ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『渇き』(2009) パク・チャヌク:監督

渇き [DVD]

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  • 発売日: 2010/07/23
  • メディア: DVD

 実は、パク・チャヌク監督の作品を観るのはこれが初めてかもしれない。ひょっとしたら『オールド・ボーイ』は観ているのかもしれないけれども、何一つとして記憶していないから観ていないのと同じことだ。

 さてこの『渇き』。ちょっとひねった「ヴァンパイア映画」なわけだけれども、わたしの中では劇中の家族ドラマがうまく咀嚼できない。
 冒頭からの病院~教会の場面の撮影とか美しく、「これはいい!」と思っていたのだが、その家族ドラマになると急に絵が汚くなり、演出もそれまでとちがって粗雑になる印象。そのあとも妙につまらないハリウッド映画みたいな演出になったり、東欧のカルトな映画を思わせる演出になったりした気がする。何だかひとりの監督の作品ではなく、複数の監督の撮ったものを混ぜ合わせたような感じを受けた。

 思ったのだが、やはりヴァンパイア映画というのは、ゾンビ映画と同じく「B級ホラー映画」の伝統の中でこそ輝くのではないか。例えばコッポラの監督した『ドラキュラ』なんかまた観たいとも思わないし、つまり妙に「文芸映画」になって欲しくない。そういう意味ではこの『渇き』も「文芸映画」と言い切れるものではなく、その家族ドラマとの絡みでは「B級ホラー」という空気も漂わせているのかもしれないが、やはり「食べ合わせ」が良くない感じがする。まあ奇妙な恋愛ドラマでもあるし。

 そういうわけで、一本の「映画」としてどう捉えるか、今はよくわからないところがあるのだけれども、もうひとつ、(ストーリーには関係ないことだけれども)わたしによくわからないことについて書いておく。
 それはこの映画の中のあるシーンで、「あ! ウィリアム・エグルストンだ!」という画面が出てきたわけで、これは天井が赤いこと、電球のまわりに3本の白いコードがあることなどから、ぜったいにエグルストンの有名な写真を再現して映画の中に取り入れていたろうと思う。
 その場面をテレビ画面から撮影したので、まずはここにあげておきたい。

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 そして、エルグストンの写真とはコレである。

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 わたしは別に「このセットはエグルストンの写真のパクリだ!」などと訴えたいわけではなく、そんなの知ってる人がみればすぐに「これはウィリアム・エグルストンの作品を取り入れたものだ」とわかるし、パク・チャヌク監督もそのことを承知でこのセットをつくっている。100パーセント意識してやっていることだろう。
 しかしわたしが疑問に思うのは、「ここでエグルストンの作品を参照して、いったいどういうつもりなんだろう?」ということになる。
 例えば、スタンリー・キューブリック監督は『シャイニング』の中でダイアン・アーバスの写真作品を引用しているわけだけれども、そのオリジナルのダイアン・アーバスの作品はまさに『シャイニング』の内容とリンクして、あのオーヴァールックホテルの「歴史に組み込まれた」奥深さをあらわしていたと思い、それはみごとなダイアン・アーバスへのパスティーシュになっていたと思う*1
 そしてもうひとつ例を挙げておけば、ゴダールの『気狂いピエロ』のラストシーンは、(これは「写真作品」ではないけれども)溝口健二監督の『山椒大夫』へのみごとなパスティーシュになっているわけだ。
 しかし、わたしはこの『渇き』で、あの場面でエグルストンの写真からの引用があって、「それがどうしたというのだ」という風にしか思えない。つまり、「パスティーシュ」になり得ていない。いったい、作家とは他の作家の作品をこのように取り扱っていいものだろうか? 簡単に言えば、わたしはここでウィリアム・エグルストンの作品を参照したパク・チャヌクの姿勢は「スノッブ」だと思う。わたしは「やらない方がよかった」というか、「やるべきことではなかった」と思う。どうだろうか?
 

*1:ついでだから書いておくと、この『渇き』にはキューブリックの『2001年宇宙の旅』からの「ホワイトキューブの影のない部屋」のパスティーシュがあった。これは「パスティーシュ」で理解できるのである。