新しい年になった。わたしはニェネントくんの「新年なんて関係ないね!」という暮らしぶりを見習って、お正月だからどうこうということはやらない。しかし、わたしにとって今年は「試練」の年になることと覚悟している。あれこれと不安は大きいのだが、「何とか大ごとにならずに乗り切りたい」と、新年らしく祈りたい。とにかくは、ニェネントくんといっしょに生きて行こう。
いつもと変わらない生活をしたいのだが、テレビはまったくいつもと違うことになっているし、近所の店舗も店によっては「正月休み」をしている。よく行く西の駅前の小さなスーパーは、たしか三が日はずっと休業なのだ。それで初詣には行かないことに決めているし、この日はいちにち部屋にこもるのだった。
テレビは幸いというか、朝から『孤独のグルメ』の一挙放送をやっていたのをつけっぱなしにした。まあ「ながら見」という感じで、熱心に見ていたわけではないが。
昼食は昨日から引きつづいての「スパゲッティ・ミートソース」で、この昼食で、6食連続したスパゲッティもようやく終了したのだった。
夕食にはストックしてあるいくつかの「北海道産ジビエ缶詰」のうち、「トドの大和煮」の缶を開けようかと考えた。北海道のジビエ料理でも、トド肉は美味でけっこう知られているらしい。
この「ジビエ缶詰」がなぜウチにあるかというと、話せば面白い話があるのだけれども、今日はやめておこう(けっきょく、その「トド肉」は食べなかったわけだし)。
トド肉缶だけでは淋しいかと、付け合わせにジャガイモとニンジンを煮て、白菜を加えてバターを乗せてレンジでチンする、というのをちゃっちゃっとつくったのだが、つくってみたら「こいつだけで充分ではないか」ということになり、そのトド肉缶を開けるのはやめてしまい、「海苔の佃煮」といっしょの食事になった。まったく「お正月らしくない」食事で、わたしの元日にふさわしい食卓になった。
この日はふと、「ウチのテレビはなぜ録画できないのだろうか?」などと考え出してしまった。もう勝手に自分で「録画できないから」と思い込んでいたけれども、リモコンを見ると「録画」だとか「録画リスト」とかのボタンもついている。中古(新品同様)で買ったテレビだから、取扱説明書もなかったのだろうと思い、型番からネット検索して取扱説明書を引っぱり出して読んでみた。それでわかったのは、外付けのUSBハードディスクを取り付ければ、それだけで録画できるのだった。
まあ今まで切迫して「録画したい!」と思うこともなかったから、「できないならできないでいいや」と放置して来たけれども、なんだ、容易く録画できるのではないか。「それでは」とさっそく、Amazonで安いのを探して注文してしまった。新年「初買い」ではある。到着は1週間ぐらい先になるみたいだ。
それで「このテレビも買ってからずいぶん年月が経ってるよなあ」と思い、古い日記でこのテレビを買った頃のことを検索して読んでみた。その顛末がなかなかのものだった(わたしが忘れてしまっていたことも多かったのだ)。
もう12年も前のことになる。わたしはその頃茨城県に住んでいたわけだが、ずっと見ていた古いブラウン管テレビがいよいよダメになり、まずは近くの「Hard Off」に行って24型のを買ったのだった。で、それまで使っていたテレビ台の上にセットしたのだけれども、実はそのテレビ台の上に置いてあった古いでっかいテレビの上は、(その頃まだ2歳だった)ニェネントくんの「憩いの場」だったのだった。
新しい薄っぺらい液晶テレビになっても、ニェネントくんは前からの習慣で、たびたびそのテレビの上に跳び乗ろうとしていたのだけれども、テレビを買って1ヶ月ぐらい経ったころ、ついにテレビ台の上からテレビを転倒させ、液晶画面が割れてしまったのだった。
「なんということだ!」とは思ったけれども、嘆いてもしょうがない。わたしはふたたび「Hard Off」へ行き、「とにかく安いものを」ということで、まるで聞いたことのない名のメーカー(中国?)の22型のテレビを買ったのだった。それで自宅へ持ち帰りセッティングしたのだが、なんともその色彩が不自然で気に入らない。「これはわたしには見つづけることは困難だ」と結論付け、翌日またも「Hard Off」へ行ったのだった。それで、現在もウチにあるテレビに買い替えたのだった。「Hard Off」の店の人に事情を話し、ウチまで配送してもらい、その昨日買ったテレビと、その前にモニターの割れてしまったテレビとを引き取ってもらった。返品で全額は戻って来なかったけれども、「ゴミ」として出すと有料になる「壊れたテレビ」を引き取ってもらったのはありがたかったのだった。
そういう次第で今のテレビが我が家に鎮座ましますことになったわけだけれども、12年前の、その当時の日記をつづけて読んでみた。
それでわかったのは、わたしは当時、盛んにテレビ放送を録画していたということだった。
これはちょっとショックだった。いつしかわたしは何らかの理由で「録画」ということをしなくなったわけだろうけれども、そんな、かつては録画していたということも記憶から消えてしまい、「録画はできないもの」と思い込むようになってしまったのだ。そこにはわたしの例の「記憶障害」ということが絡んできていると思うが、わたしの記憶で消えてしまったのは基本的には「観た映画のこと」「読んだ本のこと」「観た舞台や展覧会のこと」など、いわば「非日常」のことがらだけだと思っていたのだけれども、それだけではない、「テレビ番組を録画する」というような行為もまた、記憶からすっかり消えてしまっていたのだ。それじゃあやはり、いつ「記憶障害」の発作が起こるかわからない以上、仕事に就くことも難しいなと、あらためて思うのだった。このことを今後、どう考えようか。