ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『ジェイムズ・ジョイス伝』(1,2)リチャード・エルマン:著 宮田恭子:訳

 これはもう、ジェイムズ・ジョイスの評伝の「決定版」であろう。1,2巻合わせて千ページを越え、ちゃんと買えば2冊合わせて2万円に近い(わたしはAmazonマーケットプレイスで買ったので定価格に比べれば相当に安かったが、読んだ形跡のない「新本」ではあって、「お買い得」だった)。わたしの所有する書物の中でも、最も値の張る書物ではある。

 それまでジェイムズ・ジョイスのことなどまるで知らないでいたわたしだが、ちょうど半年前にまずは『ダブリンの人びと』を読み、そのあとに『若い藝術家の肖像』、『ユリシーズ』を読み、そしてこの評伝を読み始めたのだった。

 このジョイス伝を読む前には、ブライアン・ボイドの『ナボコフ伝(ロシア時代)」を読んでいたわけで、まあナボコフもヨーロッパ時代には相当に苦労したとはいえ、「才能ある作家」の「一歩一歩階段を上るような」上昇路線と読み、ジョイスの中にもそういうストーリーを読めるのかと思っていたのだが、それは大きなまちがいだった。
 この伝記に姿を見せるジェイムズ・ジョイスという人物は、「高慢で気難しく自己中心的、他人から受けた恩義などさっさと忘却し去るのだが、それでいて小心者。しかも酒乱は日常茶飯事」という人物なのだ。言ってみれば、あの石川啄木がひょんなことから生きているうちに「世界的名声」を得てしまったような人物なのである。
 このことは著者のリチャード・エルマンの「視点」「解釈」にもよるものだけれども、翻訳者の宮田恭子氏が「訳者解説」で書いているように、「伝記、評伝」というものには「弁護士」的な視点から書かれたもの、そして「検事」的視点から書かれたものとがあるだろうと。
 もちろん、ここでリチャード・エルマン氏の取った立場は「検事」のものだろうし、先にわたしが読んだ『ナボコフ伝』の著者のブライアン・ボイド氏は、思いっきり「弁護士」として書かれたものではあっただろう。
 しかし、いくらリチャード・エルマン氏が「検事」的な視点からこの評伝を書いたとしても、ジェイムズ・ジョイスの文学的な(偉大なる)才能を否定できるものではないし(ただし、『フィネガンズ・ウェイク』への同時代人の否定的見解は余さずに書いている)、とにかくこの評伝でいちばんにインパクトを受けるのは、そんなジェイムズ・ジョイスの抱く妻のノラへの愛情であるし、同時にそのノラのジェイムズ・ジョイスへの愛情を読み取ることではないだろうか。このことだけでも、この評伝は読み継がれる価値のある書物ではないかと思う。この二人の「愛情」というものは、「普遍的な愛」というよりは、実に「特異な愛」ではないかとも思えるのだけれども、それは「素晴らしい愛」ではあるだろう(このことは、同時に読んだブレンダ・マドクスによる『ノーラ ジェイムズ・ジョイスの妻となった女』というステキな「伝記」によっても補強されるのだけれども)。

 ま、今そうやってジョイスのことを讃えたけれども、彼がトリエステ時代に弟のスタニスロースに経済的な大きな援助を受けながらも、そのことに対して冷たい対応をしたこと、同じようにパリ時代に生活を支える援助を受けた「シェイクスピア・アンド・カンパニー」(『ユリシーズ』はここから刊行された)のシルヴィア・ビーチ、そして彼女の存在なくしてはジョイスの執筆生活は成り立たなかっただろうという、ハリエット・ショー・ウィーヴァーへの「ただ金の無心を続けながらも」そのあとは「無視」などというのは、読んでいても「それは人間としてどうなのよ?」みたいなところがある。まあ石川啄木なのだからしょうがないのだが。
 しかし、この「評伝」の前半では膨大な弟のスタニスロースとの手紙のやり取りが資料として使われ、後半ではやはり膨大な量のハリエット・ウィーヴァ―への手紙が資料とされ、この重厚な「評伝」の裏付けとなっているし、それ以外にもサミュエル・ベケットをはじめとした、実に多くの人たちとのインタビューも使われ、やはり「これだけの下調べをした<評伝>というものも空前絶後ではないか」とも思わせられる。

 ところでわたしは、そんなジェイムズ・ジョイスウラジーミル・ナボコフとの「出会い」のことも気になっていたのだが、『ナボコフ伝』では1937年にナボコフがパリ(?)で講演を行ったときにジョイスが聴衆の中にいて、そのことを知ったナボコフは「何を話せばいいのかわからない」とジョイスとの出会いを避けたということだった(ナボコフは、『ユリシーズ』をロシア語に翻訳しようと考えたこともあるのだ)。
 このことはこの『ジェイムズ・ジョイス伝』にもちょこっと書かれていて、ジョイスはその1937年、ナボコフプーシキンについての講演をすると聞いて、「ひょっとしたら聴衆がいないかもしれないと聞くと、この若い友人にいやな思いをさせまいと、講演を聞きに行くことにした」とは書かれていた。なんだ、ジョイス、「いいヤツ」ではないか。
 どうもここに「若い友人」と書かれているように、このときすでにジョイスナボコフは知り合いだったのかもしれないが、『ナボコフ伝』を読む限りではこの時点では「知り合い」ではなかったらしい(ジョイスナボコフの名前、評判は知っていたのだろう)。
 しかし、今どこのページだったかわからなくなったけれども、じっさいにジョイスナボコフは出会って対話したことがあったらしく、これがまたおかしいのだけれども、ジョイスは「今の文学に<神話>を持ち込むなんて愚の骨頂だ」とナボコフに語り、それに対してナボコフは「でも、あなたはやったじゃないですか?」と語ったというのだ。おかしい。ナボコフはどんな気もちでジョイスの発言を聴いていただろうか。

 いろいろと書きたいことはあるのだけれども、さいごにひとつ書いておけば、ジョイスの死因となった「十二指腸潰瘍穿孔」という疾病、実はわたしも20年近く前に患ったことがある。これはアレである。そのとき、「世の中の疾病でいっちばん痛いモノのひとつ」だと聞いた記憶がある。まさに七転八倒の痛み。わたしは何とか自分で119して救急搬送されたけれども、腸に穴が開いて食べていたものが外に出てしまい、すぐには手術出来ないと痛みを散らしながら待機させられ、腹を縦に20センチぐらい切り裂いて何とか一命を保ったのだった。
 その体験からのことで、この種の「潰瘍」は、神経的な軋轢が病状を悪化させる。それで、この『ジェイムズ・ジョイス伝』を読んで思うのだが、この評伝にはジョイスの娘のルチアの精神疾患ジョイスがどんだけ心労を重ねたことか、あまり書かれていないように思う(わたしはこのことを、同時に読み進めた『ノーラ ジェイムズ・ジョイスの妻となった女』で知った)。
 おそらく、この「評伝」の書かれたとき、娘のルチアは存命ではあったわけだし、どうもこの「評伝」全体で、ルチアの精神疾患のことは詳細には触れられていないという印象がある。『ノーラ ジェイムズ・ジョイスの妻となった女』を読むと、事態はもっともっと深刻だし、この件に関しては著者のブレンダ・マドクスは、『ジェイムズ・ジョイス伝』の著者リチャード・エルマンよりははるかに強い調子で、もっともっと早い段階からのジェイムズ・ジョイス(同時にノラ・ジョイス)の責任を書いている。
 あとで書く『ノーラ ジェイムズ・ジョイスの妻となった女』の感想で書くべきだろうが、このときのヨーロッパの情勢などを含め、ジョイスの心労は相当のものだっただろうとは思える。

 しかしまあ、『フィネガンズ・ウェイク』もやはり、相当な作品ではあるようだ。翻訳ではそのルイス・キャロルの「ジャバーウォック」的英語の<ダジャレ>は理解不能だろうけれども、その概略だけでもやはり読んでおきたいかもしれない。