父親を殺してくれ」という。ガイがまったく相手にしないとみると、列車で手に入れたガイのライターを殺人現場に置いて、ガイが犯人だと見せかける計画をとる。
ブルーノの計画を察知したガイは、自分自身も遊園地へ行って阻止しようとするが、そもそもミリアム殺しをガイの犯行と疑って探っていた警察も、遊園地へと集合することになった。さて。
ヒッチコックの映画には珍しく、原作からそれほどに離れた作品というわけではなく、基本的なプロットも同じだし、登場人物の名前まで原作を引き継いでいる。ただし大きな違いもあり、原作ではガイはブルーノの父親を殺害してしまうのだ。ガイの職業も、原作では建築家ではある。
パトリシア・ハイスミスはこの映画について当初は賞賛していたけれど、後年、やはりロバート・ウォーカーの演技を賞賛しながらも、アン役のルース・ローマンが気に入らず、ガイが建築家からテニス選手に替えられたこと、そしてガイがブルーノの父親を殺さなかったことを批判するようになったという。
やはりこの作品の、映画としての見どころは、まずはブルーノがガイの妻のミリアムを絞殺する場面で、遊園地でボートに乗って遊園地から離れた「魔法の島」という島の草むらへ行き、そこで殺人が行われるけれども、このとき途中でボートに乗るブルーノの影が、ミリアムたちの乗るボートへかぶさって行く。
そしてブルーノが人のいないところでミリアムの首を絞めるのだけれども、ミリアムから外れて地面に落ちたメガネに、その絞殺の様子が反射して映るのだ。
今ならこんなシーン、あとでコンピュータ処理して簡単なことだろうが、ここではじっさいにメガネのレンズに映るがままを撮影しているのがけっこうすごい。
そして、観る人の誰もが「うわっ!」と思うだろうシーンが、テニスの観客席にいるブルーノをカメラがとらえる場面で、観客は皆テニスのボールを目で追って、顔が皆そろって左右に動くのだけれども、その中で一人だけカメラの方を凝視する人物がいて、カメラがその男に寄って行く。男はブルーノなのだが、まさにこの短かいショットで、観客にブルーノの異常性、薄気味悪さを印象付けてしまう素晴らしいショットだ。
さらにブルーノがガイを罠にはめるためにまた遊園地に置いて来ようとするガイのライターを、側溝の中に落とし込んでしまい、それを必死に拾おうとするブルーノの手、指先のクローズアップ撮影のシーンも、ドキドキするだろう。
そして、クライマックスは遊園地でのメリーゴーラウンドの「暴走」になるのだけれども、メリーゴーラウンド上でブルーノとガイがもめ出して、警官が発砲するとメリーゴーラウンドの運転手に当たってしまい、運転手はメリーゴーラウンドを暴走させて倒れてしまうのだ。
このシーンはちょっとヒッチコックらしくないというか、以後のアクション映画のクライマックスのようでもあるが、過去の『間諜最後の日』での列車爆破・脱線シーンも思い出させられるところがあった。
主役のファーリー・グレンジャーは、前の『ロープ』で「自分たちの犯行を隠そうとしてナーヴァスになる姿」が、「自分たちのホモセクシャルな関係を隠そうとしてナーヴァスになっている姿」とダブる役で好演していたが、この作品で彼がホモセクシャルだったということはないが、ブルーノの側にはそういう要素はたっぷりあり、そういうのは映画の冒頭でこのファーリー・グレンジャーとロバート・ウォーカーとが並ぶことで、「二人の関係性」として説明がなくても浮かび上がって来るものではあったろう。
そしてヒッチコックはこの作品で初めて、「サイコパス」というか狂気を孕んだ人物(犯罪者)を登場させて彼自身の作品の振幅を拡げ、来るべき『サイコ』をも予感させているのかもしれない。