
ラトビア出身のギンツ・ジルバロディス監督による「低予算インデペンデント・アニメーション映画」で、2024年5月に第77回カンヌ国際映画祭「ある視点」部門でワールドプレミア上映されて以降 各地で絶賛され、第97回アカデミー賞・長編アニメ映画賞を受賞した(インディペンデント作品では史上初の受賞)。
言ってみれば、ハリウッド作品に比すればはるかに低予算でつくられた『ゴジラ-1.0』が、第96回アカデミー賞で「視覚効果賞」を受賞したことを思い出させられるような展開ではある。
この『Flow』も、今までの例えばディズニー・アニメなどとはまったく異なった視点からの、もっと精神的なヴィジョンにあふれたアニメーションになっているかと思う。この作品は「Blender」というオープンソースのソフトで制作され、スタッフも50人以下でつくられたという。
この映画の主人公は一匹のネコで、「クロネコ」かと思ったけれど「グレー」のように見える。その眼は黄色いので、猫種としては「シャルトリュー」か「コラット」なのではないかと思う。
このネコは人に飼われていたようで、飼い主はネコの彫刻をつくるアーティストみたいな人だったのでは、という気がする。窓の割れたアトリエのような部屋に住んでいるようだが、もう飼い主や人の姿は見られなくなってしまっている。なぜ飼い主ら人々はいなくなってしまったのかはわからないけれども、この映画が始まるシーンのちょっと前まではまだ、人もいたんじゃないかと思われる。
さて、映画のなかの世界は大洪水に見舞われて徐々に水没して行っていて、さいしょにこのネコが住んでいた住まいも洪水に吞まれてしまう。そこに一艘の帆を張ったボートが流れて来、ネコはそのボートに飛び移る。ボートには一匹のカピバラが乗っていた。そのうちにイヌのラブラドール・レトリバー、そしてワオキツネザルも同じボートで旅することになる。
ボートの中でいちばん小さなネコは飛んで来たヘビクイワシにさらわれてしまうのだが、ヘビクイワシのグループに囲まれたときに一頭のヘビクイワシがネコをかばってくれて命が助かるのだった。しかしそのヘビクイワシも仲間に攻撃されて仲間から置き去りにされ、ネコたちといっしょにボートの一員になるのだった。洪水の拡がった海では、クジラらしい巨大な生き物もボートと並行して泳いでいる。
大きな都市の廃墟のようなところでヘビクイワシがボートを離れて廃墟の高台へ行ってしまい、ネコがそのヘビクイワシを追って行くとそこは幻想的なヴィジョンに包まれ、ヘビクイワシは空高く昇って見えなくなってしまう。
ボートに置いて行かれたネコは必死に泳いでボートを追おうとするが、そのときに急速に水が引き始め、また緑の木々が地表に現れる。ワオキツネザルはさっさとボートを降りていて、新たに出会ったワオキツネザルの仲間といっしょだったが、ネコの姿を見るとまだラブラドールもカピバラも乗ったままのボートのありかまでネコを案内する。ボートは崖ふちの今にも崩れ落ちそうな木の枝に引っかかっているだけ。まずネコとワオキツネザルとでラブラドールをボートから助け、次に皆でカピバラを助けるのだ。
‥‥これで終わり、というわけではないのだけれども、ここでたしかに種を越えた「共生」の道が拓けた、という感じではあるだろうか。ただそう書いてしまうと何とも動物を「擬人化」して、ヒューマニズムを賛美する映画に思われるかもしれない。もちろんヘビクイワシはネコを守ったわけだし、ラブラドールはネコのことが大好きみたいなんだけれども(ワオキツネザルも「鏡」のような光り物や、「虚飾」が好きみたいだ)、それでキャラクターに「人格」が与えられているわけではないし、この映画は「ノアの箱舟」ではないのだった。
「人類が滅んだあとの世界」が舞台の作品と考えると、どこかジブリ作品に通底するものもあると感じたし、映画の木々や水の描写にもジブリ作品を思い出させられた(主人公のネコは『魔女の宅急便』のジジを思わせる?)。じっさいギンツ・ジルバロディス監督の頭には『未来少年コナン』のことがあったのだという。
技術的なことはからっきしわからないけれども、キャラクターを描く「ポリゴン」がずいぶん大きいままだなあという気もしたけれど、ここに「Blender」というソフトの限界があるのかな、などとは思った。
しかし特にネコの動くさまは実にリアルだったし、やはりこの映画のキモは、あのヘビクイワシが空に消えて行くシーンのファンタジックな描写(ヴィジョン)だと思ったし、美しい自然描写のなかでキャラクターに「現実のような動き」を求めながら、アニメーションならではの「ファンタジー」をも実現した、精神的クオリティの高い作品だとは思ったのだった。