ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

2021-08-10(Tue)

 夜中にずっと窓の外から、風が木の枝をゆするバサバサという音、建物を叩くバタバタという音が聞こえ、なかなかに寝付きの悪い夜になった。
 三連休も終わってしまい、今日からまた仕事。「働きたくないなあ~」と思いながら家を出た。まだいくらか風が強い。空をみると雲が朝焼けで朱に染まっているのだけれども、わたしが駅まで歩く10分ぐらいの間に、その空一面のあちこちの雲の色がどんどん色を変えて行き、「ついさっきまではこんな色ではなかったのに」というような、ダイナミックな色彩の変化を楽しむことが出来た(一枚の写真では伝えきれないが)。

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 勤め先に着いてみると、昨夜の強風のせいで、建物の前に緑の木の葉や枝が一面に散らかっているのだった。「これは休み明けからひと仕事やなあ」と気が重くなる。
 それで箒で道の木の葉を掃くのだけれども、まだそれなりに風もあり、あとからあとから木の葉が舞って来るのだ。きりがない。「ま、このあたりで」というところでストップしたが、すっかりくたびれてしまった。

 「今日はいつもより働いてしまったなあ」とようやく仕事も終わり、帰路に着く。今日は駅の南のドラッグストアで買い物をし、「ふるさと公園」を通っての道。空を見上げると真っ青な青空をバックにけっこうな雲の量も見られる。わたしの真上の空は太陽に雲がかかり、その雲の濃淡など、実に暑苦しい空ではある。

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 「暑苦しい」というのでは、今はセミたちの最盛期。暑苦しく鳴くのである。公園への道沿いの並木道の、木の幹にしがみついて「ジ~、ジ~」とか「ミ~ン、ミ~ン」とか鳴いている姿がすぐに見つかる。そしてそんなセミのすぐそばには、やはり木の幹にしがみついた「セミの抜け殻」もいっぱい見受けられるのだ。下の写真でも、右上に抜け殻の姿がわかるだろう。

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 公園に入るとすぐ、ずいぶん久しぶりにコブハクチョウ家族らの姿を見ることができた。いつもたむろしていたスポットではなく、これまで家族の姿をみたことのない場所だった。親と子の一羽ずつが池でスイスイと泳いでいて、残りの子ども二羽ともう一羽の親とが岸辺に上がっていて、見ているとあたりの草とかを食べているように見えた。

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 子どもらもすっかり大きくなって、今は大きさでは親鳥とまるで変わらない。ただ、まだクチバシがグレーなのが「子ども」で、親鳥のクチバシは黄色い。人間ならば「クチバシが黄色い」というとガキのことになるけれども、コブハクチョウの場合は「クチバシが黄色い」のが「おとな」、なのである。

 今日は暑苦しいけれどもナマのセミの姿もいっぱい観察したし、久々にコブハクチョウにも会えたので、仕事の疲れも消えてしまった感がある。

 帰宅すると、エアコンの効いた部屋でニェネントくんがわたしを待ってくれているわけだけれども、なんだかこの日はニェネントは押入れにこもりっきりで、また「メンヘラ猫」になったのかよ?という感じだった。

 パソコンをつけてニュースを見ると、予想通りもうすっかり「東京オリンピックまとめ記事」にあふれているのだけれども、来日した海外選手団への取材で「日本、すばらしい!」とか「食べ物がおいしい!」とかいう記事がいっぱい。こんな記事は、さいしょっから取材する方が海外選手・スタッフにそういう反応を求めてやっているわけで、取材としては「楽なもんだね」というか、自分が期待するような反応を探すのが仕事になるわけだから、そもそもの「取材」というものではないだろう。けっきょくは「おもてなし日本」だとかという、もう綻び(ほころび)を見せているような概念を、今さらながらに打ち出し、「ほら、海外の人らも<日本、すばらしい>って言ってるよ!」って言いたいだけではないのか。そもそも、記事の内容もおそらくは針小棒大、信用できるものでもないかもしれん(だいたい彼らは選手施設に閉じ込められて行動の自由もなく、ほんとうに「よかった!」と思ってるものだろうか?)