今ごろになって初めて、この名作を観た。めっちゃ面白くって興奮した。なぜ今まで、この作品を観もしないで生きてきたのだろうかと思うぐらいだ。
ルイ・マル監督といえば、オムニバス映画『世にも怪奇な物語』の第2話の「ウィリアム・ウィルソン」ぐらいしか思い浮かばないが、過去には『ルシアンの青春』という作品は映画館で観た記憶はある(内容は覚えていないが)。そしてそれ以外の作品はまったくスルーして来た。なぜそうなったのかわからないが、「映画の大きな遺産」をスルーしている気分だ。しかし今となっては、ルイ・マル監督の作品はDVDでもそんなに入手出来るわけでもないし、サブスク配信サーヴィスでもあとは『好奇心』と『ビバ!マリア』、それと晩年の『ダメージ』ぐらいしか観ることは出来ないようだ。残念だ。
この『死刑台のエレベーター』は、ヒッチコックばりのサスペンスだけれども、まずはストーリー、脚本の面白さがあるし、ジャンヌ・モロー、モーリス・ロネ(そしてリノ・ヴァンチュラ)という演者の魅力があり、マイルス・デイヴィスの「伝説的な」音楽、アンリ・ドカエの見事な撮影と、そしてルイ・マルの演出との魅力がある。ヒッチコックがこの作品のことをどのように評しているのか知らないが、ヒッチコックもこの作品には嫉妬したのではないかとも思ってしまう。
映画はまずはジャンヌ・モローが電話をかけている場面から始まり、その電話相手のモーリス・ロネと愛し合っていて、このあとに二人落ち合う予定だとわかる。これは「愛人たちの映画」かと思うのだが、モーリス・ロネには自分の勤務先で社長を殺すという犯罪計画がある。あとでその社長はジャンヌ・モローの夫なのだったということもわかり、モーリス・ロネは当時のフランスの情勢の中でインドシナ、そのあとはアルジェリアで兵士として戦っていたこともわかる。
社長を殺し、彼の「完全犯罪計画」は完璧に進行するが、現場を離れるときに現場に「忘れもの」をしたことに気づく。ここからすべての計画は狂い始めてしまう。
モーリス・ロネはエレベーターの中に閉じ込められ、そのあいだに彼の車は若い男とその恋人に盗まれてしまう。男はドライブする中で知り合ったドイツ人夫婦を、モーテルで盗んだ車の中にあった銃で撃ち殺してしまう。
この殺人事件は翌日には発覚し、残された遺留品からモーリス・ロネが犯人とされて報道されてしまう。何とかエレベーターから脱出したモーリス・ロネはすぐに「ドイツ人殺害容疑」で逮捕される。ここで最後に、モーリス・ロネが車中に残していたミニ・カメラが大きな「証拠写真」を残すことになる。
まず、モーリス・ロネが社長を殺害したことはしばらくは発覚せず、それとは別にチンピラの若者の犯したモーテルでの殺人がモーリス・ロネの犯罪だとされてしまう。しかもジャンヌ・モローはそのモーリス・ロネの車が若い女性を乗せて走り去る姿を見ている。そのとき彼女は、運転する男をかくにんしてはいなくって、それはモーリス・ロネだろうと思い込み、彼が自分を捨てて若い女に乗り換えたのかと思うわけだ。
モーリス・ロネの実行した「社長殺害」と、若いチンピラの起こした「行き当たりばったりの殺人」とが交錯する。その「ドイツ人殺害犯人」としてモーリス・ロネを追う警察は、実はいつしか「社長殺害犯」としてのモーリス・ロネを追っていたことになる。このあとは、「はたしていかにして<真実>はあらわになるのか?」という興味へと観客の視線は移るだろう。そのときに、まるでひとつのトリックが暴かれるように、現像された写真が「真相」を暴いてみせる。その「真相」は、「事件」以前の深い「真相」をもあらわにしているのだった。面白い。面白すぎるぐらいだ。
夜中そして深夜、そして明け方どきまでモーリス・ロネを探してパリの街をさまようジャンヌ・モロー(明け方には雨も降り出し、彼女はびしょ濡れになる)、そんな彼女を追うアンリ・ドカエのカメラ(「キャメラ」というべきか?)、そしてマイルス・デイヴィスのトランペットが、ひとつの究極の映像を形作っている。このシーンはもう、特に映画の本来のストーリーなどなくなってしまっても見事なもので、ここだけでこの作品が歴史に残ることを保証しているように思える。