ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

2021-05-23(Sun)

 新しいキャットタワーは、いちばん高い位置のニェネントの丸い「定座席」の一段下に、ちょっと広い四角い台があるのだけれども、この台がわたしのベッドとだいたい同じ高さだった。
 夜中にフッと目覚めて横を見てみると、そのキャットタワーの台のところでニェネントが丸くなっていて、つまりわたしと並んで寝ているような感じなのだった。いい感じである。

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 今日は日曜日でいつもなら北のスーパーに買い物に行くのだけれども、今日は米を買いたいということもあるし、電車で2つ行ったところの駅前のスーパーがいつも米は安いし、ちょうどそのスーパーで使える「全品1割引」券も持っているので、わざわざ電車に乗って買い物に行くことにした。それで、駅に行くのに「ふるさと公園」を突っ切って行く道を選ぼうと。

 今日は天気も良く、公園にもそれなりの人出があった。特に釣りをする人の数が多く、前にコブハクチョウの家族が休憩していた場所にも、釣り人たちが並んで池に釣り糸を垂れているのだった(下の写真では、野鳥撮影家が並んでカメラを構えているが、何か珍しい野鳥がいるのかもしれない)。むむむ、これではコブハクチョウの家族も近づきがたいところもあるだろうし、落ち着いて子育てもできないことだろう。「もっと人の少ないところを探そう」と、家族でお引越しをした可能性も強いのではないか。もう、あの家族の姿は当面見られないだろうか。

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 このところ、雨の日が多かったし、日照時間も短かかった。そのせいか、雑草のあいだにムクムクとキノコが成長し始めていた。

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 駅へ行き、電車に乗って2つ先の駅まで出て、駅前のスーパーへ行く。まずお米を探したが、普段はもっと安い米を売っていたはずが、この日はそこまでに安い米はなかった。まあ銘柄米だからいいとしよう。
 この駅前にはもう一軒、すぐそばにスーパーがあり、こちらのスーパーは自宅の北にあるスーパーと同系列のスーパーだから、いつも買う肉まんとかもあるだろうかと立ち寄ってみた。
 しばらくこのスーパーに立ち寄ったこともなかったのだけれども、安いものはけっこう安い。買おうと思っていた肉まん、ウチの北のスーパーで売られていたのと同じ肉まんが、50円以上も安く売られていた。同系列のスーパーなのにずいぶんと価格差があるな~、どうなのよ、という気分にはなる(安いのはうれしいが、毎週このスーパーに買い物に来るつもりもないからな)。

 午前10時に家を出て、帰宅したのは12時半だった。2時間半の「お買い物」か。単に食品の買い出しとかの買い物と考えると、ちょっと時間のかけすぎではないかと思う。やはり普段は近場で買い物をすませたいものだ。

 昨日はIOCのジョン・コーツという人物が「緊急事態宣言下だろうがオリンピックは実施する」という発言をしてびっくりさせられたのだが、今日はあの「ぶったくり男爵」とも呼ばれるバッハ会長が、「オリンピック開催を実現するには、われわれは犠牲を払わなければならない」と語ったというのだ。
 いったいここで「われわれ」というのが誰のことを指すのかわからないが、今げんざいの状況を考えれば、すでに「オリパラやるぜ!」と突き進むスカ内閣・小池都政の下、犠牲を強いられているのはわたしたち日本人こそ、であり、つまりバッハ会長の発言は「日本国民には犠牲を払っていただきたい」と言っているとしか理解できないのである(IOC関係者がオリンピック開催で「犠牲を払う」ということは想像しがたい)。そして、ここでバッハ会長が言う「犠牲」とは、「人が死んでも仕方がないよね」と言っているように聞こえてしまう。そんなことまでして実施する「オリンピック」とはナニモノなのか。
 わたしはここで、『オリンピック憲章』というものをちょこっと調べてみたのだが、そこには以下のような文章もあるのだった。

 オリンピズムは、肉体と意志と知性の資質を高揚させ、均衡のとれた全人のなかにこれを結合させることを目ざす人生哲学である。オリンピズムが求めるのは、文化や教育とスポーツを一体にし、努力のうちに見出されるよろこび、よい手本となる教育的価値、普遍的・基本的・倫理的諸原則の尊重などをもとにした生き方の創造である。


 オリンピズムの目標は、あらゆる場でスポーツを人間の調和のとれた発育に役立てることにある。またその目的は、人間の尊厳を保つことに重きを置く平和な社会の確立を奨励することにある。この趣意において、オリンピック・ムーブメントは単独または他組織の協力により、その行使し得る手段の範囲内で平和を推進する活動に従事する。

 ‥‥「文化や教育とスポーツを一体にし」って、今の東京では美術館・博物館、映画館、劇場は閉鎖されていて、どこにも「文化」なんかないじゃないか、ということになる。そして、人間の尊厳を保つのであれば、「オリンピックの実施」の犠牲になる人があってもいいのだろうか?