ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『救命艇』(1944) アルフレッド・ヒッチコック:監督

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  • タルーラ・バンクヘッド
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 『疑惑の影』の次のヒッチコックの作品は、ドイツのUボートに撃沈された船に乗っていて、救命ボートに逃れた9人の人たちのドラマ。「助かるか否か」などというサスペンスではあるけれども、「ヒューマン・ドラマ」と言っていい、ヒッチコックには異色の作品。しかも全篇がその救命ボートの上だけが舞台という、いささか実験的な要素も加味されている。この作品でヒッチコックはアカデミー監督賞にノミネートされた(撮影賞にもノミネートされた)。また、この作品にはBGMも使われてはいない。

 ストーリーの原案はヒッチコックによるものらしいが、それをA・J・クローニン、ジェームズ・ヒルトンアーネスト・ヘミングウェイらに脚本執筆の協力を依頼していて、最終的にジョン・スタインベックがストーリーラインを執筆したのだった。撮り終えられた映画を観たスタインベックは映画の内容に不満で、自分の名前をクレジットから削除して欲しいと要求していたらしい(敵わなかったが)。

 ドラマに登場する人物は主に9人だが、赤ん坊と共に救出された女性は、赤ん坊の死を知るとその直後に波間に身を投げてしまうので、それ以後は8人のドラマ。以後も終盤には2人が死に、ラストに沈没したドイツの補給船から逃れた若いドイツ兵が1人、その救命ボートによじ上って来るが。

 メンバーとしては映画が始まったときから服も濡らさずにボートに座っていた、女性ジャーナリストのコニー(タルーラ・バンクヘッド)が全体のバランスを取るような役どころで、タルーラはニューヨーク映画批評家協会賞の主演女優賞を受賞した。看護士のアリス、いっしょに沈没したUボートの乗組員だったドイツ人のウィリー以外は皆船員で、そのうちのガスは足に大ケガを負っていて、切断が必要だった。
 ドイツ語も解するコニーの通訳で、ドイツ人のウィリーはガスの足の切断をやれるということで、アリスや皆が手伝ってガスの足の切断はうまく行く。
 あとはコンパスがないので、どっちの方角へ進めばいいかわからないのだったが、ウィリーが「こちらへ進めばバミューダだ」というので、ボートをその方向へ進める。

 水も食糧も、救出されるまで持つぐらいの量があったのだが、途中で大きなシケに遭遇し、水も食糧も流されてしまう。帆を張ったマストも倒れ、ガスもいちどは波にさらわれてしまうが、ウィリーのボートの制御でガスは助かる。
 以後、ボートを進めるのはオールでこぐしかなくなるのだが、ウィリーは率先して、疲れも見せずにオールをこぐ役を引き受ける。

 ボート全体を統括し、ほとんどリーダー的地位になってしまったウィリーだが、しかしあるとき、ウィリーは実は磁石を隠し持っていて、自分用の水も食糧も持っていたこと、それどころか英語も話せたことがわかる。ボート内ではウィリーを処刑すべきだという人間と、そんなことは出来ないという人間とに分かれるのだ。
 しかしボートは確実に、ドイツ軍の補給船のいる方角を目指していた。

 もちろん、サヴァイヴァル映画でもあるのだけれども、「助かるかどうか」という問題はあまり表面には上がって来なくって、ボートの上の人物間の「腹のさぐり合い」というサスペンス的要素が強くなる。端的には、一面ではボートを操って皆の危機を救いもしたが、実のところは皆をだましていたドイツ人ウィリーをどうするか、という問題だろうか。

 映画が公開されたときも、このウィリーというドイツ人をどう解釈するかということで観客の意見が分かれたらしい。ある種の観客は、この映画が枢軸国寄りなのではないかと批判したが、主演のタルーラは、その批判を「愚かだ」と言い、「この映画はナチスは信用出来ないということをはっきり伝えている」と語ったらしい。
 ヒッチコックは批判に答えて「連合国は口論をやめて戦争に勝つために協力する必要があるということだ」と説明し、「わたしはいつでも、悪役といえども尊敬しているのだ」と、自分のドイツ人の描写を擁護したという。

 戦時中ということもあり、そのような批判も多かった作品だったけれども、現在では「ヒッチコックの最も過小評価されている作品」だろうとされている。
 とにかく、すべて狭いボートの上だけで展開するドラマとして、ヒッチコックとしてはそれまでの映画技術を捨ててかかり、またこれまでとは違う演出法を探らねばならなかっただろうと思うけれども、見ごたえのあるドラマを創出していることはやはり、賞賛に値するだろうと思った。