ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『怪獣王ゴジラ』(1956) テリー・O・モース/本多猪四郎:監督

 1954年公開の日本版『ゴジラ』をアメリカが公開権利を得て、さらにそのアメリカ版『ゴジラ』に「ナレーション、英語吹き替え、映像の追加・修正・削除」を経てつくられた作品。新聞記者としてレイモンド・バーの出演する場面をアメリカで撮って全体を編集し、オリジナルから40分を削除し、20分が追加された。

 ゴジラ登場部分はやはりこの映画の「華」だから全部活かされたようだが、ドラマ部分はズタズタにされ、映像の順番が替えられた部分もあり、大きなプロットは残されているとはいえ、「ゴジラと核実験との関係」など、原水爆に関する部分はすべてカットされた。
 このことに関してWikipediaをみると、アメリカで配給に携わったリチャード・ケイという人物は「私たちは政治に興味がありませんでした。信じて下さい、私たちはただ売れる映画を作りたかっただけなのです。(‥‥)ストーリーを変えたのではありません。ただ、アメリカ的な視点を加えただけなのです。」と語っているという。
 ‥‥「正直な発言」というか、「核実験」に絡む部分をカットすることが「アメリカ的な視点」ということであり、そういう描写を残してしまうと「売れる映画」にはならない、ということなのだ。この件はアメリカでもオリジナルを知っている批評家などは問題にしていて、「原爆による被害の隠蔽を疑わせるかのような削除」と批判しているという。

 このアメリカ版『怪獣王ゴジラ』は全米283の映画館で「Prehistoric Women」(先史時代の女性)という作品と2本立てで公開され、興行収入は200万ドル以上になったといい、のちに1959年にはロザンゼルスでテレビ放映もされた。これはアメリカで興行的に成功したさいしょの日本映画だった。
 アメリカの配給会社はこの作品をフランスにも売り、フランスでもけっこうヒットしたのだった。

 Wikipediaで読んで面白いのは、「イタリア版」の製作・上映で、これは1977年のことなのだが、イタリアでは地方の配給会社から「白黒映画は上映出来ない」と拒否され、「では」とフィルムをカラー化したのだという。イタリアのプロデューサー、ルイジ・コッツィは「これが白黒映画をカラー化した最初の作品だ」としたらしい。
 面白いのはそのあとで、なぜかイタリアでは映画の上映時間は90分と決められていて(「90分ピタリ」ではなく、「90分以上」ということではないかと思うが)、『怪獣王ゴジラ』では80分と尺が足りないので、コッツィは15分の追加映像を挿入したという。そしてそのとき、彼は意図的に戦争映画から「死と破壊」の映像を取り入れたらしい。『原子怪獣現わる』や『ゴジラの逆襲』の映像もオマージュとして挿入したらしく、その「イタリア版」も観てみたいものだと思った。

 さてわたしは、今となってはオリジナル国内版『ゴジラ』のストーリーもあらかた忘れてしまってもいたわけで、このアメリカ版『怪獣王ゴジラ』がどれだけオリジナルから違っていたか、実はあんまりわかっていなかったのだが、一本の映画とみて「おかしな映画だ」という印象はある。
 しかしこうやって「ゴジラ襲撃」を中心に活かされた映像を見ると、その「ゴジラ登場シーン」がオリジナルでも30分以上あったようなことにおどろく。先日観た『空の大怪獣 ラドン』では、おそらくラドンが暴れるシーンは10分ぐらいのものだったろうし、昨日観た『大怪獣バラン』では、バランが画面に写ってはいても、バランが自衛隊の攻撃を受けてばかりいるシーンがほとんどで、バランが怪獣らしくも暴れるシーンは合計5分ぐらいのモノだったのではないか。
 そういう意味では、オリジナル日本版、このアメリカ版とを問わず、映画の中でこれだけ長時間、登場した怪獣が暴れまくるというのはやっぱり画期的というか、電車の車両をかじったり人のいる電波塔をブチ倒すところといい、その凶暴性もピカイチ。
 オリジナル版ではそこに「反核」というメッセージも織り込まれ(ゴジラが東京を襲ったあとの惨状は、どう見ても「東京大空襲」を想起させられるだろうし)、以降のあらゆる「怪獣映画」が、今だにこの『ゴジラ』を「規範」としていることもよくわかる。また海外でも、この中途半端な『怪獣王ゴジラ』においてでも、「怪獣映画」の魅力に取りつかれた人たちが大勢いたわけだろう(スピルバーグギレルモ・デル・トロも、さいしょはこの『怪獣王ゴジラ』を観たのではないだろうか)。

 あ、この日この映画を観てわかったのだけれども、昨日観た『大怪獣バラン』の中で、一般民が避難するところの映像の一部は、『ゴジラ』の映像の使いまわしだった。