本当は、先日観たアメリカ編集版の『怪獣王ゴジラ』よりも、このオリジナル版を先に観るべきだったのだけれども、仕方がない。
それでまず言えるのは、やはりアメリカ版はオリジナルにあった「核実験」についての言及を、意識的にカットしているということで、これはどうしても「政治的処置」と言われてもしょうがないだろう。アメリカは1960年代までもネヴァダや太平洋で核実験を継続していたのだから、そのアメリカの核実験のせいでゴジラがよみがえったなどという話は素直には見られなかっただろう。特に山根博士(志村喬)の映画ラストのセリフ、「あのゴジラが最後の一匹とは思えない。もし水爆実験が続けて行われるとしたら、あのゴジラの同類がまた世界のどこかへ現れてくるかもしれない」というのは、まぎれもなく核実験が地球の生態系を壊しているという、「反核」の立場であるだろう。
また、ゴジラの上陸も近づいた東京の電車の中で男女が会話を交わし、女性の方は「長崎から生き延びたというのに」というようなセリフもあり、ゴジラという存在が「核兵器」のメタファーであることもあらわになっている。
そして「アメリカ版」の感想でも書いたけれど、ゴジラの東京襲撃、襲撃後の惨状は明らかに「東京大空襲」をも想起させられるものだったろう。この映画の公開された1954年は「東京大空襲」の1945年から十年も経っていないわけだし、日本の観客の多くは戦時中の空襲被害、広島、長崎の原爆の被害を思い出させられたことだろう。ゴジラが銀座を襲うとき、ビルの陰にうずくまる母と子の母は「もうすぐお父さんのところへ行けるからね」と子に語り、ああ、お父さんは戦争の犠牲になったんだなと思い、今の時代でもこのシーンをみるとジーンとしてしまう。
前にも書いたけれども、この「ゴジラ東京襲撃」のシーンの撮影はじっくりと、丁寧になされており、ロングショットのゴジラの全身像、そして歩みを進めるゴジラの脚の横からのアップで、ゴジラが品川から銀座へと進んでいることを示すし、その脚を上から撮影し(ほとんどゴジラの目線)、ゴジラが蹂躙する市街や、ゴジラから逃げまどう人々の姿を捉える。市街のビルやガードを突き破ってゴジラの下半身があらわれて街を破壊する様子も凄味がある。さらにゴジラの顔を下からあおるように撮り、これは見上げる人々の視線でもあろうし、ゴジラの大きさを観客に印象づける。
わたしの記憶でも、これだけじっくりと怪獣のパワーを感じさせる怪獣映画も他にはないような気がする。日本の怪獣映画第一作にして、以後の「怪獣映画」のひとつの規範になったわけだ。
とちゅう山根博士が、ゴジラ対策会議のあと自宅書斎にこもり、部屋の明かりも消して考え込むシーンがある。山根博士の思いでは「貴重な新発見の生物なのに、殺してしまうしかないのか」ということで、この山根博士の思いはまたラストにも繰り返される。
これは原作の香山滋の思いなのかもしれず、香山氏は東邦社内での「完成試写」の際、ラストのゴジラの死を哀れに思い、一人座ったまま感極まって泣いていたという(Wikipediaによる)。死ぬゴジラを哀れに思ったのは香山氏だけではなく、主演の宝田明も「なぜ人間が罪のない動物を殺さねばならないのか」と感じたというし、観客からも「なぜゴジラを殺したんだ?」「ゴジラがかわいそうだ」という抗議があったという。これもまた、ゴジラ登場シーンが丁寧に撮られていた結果なのではないだろうか。
この思いがあって、香山氏は次の『ゴジラの逆襲』の原作も担当するけれども、このときはゴジラを殺さずに「氷漬け」で終わらせたらしい。
今回オリジナルを通して観て、ストーリー的にひとつわからなかったのは、さいしょに大戸島がゴジラに襲撃されたとき、ある民家から「しんちゃん」と呼ばれる少年が外に飛び出すのだが、その直後に少年のいた家はゴジラに踏みつぶされてしまう。するとそのあと、東京の場面でその「しんちゃん」は山根博士の家にいるわけで、ここの「つながり」は映画では説明されていない。
おそらくはゴジラの来襲で孤児になってしまった「しんちゃん」を、山根博士が自宅に引き取ったのではないかと思われるのだが(その後も、山根博士の行く先々にこの「しんちゃん」は同行しているし)、そういう説明描写はない。
ひょっとしたらそういう場面というのは撮影はされていたが、何らかの理由で本編には使われなかったのかもしれない。まあ「推測」はつくのでいいのだが。
余談だけれども、映画の中の会議で「ゴジラ上陸のおそれを国民に伝えるべきか?」という議論が起こるが、そのときに女性代議士(菅井きん)が「バカもの!」とか男勝りに声を荒げるシーンがあるけれど、わたしはここでつい、政府の「少子化対策」に絡んで発掘されてしまった過去の映像で、自民党の丸川珠代議員が「この愚か者めが!」と叫んでいたことを思い出してしまった。