ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『まわり道』(1975) ロビー・ミューラー:撮影 ヴィム・ヴェンダース:監督

 昨日観た『都会のアリス』に続いて、同じリュディガー・フォーグラーが「ヴェンダースの分身」のような主人公を演じ、あちこちをさまようという、まさに「続篇」だけれども、『都会のアリス』が即興を多く取り入れた、ヴェンダース自身の脚本ではあったのが、この『まわり道』では、のちに『ベルリン・天使の詩』の脚本を書くペーター・ハントケの脚本での作品である。
 ここでは前作の「アリス」の代わりに「ミニョン」としての少女があらわれ、その庇護者(?)の老人と共に主人公と行動を共にしているわけになる。ちなみに「ミニョン」を演じているのはこれがデビュー作になるナスターシャ・キンスキーではある。
 「ミニョン」というのは、ドイツを代表する作家・ゲーテの「ウィルヘルム・マイスターの修業時代」に登場する少女の名で、実はこの映画「まわり道」は、その「ウィルヘルム・マイスターの修業時代」を下敷きとした作品ということで、主人公の名も「ヴィルヘルム」というのである。
 それでこの映画でも、主人公は「小説家」を目指しながらも「書けない」でいる。彼の母親は「理解があって」というか、自分たちの住まいを売り払い、その金の半分を主人公に渡して「旅に出なさい」というのである。その旅の過程で、その「ミニョン」と老人、女優や詩を書いている青年らと出会い、いっしょに行動するのである。

 前作『都会のアリス』にわたしが共感したというか「心通わせた」のは、その中に60年代後期の「ヒッピー文化」の影響を読み取ったからという、いささかスノビッシュな理由もあったわけだけれども、そういうところでこの『まわり道』はしんどかった。ここには思いっきり、1975年の戦後ドイツの問題が描かれているし、そこにゲーテの意識まで含まれて来るのだから。
 主人公は「政治問題で小説は書けるのか?」みたいなことを自らに問うが、この問いはどうやら(わたしはそのあたりよくわからないが)小説家ゲーテに関連した「問い」らしい。
 じっさい、「ミニョン」の庇護者だった老人は実は元ナチス党員で、ユダヤ人を殺したとも言うのだが、この時代のドイツではこういうことは「深刻な」過去ではあっただろう(ちなみに、日中戦争時に同じような問題を背負っていただろう日本は、そのあたりの「問い」をスルーしたまんま80年の歳月を経て来ているだろう)。
 ところで、登場する「女優」を演じているのは『マリア・ブラウンの結婚』などで有名なハンナ・シグラで、詩が好きな青年ランダウを演じているのは、ダニエル・シュミット監督の『ラ・パロマ』などに出演していたペーター・カーンではあった。特にペーター・カーンが出て来たときには、わたしも「この人何かの映画で観たことある!」って思ったのだった。

 いちおう、次の『さすらい』までが、ヴェンダースの「ロードムーヴィー三部作」と言われているようで、明日はその『さすらい』を観てみようと思っている。