ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

2021-06-09(Wed)

 ニェネントがこのところキャットタワーに上がらなくなっているので、夕方になってから、リヴィングでたむろしていたニェネントを抱き上げ、「ほら、このスポットをお忘れかい?」と、キャットタワーのてっぺんに乗せてやった。
 ニェネントはしばらくはそのキャットタワーの上でうずうずしていたが、そのうちに下に降りてしまう。「ああ、やっぱり何か気に入らなくなってしまったのかな?」と思ったのだけれども、そのあとすぐに自分からキャットタワーの上に跳び上がり、ずっと外を見張っているのだった。「あら、わたしったら、こ~んなスポットがあったこと、すっかり忘れちゃってたわさ!」とでもいうところだったのだろうか。

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 夜中に目を覚ましてキャットタワーの方に目をやると、ニェネントはしっかりとキャットタワーのてっぺんで丸くなって寝ていたのだった。一安心である。

 今日も昨日のように晴れて暑い日になった。仕事の帰りはまた「ふるさと公園」経由の道で帰った。歩く距離は長くなるのだけれども、多少は木陰の下を歩けるわけで気分が良くなる。鳥たちの姿が見られなくてもいいではないか、という気分で歩く。
 月曜日にコブハクチョウ家族を見た公園の手前に家族の姿は見られず、「やっぱり今日はいないか」と思いながら公園の中に入って行くと、意外と、今までコブハクチョウの姿を見たことのなかった公園の中ほどにある池に、家族の姿が見られた。

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 池のそばの柵の近くまで来ていたので、ひょっとしたらこの直前までどなたかが餌撒きされていたという可能性もある。

 見ていると、親鳥の一羽が「さ、行こうか」みたいな感じで家族を先導し、池の真ん中の方に進んで行くのだった。

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 こういう時に人間は、ジェンダー的な視点を取ったりして、家族をリードして行く一羽はきっと「お父さん」だぜ、などと勝手に思い込んだりするわけだが、そういう見方は「差別的」とも言えるのだ。
 じっさい、今日家族をリードしていたように見えた一羽は首に黒い輪をつけていて、この親鳥は月曜日には家族の最後について行った親鳥なわけで、そういう「どの親が家族をリードするか」というようなことは、固定されているのでもないように思ったのだった。

 家族はそのうちに池の対面の木陰に入って行き、見えなくなってしまった。今日も、姿が見えなくなる前のいいタイミングで、家族に遭遇できたのではないかと思う。

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 帰宅して、昨日つくった「肉じゃが」で昼食にする。たくさんつくったのでこの夕食もまた「肉じゃが」になるだろうし、まだまだ一食分は残りそうだ。たしかに「4食分」の材料でつくったわけだから、まさに「4食分」になるわけだ。

 やはり昨日のようにだんだんと気温も上昇し、エアコンのお世話になった。先日半分だけ観ていた「GYAO!」の無料配信映画、ダリオ・アルジェント監督の『サスペリア・テルザ 最後の魔女』の後半を観て、涼んだというか暑苦しい思いをしたというか。

 それでこの日は午後4時から、スカ首相と野党4党党首との「党首討論」というのがあるのだった。どうせまたスカ首相が「壊れっぷり」を見せてくれるのだろうが、野党側がどのくらい攻められるか見ておきたくて、チャンネルを合わせた。
 むむむ、コレが冒頭の立憲民主党(枝野代表)こそ30分の時間なのだが、その他の日本維新の会、国民民主党、そして日本共産党はそれぞれわずか5分の時間しかないのだ。これは議席数からの割り当てなのかもしれないが、日本維新の会とか国民民主党なんかはどーでもいいけれど、こういう場でいちばん攻めまくることが期待できる日本共産党が5分しか時間が割り当てられないというのは残念だ。というか、全体の時間が45分しかないというのが少なすぎるわけで、2時間ぐらいみっちりとやるべきだろうとは思うのだった。
 当然この日の論議の焦点は<東京オリパラ開催>に向けてのことになるだろうとは思っていたが、まず先頭の立憲民主党の枝野氏は、ちょっと詰めが甘かった感があった。ここで<東京オリパラ開催>で「国民の命と健康」を守れるのかと問われたスカ首相は、あろうことか自分が高校生だったときの1964年東京オリンピックの「思い出話」を延々と繰り広げ、「東洋の魔女」、アベベ、ヘーシンクなどの話を始めたのだ。こ、こ、こ、これのどこが「党首討論」なのか。おじいさんが老人ホームの食堂とかで始めてしまう「繰り話」というところで、介護の方が「おじいさん、またいつもの話が始まりましたね」みたいに言われてしまうようなもんだ。こ~んな話を、「党首討論」を期待してテレビを見ていた人々は延々と聞かされてしまったのだ。そりゃあ、同じように1964年の東京オリンピックを懐かしむ老人たちは「そうだそうだ、そうだったねえ」と相槌を打つのかもしれないけれども、「そういうことは老人ホームでやってくれい!」とは思うのだった。
 スカ首相にとっては、この「思い出話」は枝野代表との討論時間の30分をできるだけ潰すための策だったのだろうが、とにかくはこの討論はテレビを通じて全国に放映されている。皆「党首討論」を聞きたいと思っているわけで、ここでスカ首相の「思い出話」を聞かされて喜ぶヤツはいない。わたしはこのスカ首相のトークで、またまた彼の支持率は2~3ポイント下がったのではないかと思うのだが。
 やはりラストの日本共産党の志位委員長に期待するしかなかったのだが、志位氏が「(オリンピック開催で)リスクはゼロには出来ない、それでも開催する理由は何ですか?」と聞かれたことに対し、「国民の生活と命を守るのは私の責務だ」と、語気を強めて語るのだが、これはまったく志位氏の問いかけの答えにはなっていないのだ。志位氏はラストに、「国民の命よりも大事なものはない。日本国民の命をギャンブルにかけるようなことは絶対にやるべきじゃない。オリンピック・パラリンピックは中止して、そしてあらゆる力をコロナ終息にそそぐべきだ」としたのだが、この言葉にもスカ首相はまともに答えることはなかった。

 すべての討論を聞いて思ったのは、スカ首相はただ「ワクチン接種」こそが対COVID-19の「最大の武器」だと思っていること、ワクチン接種を進めること以外、COVID-19対策は何もやろうとしていないこと、そして何があろうと(たとえ国民が何万と感染し死のうが)東京オリパラは開催するという意志は固いのだということだけだった。‥‥このようなことを思考するのに、人間は首から上はほとんど使う必要はない。というかつまり、スカ首相は首から上を機能させているとは思えないのだ。
 ナボコフの小説に『ベンドシニスター』という作品があり、これはナボコフ流の独裁国家を描いたディストピア小説で、その独裁国家を支配するのはパドゥクという独裁者なのだが、彼は頭が悪いのだ。昔一度読んだだけであまり記憶していないナボコフの珍しい戯曲『ワルツの発明』もまた、まったく政治的思考力のない支配者のことを描いた作品だったと思うが、わたしは今、そんなナボコフ的なディストピア世界の中にいるのかもしれない。