ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

2022-06-08(Wed)

 昨日の朝は、ウチの前にやって来たネコに、ニェネントくんといっしょに出会ったが、今朝もわたしが家を出ようというとき、ニェネントくんはまた、和室のキャットタワーの上から窓の外を見ている。「昨日のネコがまた来ているのだろうか」と、わたしも窓の外を見てみたが、この朝はネコの姿は見られなかった。
 ニェネントくんは「昨日来たネコ、今朝も来るだろうかな?」と思って、外を見ていたのだろうか。
 いちおう、わたしが家を出るときには、ニェネントは「お見送り」に出て来てくれたけど。

 そしてわたしは、駅への道の途中の公園のそばで、白いネコに出会った。朝からネコに出会うことはめずらしいことだ。

     

 この公園の近くでは、以前にやはり白ネコの、左右の眼の色がちがう「オッドアイ」のネコに、二回ほど出会ったことがあった。今朝はまだ薄暗かったし、距離も離れていたのでそのネコの眼の色を確かめられなかったけれども、あとで撮った写真を見るとやはり「オッドアイ」で、前に出会ったネコだと確認できた。

 このネコは、普段どこに棲んで活動してるのかわからないけれども、連続してその姿を見ることはなく、かなりの期間をおいて「再会」するということを繰り返している。
 「前にこのネコに出会ったのは、いったいいつのことだったのか」と、この日記を検索してみると、さいしょに出会ったのは去年の一月のことだった。そのときの写真を。

     

 そして、次に出会ったのは九月のことで、なぜか九ヶ月とかの期間をあけてから、またあらわれるようだ。下の写真はそのときのもの。

     

 こうやって前の写真を見比べてみると、さいしょの写真では両耳ともしっかりとんがっているのだけれども、その次の写真のときには、片耳がカットされた「サクラ耳」になっている。
 これは「地域猫運動」の中で「不妊手術」を受けたネコの「しるし」なわけで、つまりこの「オッドアイ」の白ネコは、去年の一月から九月のあいだで、そんな「不妊手術」を受けていることがわかる。

 もう一ヶ所、わたしが勝手に「野良ネコ通り」と名付けている駅に近い道には、何匹ものネコたちがいるのだけれども、その中でわたしがよく出会う「ミケ」や「ハナクロ」、「ヒゲ殿下」の三匹も耳がカットされていて、「不妊手術」を受けているわけだろうけれども、こちらも古い写真をさかのぼってチェックしてみると、去年の秋以前の写真では、まだ耳はカットされていないのだった。

 つまり、どうやら去年の秋あたりで、この地域では「地域猫運動」が拡がり、何匹かのネコたちが「不妊手術」を受けているということだろう。
 わたしはただ「外でネコに出会うのは楽しい、ネコたちはかわいい」という思いでネコたちを見ているだけだが、そんな運動に関わる人たちには頭が下がるし、おそらくは市として助成もしているのではないかと思う。
 けっきょく、いずれはそんな「地域猫」たちも寿命を迎え、もう町なかでネコらに出会うこともなくなってしまうのだろうけれども、いくら見た目に「かわいい」とはいっても、町なかで生きるネコは苦しい生活を強いられているわけだろうし、まあネコに「幸福」という概念は持たないだろうが、そういうネコらは決して「幸福」ではないだろう。ただ、事故や虐待などの、それこそ「不幸」なことで命を失うことなく、できるだけ「天寿を全う」させてあげたいとは思うのだ。

 今日は実は仕事の帰りに電車をひと駅乗り越し、その駅に近いスーパーで買い物をして帰ったのだが、その帰り道、けっこうウチに近いところの駐車場で、悲しい状態の白い野良ネコの姿を見たのだ。

     

 撮影した写真から、あまりひどい、悲惨な写真は選ばなかったが、このネコは肩口から胸にかけてぼっそりと毛が抜け、おそらくは皮膚病にかかっていて、皮膚から血がにじんでいる。
 目もしっかり開いてないようで、目が見えているのかどうかもわからない。

 今朝見たネコと同じような白ネコだけれども、朝の「オッドアイ」のネコを「かわいい」と思っても、それで同じようにこの病気のネコにも、「かわいい」と接してあげられるのか?と突き付けられるような思いがした。
 もちろんやはりこのネコもかわいいのだが、接するにはしっかりとした下準備をしないと、わたしも病気に感染してしまうおそれもあるし、たとえわたしが感染しなくっても、そのまま家に帰ってニェネントと接すると、ニェネントが感染してしまうというおそれもあるだろう。

 ただ「野良ネコ」たちを救済したいと思っても、やはりいい加減なしろうと考えでは手の出せないところもある、ということだ。

 今日は読んでいたナボコフの『ベンドシニスター』を読み終えた。それでは明日からは、昨日映画を観た今村夏子の『星の子』を読もうか。
 もう一冊、エドガー・アラン・ポーの文庫版小説全集を読んではいるのだけれども、けっこう「困ったなあ」という作品にもぶち当たり、難儀しているところである。