ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

2021-10-26(Tue)

 先日『オーデュボンの鳥』という本(画集)を買い、ときどきパラパラと眺めているのだけれども、そのオーデュボンという人物への興味が大きくなり、ネットで『オーデュボンの自然誌』という本を見つけ、内容もよくわからないまま購入した。

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 その本が届いて開いてみると、これはオーデュボンが彼の画集などその他に書いた文章を集めたアンソロジーなのだった。代表作の画集『アメリカの鳥類』と並行して書かれた『鳥類の生態』からの抜粋、そしてオーデュボンの冒険譚的な文章、それから書簡などから構成された本だった。冒頭に編者による短かい「オーデュボン伝」的なものもあり、そこを読むと、このオーデュボンという人物はどうも一筋縄ではいかない経歴の持ち主のようだった。アメリカ開拓期の「フロンティア・スピリット」を体現するような人物でもあり、鳥類の観察に力を注いだ人物らしくも、人々に殺されゆく鳥たちを「哀れ」と思い、開発で消えゆく「自然」の未来への危惧も持っていた。一方、抑圧される先住民(インディアン)へのシンパシーはあるのだけれども、黒人奴隷たちへの同情心などは持たなかったようだ。
 若き日に破産して、無一文から「鳥の画集を出そう」と一念発起し、その未開の地への旅では生命の危険にも何度も出くわしたといい、まさに「波瀾万丈の人生」だったようだ。年譜をみると、61歳のときに早くも老衰の兆候があわられ、63歳のときには老衰が進行して絵の制作も執筆も何もできなくなり、65歳で亡くなられたという。‥‥60代で老衰死とは、何ということだろう(いくら何でも「老衰」などではなく、別の疾病なのではなかろうか?)。
 そういうところまで読んで、「これはオーデュボンの伝記というものも読んでみたいものだ」と思うようになった。
 今年はジェイムズ・ジョイスから始まり、ジョイスジョイスの妻のノラの伝記、アフリカ時代のランボーの本をあれこれと読み、どうやらこれからはオーデュボンにハマりそうだ。

 予報で今日は午前中強い雨が降るといい、昨夜、夜中にはスマホにこのあたりに大雨が降っているとの知らせがあった。朝起きると、たしかに外から雨だれの音が聞こえた。
 しかし家を出る前にいちど、ゴミを出しに外に出たときは「そこまでの雨ではないな」という感じだった。予報でも昼には雨も止むだろうというので、貧弱な折りたたみ傘で家を出た。雨はたしかに強くないのだが、駅に近づくと風がかなり強いのがわかった(駅の周囲には建物もないので、風がまともに来るのだ)。
 勤務地の駅に着いて外に出てみると、風もそんなに強くはなく、傘をささないでも大丈夫な程度の雨だった。

 仕事も終えて帰る頃には、もうすっかり空も晴れてしまっていて、気温もそれなりに上昇していた。まあ10月の下旬というのはこんなものだろうと思う。自宅駅の跨線橋の上から、東の空を撮ってみた。底辺の平らな雲がいっぱい並んでいた。

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 ウチのそばの家のイヌくんは、今日は玄関先のマットの上で丸くなっていた。気もち良さそうだ(ちょっと開いた目の目線が、わたしを向いていた。やあ! わたしのことをおぼえているかな?)。マットの上に白いシーツも敷かれていて、イヌ思いの、いい飼い主さんなのではないだろうか。

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 帰宅して、昨日考えたようにAmazonで「日本そば」を注文し、もうひとつ、オーデュボンの伝記本を検索して注文した。オーデュボンの伝記は2種類あって、どちらも今は絶版で同じぐらいの価格で「どちらにしようか」迷ってしまったけれども、出版社で信頼のおける方を選んだ(こちらの方が送料がかかって高くついたが)。

 テレビをつけると、この日は終日、皇室関係の結婚話に終始していた。どうやらこの日、「結婚式」は行わずに結婚、入籍されたらしい。わたしはこの件に関しては興味がないので、どのような経緯があってこの結婚が非難されているのかあまりよく知らない。で、さすがに「どういうこと?」とYahooの報道をみて、そこに寄せられたコメントも読もうとしてみたのだけれども、「誹謗中傷に値するコメントが一定数以上殺到したので、閲覧は不可能にした」ということだった。すっごいな~、日本国民。
 前から(あくまで表面的に)感じているのだけれども、例えば皇室に嫁ぐ一般の女性へのバッシングは昔っから強烈なものがあった(おかげで今の皇后妃は精神の平衡を失われたこともあったはず)。今回は皇室から一般の男性に嫁がれる場合でのバッシングなのか。
 いろいろと不明瞭なこともあるのかもしれない。しかし、ここには「女性だからバッシングする」という「女性蔑視」、「ミソジニー」が背後にあるのではないのか。「弱いものを叩く」というのは、そういうニュースコメントする連中の得意技ではある。
 それでようやく、一部のそういうコメントを読めたのだけれども、そこには「国民の税金をムダ遣いしないでほしい」という意見をみた。これもこのようなニュースコメント投稿者らの得意技で、この「オレたちの税金の使いみち」という視点から「生活保護受給者」を攻撃し、刑務所に収容された受刑者もまた「税金によって生きている」と攻撃し、それが「さっさと死刑にしろ」みたいな意見にも結びつくみたいだ。
 わたしは、そういう「ニュースへコメントを投稿する人々」が国民皆の意見を代弁しているなどとはとても思えないけれども、例えば判断力の弱い人などがネットでニュースをみて、そこに貼り付いているコメントに目を通すと、「そういうものなのか」と同調してしまうこともあるだろう。

 ひとこと言っておけば、「税金の使いみち」に関してそういうことを言うのなら、例えば某企業による政府事業からのおどろくべき「中抜き」の方こそを問題にすべきだろう。あの「アベノマスク」にしても、受注を受けて法外な利益を得た連中がいるのだ。それは「皇室」がどうとかいうレベルを超えている。
 また、「これからは消費税は10パーセントね!」と言われて、「へいへい、そうでござんすか」と言われたままに素直に消費税を払っていて、あとになって奇妙なところに「オレたちの税金が!」と文句をつけるというのも、これまたおかしな話だと思う。
 まあ、「今の日本人とはそういうものなのだ」というならば、わたしもどこかで諦念しなければならないが。