今をときめくエドガー・ライトの、映画監督デビュー作(この前にテレビ作品の監督はしていたようだが)。この作品のあとエドガー・ライトは共同脚本/主演のサイモン・ペッグ、同じくこの作品にも出演しているニック・フロストと共にしばらく映画を製作している。
この作品はけっこう先日観た『ゾンビランド』に似通ったところもあり、この作品でゾンビが撲滅されず、さらに増加して行ったらば?というのが『ゾンビランド』の世界かな、とも思う。そういうところで、この作品のバックグラウンドには「青春コメディ」的世界が横たわっていると思ったし、主人公らが多数のゾンビに囲まれたとき、銃で打ち倒すときに時計の「何時の方向」と伝えて銃を向けさせるのは、『ゾンビランド』でもそのまんま出て来る。
この作品で面白いのは、やはり主人公のショーン(サイモン・ペッグ)周辺の人間関係と、その中でのショーンの「煮え切らなさ」が、ゾンビから逃げながらもポイントになって行くわけだ。
映画の冒頭で、それまでの恋人リズ(ケイト・アシュフィールド)に振られたショーンは、街にゾンビがあふれて来て「やばい!」となったとき、困った友人でルームメイトのエド(ニック・フロスト)と共に(リズに振られたのも、ショーンとエドとの「べったり」の関係にある)、リズを助けに行く(さいしょはいちばんに母を助けに行くのだが)。これはアレだね、「危険を冒して大事な人を救出しに行く」というのは、『クローバーフィールド』の設定に共通するところがある。
それと、わたしはじっさいのところどうなのか知らないが、イギリスの若者にとっての「パブ」というもののあり方というか。ショーンとエドはそれこそ毎日のように、住まいの近郊の「ウィンチェスター・パブ」に通うわけで、リズとのディナーの場所をそのパブに決めたことも、リズに振られる原因のひとつではあった。
まあ日本でいえば「居酒屋」みたいなモノと考えていいのか、居酒屋よりはもうちょっと「若者向け」に振れているというか、店内にジュークボックスなどもあるわけだ(「ジュークボックス」が「若者向け」ということもないか)。
けっきょく、ショーンとエド、ショーンの母のバーバラ、リズ、リズのルームメイトのデービットとダイアンの6人で、ロンドンの街中を「安全な場所」を求めるが、その「安全な場所」はまた、ショーンの意見では「ウィンチェスター・パブ」ということになる(パブには、使えるかどうかわからないがライフル銃が飾ってあったりする)。さいしょはバーバラの夫、ショーンの義父のフィリップ(ビル・ナイ)もいっしょだが、フィリップはすぐにゾンビ化してしまう。
このあたりの「仲間での脱出劇」というところも、『ゾンビランド』に共通するし、その中でいろんなギャグも振りまかれたりする(たいていは「困った人物」エドの生み出すギャグだが)。
エドガー・ライト作品の特徴である「演出に合わせた冴えた選曲」というのもすでに活きていて、わたしが爆笑したのはやはり、パブで皆がゾンビに襲われたとき、反撃するときにクィーンの「ドント・ストップ・ミー・ナウ」がジュークボックスの「自動選曲」でかかってしまうとことかな?
優柔不断なようなショーンだが、映画の進行と共にその「やさしさ」は際立つし、ショーン自身も人の「やさしさ」に気づくわけだ。お約束だが、ショーンとリズはよりを戻して生き残る。生き残った「半年後」のショットにも笑えたが。