ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『ノーラ ジェイムズ・ジョイスの妻となった女』ブレンダ・マドクス:著 丹治愛:監訳

 (ちょっと、本の内容とは関係のないことをしばらく書きます)
 この、一部少数の文学ファンしか読まないであろうと思われる本が、当時いきなり文庫本(集英社文庫)として刊行されていたというのは、ちょっとしたおどろきなのだけれども、これはこの文庫本が刊行された2001年に、その本を原作とし、ユアン・マクレガージェイムズ・ジョイスを演じた『ノーラ・ジョイス ある小説家の妻』という映画が公開されたことによるものなのだろう(ちなみに、ノラを演じたのはスーザン・リンチという女優さん)。
 しかし、いくら映画が公開されたといっても、いわゆる「単館ロードショー」というヤツで、東京では「Bunkamuraル・シネマ」だけでの公開だったようで、映画の方も言ってみれば「地味」な公開のされ方だったみたいだ。
 そういう「地味」な映画の、やはり「地味」な原作をよく刊行したものだと思うのだけれども、映画が日本で公開されたのは2001年11月初めのことのようだけれども、この文庫本の奥付けをみると、初版第一刷は2001年6月25日となっている。それは「映画公開前に書店に並べてもらおう」ということで妥当なところだろうけれども、では「翻訳原稿はもう出来ていたのか」と思うのだが、この文庫本で600ページに近いかなりの大書であり、人名や地名の日本語表記なども含めて、学術的な校正もそんなにちゃっちゃっと完了するとも思えないし、「訳者あとがき」を読むと、先に読んだリチャード・エルマンの『ジェイムズ・ジョイス伝』などの資料とつき合わせた、けっこう綿密な編集校正をやっているようだ。
 調べると、その映画『ノーラ・ジョイス ある小説家の妻』がイギリスで公開されたのは2000年の5月だったようなのだが、「その映画がいずれ日本でも公開されることだろうから、原作の伝記本をそれに間に合わせて翻訳を始めよう」などということで、2001年6月の刊行に間に合うものだろうか。そりゃあ相当な「突貫工事」だわさ(ただ、じっさいには翻訳者は3人で、分担しての翻訳だったというから、そういう「突貫工事」だったのかもしれないが、この本を読んだ限りではそういう「やっつけ仕事」という印象は受けなかった)。

 それで、もう一つの手がかりは、「どんな方が翻訳に携わっておられたか」ということなのだが、この丹治愛という方は実は男性で、「ヴィクトリア朝およびモダニズムの英国文学」を専門とされるところの、東京大学の名誉教授であらせられるのだった。この方、有名なところではジュリアン・バーンズの『10.1/2章で書かれた世界の歴史』の翻訳があり、集英社文庫ではヴァージニア・ウルフの『ダロウェイ夫人』を出されているのだ。
 ‥‥これはもう、出版社の側から「締め切り」を区切って「やっつけ仕事」で翻訳を依頼できるような方ではないのである。ではどうやって、そんな短期間に翻訳を終えられたのかのかということだけれども、そもそもがこの原作の伝記は海外で相当に評判になっていて、アメリカではロサンゼルス・タイムズ賞を、フランスでは優秀外国図書賞を受賞するなど、8ヶ国で出版されているという(ちなみに、著者のブレンダ・マドクスはアメリカ生まれでイギリス在住で、この伝記を書くにあたっては『ジェイムズ・ジョイス伝』の著者のリチャード・エルマンを訪ね、この伝記を書くことを話し、彼の協力を得ているということだ)。
 おそらく考えられるのは、翻訳者の丹治愛氏は、1988年に刊行されたこの原作の伝記をもちろん先に読んでいて、「自分で翻訳する」ことも考えておられたのではないのか。それでこの原作が映画化されることを知り、自ら集英社に「どうですか? 翻訳しますから出版しませんか?」との話を持ちかけたのではないかとも思う。
 又は、集英社編集部の方が丹治愛氏がこの原作を読んでおられることを知っていて、向こうでこれが映画化されると聞いて丹治氏に「翻訳出来ないですかねえ」と持ちかけたのではないだろうか。
 英文学関係者であれば、この映画がクランクインされるときにはすでに情報を得ていただろうから、そこから翻訳を始めても間に合うとの計算があったのだろう。
 残念ながらこの翻訳版は全体の三分の二の抄訳ではあるらしいのだけれども、それもまずは「文庫本で刊行」という予定が先にあったからだろう。

 ‥‥すみません、長々と本の内容ではないことばかりを書いてしまいました。
 しかしこの訳本、もう今は「絶版」とはいえ、このまま見捨ててしまうにはもったいない優れた書物だとは思うしかない。先に書いたようにジョイスについての評伝であればリチャード・エルマンの『ジェイムズ・ジョイス伝』こそが「読むべき本」ではあるけれども、そこには書かれなかったことも含んで、妻のノラをメインにして書かれたこの『ノーラ ジェイムズ・ジョイスの妻となった女』こそ、「いっしょに読まれるべき本」ではないだろうかと思う。実に面白い本ではある。

 当時も今も、ノラのことは「文学的教養の持ち合わせのない女性」と認識され、夫ジェイムズ・ジョイスの書いた「コレを読まなくってどうするの?」という『ユリシーズ』も読んでなかったということは常に言われてしまう。それはそうなのだが(それでも『フィネガンズ・ウェイク』は読んで「大好きだ」と語っていたというが)、ノラはそういうかたちの、例えばナボコフにとってのヴェーラ夫人のような「秘書」的役割を果たす妻ではなく、特にこの『ノーラ』を読むと、ともすると糸の切れた凧のようにどこかへ吹っ飛んで行ってしまうようなジェイムズ・ジョイスを、この地上につなぎとめるという、他の誰もが出来ない大役をやり通した人だったのだろう(それは「うまく行かなかった」こともあったようだが)。

 世の中でただ一人、ジェイムズ・ジョイスのことを「ジム」と呼ぶことの出来た人物、ジョイスが「おまえがいなくては生きていけない」と言わせた人物。
 ある人らはさいしょにこのカップルに会ったあと、ノラはジェイムズにふさわしくないのではないかとも言ったというが、彼女の魅力を知った人たちは彼女のことを絶賛するのだった。

 「うまく行かなかった」こと。そのいちばんの過失は二人の子どもの育て方ではあっただろう。
 ジョルジオはけっきょく、「いちども働くことのない」無為な人生を送ったのではないかとも思えるところがあるのだが、もっとも大きな問題はルチアのことだっただろう。
 このことはリチャード・エルマンはあまり書くこともなく、最後の段階でバタバタと書いていた印象があるけれども、このブレンダ・マドクスの著作では、もっともっと早い段階、ジェイムズとノラとが転居に転居を重ね、その住む国をも変えて行ったとき、「これでは子どもたちの精神が心配になる」と、ルチアなどがまだ幼児の頃から書いているし、ルチアの精神疾患の兆候についても早い年代から書いている。『ジェイムズ・ジョイス伝』の方に書いたことだけれども、ジェイムズ・ジョイスの晩年の(死をまぎわにした時の)心労については、この『ノーラ』によってはっきりと理解できるところがある。

 最後に書いておけば、リチャード・エルマンの『ジェイムズ・ジョイス伝』は膨大な資料を駆使したすばらしい「評伝」だけれども、このブレンダ・マドクスの『ノーラ ジェイムズ・ジョイスの妻となった女』は、ノラ・バーナクル(のちにジョイス)とジェイムズ・ジョイスとその家族とを描いた、読みごたえのある「伝記文学」との印象を持った。