ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

2020-07-22(Wed)

 今日は仕事の帰り、自宅駅からJRの南側の道を歩いた。この道は駅の南側で買い物をしたときに歩く道だけれども、気分転換にいい。
 線路のそばにはこんな鬱蒼とした、森のようなスポットもある(道がないし、もちろん入ってはいけないが)。

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 民家の庭に生えているヤマボウシの木に、実が育っていた。すぐに赤く色づくことだろう。

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 ウチの近くに来たとき、珍しくネコがいた。もちろん見たことのないネコだけれども、見ると銀色の鈴のついた首輪をしている。飼いネコなのだけれども、首輪をしているというのは外飼いなのだろうか。ひょっとしたら迷いネコではないかと思うのだが、まさかニェネントのいるわたしの部屋に連れて帰るわけにもいかず、そのままにして帰宅した。でも、もしも「迷い猫」なら、その飼い主さんはすっごい心配していることだろう。いちおうツイッターに「迷い猫?」ということで、大まかな目撃場所と共に写真をアップしておいた。

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 ついに、明日から4連休が始まる。本来だったらつまりは明後日から「東京オリンピック」が開催されるはずだったのだ。そのおかげの4連休だが、今げんざいは「1年の開催延期」というだけで「中止」は決定していない。誰がどう考えても1年後に開催できるとも思えず(Yahoo!の調査では、78パーセントの人が「中止になると思う」と答えている)、さっさと「中止」を決定すべきだと思うのだが、五輪組織委員長の森喜朗はすっかり「やる気」だし、安倍首相も精神論でCOVID-19を乗り切り、オリンピック・パラリンピックを開催するつもりでいるようだ。「Go To キャンペーン」といい、ここまで民意からかけ離れてしまった政権というのも過去になかっただろう。
 わたしが勤め先の駅から勤め先に歩くあいだに、小学生の描いた「2020年の夢」みたいな絵が道に沿って拡大プリントされて貼られている。基本は「オリンピック、日本がんばれ」みたいな絵である。そんな絵を見ると、「東京オリンピック」に夢を抱いていた子どもたちがかわいそうだなあとは思う。でもだからといって今の情勢では「オリンピック開催」はありえない。早く中止なら中止と決定を下すべきだろう。
 しかし、わたしなどの子どもの頃、例えば1964年の東京オリンピックの頃には、「発展する日本」という夢をみることも可能だった。でも、今の日本はただひたすら「衰退する国」でしかない。今の時代に成長する子どもたちも哀れなものだ。

 4連休が始まれば、ずっとニェネントといっしょのプチ「Stay Home」だ。明日にはわが家に「うなぎ」が届くわけだけれども、ニェネントは「うなぎ」は食べないだろうし、わたしだけおいしい思いをするのもニェネントに悪いと思い、いちど帰宅したあとに買い物に出た。電車の2駅先のスーパーの「10パーセント割引券」もあるので、電車に乗っての買い物。まずはニェネント用に「まぐろの切り落とし」を買い、「ちゅ~る」もまとめ買いした。あとはちょこっと自分用の買い物もして帰宅。

 ケータイに「このあたりに集中豪雨が来るかも?」という警報が何度も届くのだが、最近こういう警報が的中したことがない。「どうなるかな?」と思っていたが、やはりまるで雨など降りはしないのだった。
 ナボコフの『絶望』を読み終わり、次もまたナボコフを読みたいのだが、その前にまたパトリシア・ハイスミスの『太陽がいっぱい』を読むことにした。
 しばらく読んでいたら、「ヴォーグやハーパーや、バザーなどの雑誌類」という文章(訳文)に出会った。この本の翻訳は先日読んだ『見知らぬ乗客』と同じ人物の翻訳。翻訳されたのは1971年のことだが、そんな時代になってなお、英語の小説を翻訳しようとする人物が「ハーパーズバザー」を知らないでいるということが、ただ「驚異的」だと思うのだった。