正月三日目。早朝まだ暗いころ、寝ているわたしの頬をニェネントくんが自分の鼻でツン、ツンとしてきて目が覚めた。「ねえ、朝ごはんをちょうだいよ」というつもりだったのだろう。時計を見るとまだ5時半だったので、「もうちょっと寝させてよ」と、わたしはそのまま寝つづけたのだった。
この日もテレビに見たい番組もなく、パソコンを閲覧したり、ゲームをたらたらとやって時間をつぶしたりしていた(昨日とおんなじだ)。
いちおう新年から、年末に買った「ちくま日本文学」の『尾崎翠』の巻を読み始め、まずは冒頭の短編『こおろぎ嬢』は読み終えたのだけれども、けっこうすんなりとは読めない、構成のややっこしい作品だった。読後感想はこの本一冊をぜんぶ読み終えてから書こうかと思っているのだけれども、そのときに一篇ごとの感想を書いているとすっごく長くなりそうだ(全部で17編収録されている)。読み終えたごとにその都度一篇ずつの感想を書こうかとか、いろいろ考えているけれども、どうも結論が出ないまま次の作品を読み始めてしまった。どうするかわからない。
今日は午後から「Amazon Prime Video」で、クリストファー・ノーラン監督の『オッペンハイマー』を観た。それがこの作品は時系列を順番に描いているわけではなく、戦後に彼が受けた保安聴聞会と、彼を告発したストローズの公聴会のシーンから始まるし、カラーのパートとモノクロのパートとがあって、さいしょのうちは「どうカラーとモノクロを分けているのか」わからなかったし、また、数多くの人物が登場してくるわけで、あとの方になって、「あれ? この人物はどこで登場してたっけ?」とかわからなくなってしまいもした。映画としてとても面白かったし、全体の流れは理解できたとはいえ、どこか解り切れていない感覚が残ってしまった。それで時間はいっぱいあるし、また明日にでももう一度観直すことにしたのだった。この映画、映画館で観ていたらわたしはストレスがたまったことだろうと思う。
それで最近ネットのニュースなどを読んでいて思うのだけれども、このところずいぶんと「有料記事」が増えている気がする。「つづきを読むには『広告』を5秒間見て下さい」ぐらいは(うっとうしいけれども)ガマンするけれども、新聞社の記事などは、面白そうだと思って読み始めると「ココから先は有料です」などとなって読めないケースが多い。そういう記事もみ~んな「金払ってでも読むぜ!」なんてやっていると、そんな「有料記事」のための支払いはすぐに五千円ぐらい超えてしまい、一万円にもなってしまいそうだ。それに金を払ったからといって、以後そのサイトには月に一度ぐらいしかアクセスしないとなると、一回の有料記事に支払う額としてはすんごく高額になってしまう。わたしはそういう有料記事とはいっさい契約しないけれども(「さいしょの一ヶ月は無料」というのはたいてい、とっくにやってしまった)、最近有料なせいで読めない記事が多くなってきて、ストレスがたまる。
このお正月は国内は大きな事件もなくって安泰のようだが、海の向かいの大韓民国はずっと荒れているみたいだ。
年末の航空機事故の原因・責任も問われ始めていて、やはり機体が衝突した滑走路末端につくられていた塀(土手)が惨事を生んだと言われているようだ。
一方、長引く「大統領弾劾問題」の方は、捜査機関によって内乱罪による拘束令状の執行に向けて、捜査員らがユン大統領のこもる大統領公邸に行ったものの、大統領を警護する人員に建物内への立ち入りを阻まれ、この日の執行を中止したということだった。
わたしはいったい大韓民国内での「司法」というものがどういう位置づけなのかわからないけれども、ユン大統領周辺が拘束令状を受け入れなかったということは、「専断的な国家権力の支配を排し、権力を法で拘束するという『法の支配』の原理」からの逸脱ではないのか、とは思う。
一方、野党側の主張もまた「国会」という場を無視した無法行為と思えるところもあり、「何のために『国会』があるのか」と思ってしまう。ごく簡単に、乱暴に言ってしまえば「どっちもどっち」ではないかと。
この、今の「司法」も「行政」もないがしろにした状態、正常な「三権分立」から程遠くもあり、一種の「内乱状態」ではないのかと考える。今はまだ「武力衝突」は起きていないようだけれども、「一触即発」ではないのか。このままでは大韓民国の自国内での解決も危ぶまれ、「第三国」による調停工作が必要かもしれないが、それもどこが「第三国」になるかによって与党、もしくは野党の強い反発を呼ぶわけだろう。「処置なし」か?