ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

2024-10-03(Thu)

 近年スズメの数が減少し、このペースで減少すれば絶滅危惧種になるかも、などというニュースを読んだ。そのニュースではアバウトなことしか読み取れないのだけれども、Wikipediaで「スズメ」の項をみると、2007年のスズメの日本国内での個体数は、1990年ごろに比べて少なくとも半減、高く見積もると5分の1にまでなったのではないかという。
 減少の原因は、近年の気密性の高い人間の住宅がスズメの営巣に向いていないこと、農村部でコンバインを使った農法が普及した結果「落ちもみ」が減少し、スズメの冬季の餌が不足しているのではないか、などの推測があるという。
 また、「スズメ」というのは周囲に自分と同族のスズメの数が少ないと営巣しないということもあるらしく、スズメの数が減るということは、グループとしてのスズメがそっくり姿を消してしまう、ということに通じるのかもしれない。

 たしかにウチのあたりでスズメのことを観察すると、その姿を1羽見つけたならば、その周囲には20羽ぐらいのスズメがいて、グループを形成しているように見える。そういうところで、今のところウチの周辺で「スズメの姿を見かけなくなった」ということもない。
 まあウチの周辺は東京周辺ではまだ、比較的そういった周辺動物相の姿はよく見かけられる地域かも知れないけれども、こういうのは年間を通して見ていかないと考えられないので、今の周辺だけを見て「あの鳥がいない」とか「この鳥の姿を見ない」とかもいえないだろうとは思う。

     

 今朝も、目覚めてからしばらくは「のどの痛み」もあり「咳」も出たのだけれども、起きてから時間が経つほどにそういう不具合も忘れられてしまうようだった。もうまったく鼻水など出ないし、とても2日前にはあれだけ「風邪」の症状で苦しんでいたとも思えない。しかし思うのだが、鼻水とはこんなにもピタリと止まってしまうものだったのか。前の風邪のときの記憶がないので何ともいえないのだけれども、こんなに急激に激しい症状が出て、それが同じく急激に治まってしまうというのが、何だか解せない思いがするのだ。
 ただそれでも「頭の芯が重い」というのか、真剣に物事を考えようとか「むずかしいこと」を考えようとかいうことが出来ない気がする。「気力がない」ということなのだろうか。

 実は先週から、北野勇作という人の書かれた『かめくん』というSF小説を読んでいたのだけれども、この日ようやく読み終えた。途中、2日前ぐらいまでは「何だかタルい作品だなあ」とかいう気もちもあって読み継いでいたのだけれども、昨日から最終章を読み始めたら「いれこんで」しまって、自分の記憶障害のことと考え合わせて、思うところが大きい本になった。

 ニュースで「ノーベル文学賞」の予想という、毎年恒例の記事が出る時期になったけれども、その内容もこの2~3年とまったく変わらないことに笑える。もちろん村上春樹のことが筆頭に書かれているわけだが、2年前ぐらいから「別の日本人作家」として多和田葉子、そして金井美恵子の名前まで出てくる。そして毎年の顔ぶれとして中国の残雪氏、アメリカのトマス・ピンチョン、カナダのマーガレット・アトウッドなどの名が。もちろん他の地域のわたしの知らない方の名もリストアップされているのだけれども、さいごにはスティーヴン・キングJ・K・ローリングの名まで出てきて、「何やねんこの記事は!」と、一気に記事全体の信ぴょう性が失わされるのであった。特にJ・K・ローリングに関しては今、彼女の誤解と偏見に基づくトランスジェンダーへの発言をめぐって大きな非難の声が上がっているわけで、これ以降彼女が何らかの文学賞を受賞するということは考えられないだろう。
 わたしは毎年、ピンチョン氏の受賞に賭けつづけているわけだが(ピンチョン氏がノーベル賞を受賞されたら、ついに『重力の虹』が新潮文庫で刊行されるぜ!)。