ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『I AM アルフレッド・ヒッチコック』(2021) ジョエル・アシュトン・マッカーシー:監督

 そもそもはカナダでのテレビ放映用として撮られた作品らしく、「ヒッチコック入門」的な総括的なつくりにはなっていたが、それでも興味深いところはいろいろとある作品だった。
 映像として、テレビの「ヒッチコック劇場」の冒頭の、ユーモラスなヒッチコック登場シーンを数多く見せてくれていたのがうれしかった。

 この作品にはエドガー・ライトジョン・ランディスイーライ・ロスらの監督がコメントを語り、短いけれどもスピルバーグ監督、スコセッシ監督、ウィリアム・フリードキン監督のコメントも含まれている。あと、珍しいところで、『めまい』に出演のジェームズ・スチュアート、そしてキム・ノヴァクのコメントも短いけれども挟まれていて、この二人へのインタビューで残っているものはもっとあるんじゃないかと思ってしまった。
 ヒッチコックの孫娘のテリーもインタビューに答えていて、彼女が大学で「ヒッチコック作品を観て分析する」という課題を課され、『疑惑の影』を選んでヒッチコックにも手伝ってもらったというのだが、提出したレポートの評価は低かったらしい。それを聞いたヒッチコックは「仕方ないよ」と言ったらしいが。

 面白い話だったのは、ヒッチコックは幼少期にいたずらが過ぎ、父親に警察署に連れて行かれて、5分間ぐらいだけれども監獄に閉じ込められたことがあり、それが彼の「トラウマ」になっているのではないかという(このことはWikipediaにも書かれていた)。
 母親も厳しい人で支配的で、体罰も課したといい、そのことが彼のミソジニー志向に影響を与えたのではないかともいう(このことは『サイコ』の被害者が女性であったことから、映画史に悪しき影響を与えたのでは、というコメントが語られた)。

 アメリカへ拠点を移して以降の、セルズニックとの確執も語られていたが、ヒッチコック自身「第二次世界大戦」下のアメリカで自分の立ち位置をアピールするためにも、『海外特派員』での唐突なプロパガンダ演説も撮ったのだという分析。また、アメリカ社会に同化して以降、平穏に見えるアメリカ社会にも危機は忍び寄っていることを『疑惑の影』であらわしたともいう。

 わたしがこれまで知らなかったのは、イギリス時代にヒッチコックの秘書となり、ヒッチコックが「彼女もアメリカに連れて行く」といっしょにアメリカに渡った、ジョーン・ハリソンという存在のことで、彼女はヒッチコック作品の脚本も手掛けたのだが、何よりも『三十九夜』でヒロインにマデリーン・キャロルを推し、ヒッチコックの「ブロンド美女偏愛」をスタートさせたという考察が面白かった。
 ジョーン・ハリソンはその後自ら映画プロデューサーとして独立し、その時期ヒッチコックからは離れるのだけれども、後のテレビの「ヒッチコック劇場」時代に、再びヒッチコックを手伝うことになったという。ヒッチコックのことを考える上で、重要な存在ではあるのだろう。

 わたしは今ちょうど、ナボコフについての本も読んでいたのだが、ヒッチコックナボコフとは同じ1899年生まれだし、アメリカへ渡ったのもほとんど同時期なのだった。
 アメリカの地でヒッチコックが自分を売り出すための戦略、それとナボコフの実践した戦略とを考え合わせると、いろいろと興味深いことも思いついて考えてしまう。一度は「ナボコフ:脚本、ヒッチコック:監督」という作品があってもよかった気もするし、そんな作品を観たかったとも思う。