ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『遥か群衆を離れて』(1967) Part 2. 音楽篇

 う~ん、なんだかこの映画の「音楽」のことを書く、などと予告したけれども、気が重い。書こうと思えばどこまでもマニアックに書けるようにも思うけれども、そんなのを誰が読みたいと思うだろうか。

 言っておくが、ここでいう「この映画の音楽」とは、この映画のためにスコアを書いたリチャード・ロドニー・ベネットという人の「映画音楽」のことではなく、この映画の中でおもに出演者らによって歌われる、イングランドのトラディショナル・ソングのことではある。
 この映画の舞台はイングランド南部のエセックスで、登場人物もだいたいみんな、そのエセックスで農業に従事する、伝統的な生活をつづけてきた人たちなわけで、たとえばちょっとした集会、食事会などで皆が伝え聞いた歌を歌うという習慣がある。ラジオもレコードもない時代、親やまわりの人、友人らが歌うのを聴いて覚えた楽曲こそが、その時代の一種の(不滅の)ヒットソングなのである。

 この作品でも、断片的に聞こえてくるものを含めて、十曲に近いトラディショナル・ソングが聴かれたと思うのだけれども、やはりそんな中で強く印象に残るのは2曲、「Bushes and Briars」と「The Nightingale」ではないかと思うので、この2曲を中心に書いてみたいと思う。どちらもイングランドのトラディショナル・ソングではよく知られた曲なので、わたしも映画を観ていて「ああ、この曲!」とは思いあたった。

 まずは「Bushes and Briars」。この曲は、農家を引き継いだバスシーバが、配下の農民たちとの昼食会みたいな席で、皆がそれぞれ持ち歌を歌ったあとで「バスシーバさんも」と即されて歌うのがこの曲。
 トラディショナル・ソングというものは、その曲が広まっていれば広まっているほど数多くの「ヴァージョン」が存在するわけで、この「Bushes and Briars」にも様々なヴァージョンがあるようだ。
 どうやらこの曲はじっさいにエセックス地方に起源を持つ曲のようで、まずはイギリスの著名な作曲家、ラルフ(レイフ)・ヴォーン・ウィリアムズによって採譜されたらしく、そのことによってもこの曲は世に知られるようになったと。しかしこの映画で歌われるのはそのヴォーン・ウィリアムズのヴァージョンではなく、別の著名なトラディショナル・ソングのコレクターであったセシル・シャープによって記録されたものによるらしい。
 映画ではバスシーバを演じたジュリー・クリスティがじっさいに歌っているようでもあるけれども、ほんとうのところは当時のフォーク・シンガーのイスラ・キャメロンによる歌唱なのである。
 YouTubeに、ちょうどこの映画のその歌のシーンがあったので、アップしておきましょう。ちゃんと見れば、ジュリー・クリスティがじっさいには歌っていないことがわかるでしょう。

 この曲は実のところ「失恋」の曲で、歌い手の女性は「愛」にあこがれて人を愛したいと思っているのだけれども、じっさいに「この男!」という人と出会い、彼に思いを伝えれば、彼は「いいや」と言うだろう、というような内容だと思う(わたしの解釈にすっごい勘違いがあるかもしれませんが)。
 そういうところで、この映画の早い段階で、ヒロインのバスシーバがこの「Bushes and Briars」を歌うというのは実に暗示的というか、まさかトマス・ハーディの原作に「ここでバスシーバはこの曲を歌った」という指定があるとも思えず、やはりこの土地のことをよく知る脚本家~演出家の勝利だったろうとは思う。

 先に書いたようにこの曲には多くのヴァージョンがあり、YouTubeでこの曲を検索すると山のようにヒットしてくるわけだけれども、ここでもうひとつ、サンディ・デニーによるすばらしい歌唱をアップしておきましょう。

 さて、次の「問題の曲」は「The Nightingale」。これまたよく知られたバラッド(物語歌)で、「One Morning in May」とも「The Soldier and the Lady」、「The Bold Grenadier」とも知られ、「To hear the Nightingale Sing」と呼ばれることもある(どうもわたしがこの曲を「The Nightingale」として覚えていたことはちょっといいかげんなようで、この映画でのこの曲は「The Bold Grenadier」として知られているらしい。
 映画『遥か群衆を離れて』では、テレンス・スタンプ演ずるフランク・トロイが愛したファニーの死を受けて、雨の中彼女のために墓を設けるシーンのバックにこの曲が流れるという、映画の中でも最もエモーショナルなシーンで聴かれる曲。すばらしいですねえ。
 この曲もまた実に多くのシンガーによって歌われていて、有名なところではあのジェームス・テイラーが1972年のアルバム「One Man Dog」の中で、リンダ・ロンシュタットとデュエットしているらしい(わたしは聴いたことがないけれども)。
 この曲も、映画で歌っているのはやはりイスラ・キャメロンだったようです。

 この曲の内容がまた、映画ストーリーとシンクロしているわけで、ある女性が勇敢そうな兵士に出会って恋をし、「ああ、兵隊さん、わたしと結婚してください!」と迫るのだけれども、兵士は「いやいやそれはできない。わたしは国に妻と子供がいるのだから!」というのである。まさにこの映画のテレンス・スタンプ、そのような「兵士」ではあったわけだろうか。

 この曲も映画で使用されたものがYouTubeにあったので、アップしておきましょう。

 映画で使われた曲に関しては、そのくらいしかわたしに書くことはありませんが、まだまだ終わりません。

 まず、映画が終わってエンド・ロールが出てきたとき、その中でダンス・パーティのフィドラー(バイオリン弾き)役でデイヴ・スウォーブリックの名があることを見つけてしまったのだった。これは驚愕!

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 ええええ!と、もういちどそのダンス・パーティの場面を引っぱり出して見てみたが、そう、たしかにそこにいたのはデイヴ・スウォーブリックだった。
 ダンス・チューンはよほどのことがなければ曲名もわからないけれども、映画を観ながら「こういうダンス・チューンもまた<ホンモノ>を聴かせてくれる映画だな!」とは思っていたのだが。
 デイヴ・スウォーブリックがフェアポート・コンヴェンションに加入するのは1969年ぐらいのことのはずだから、この映画が撮られた1967年には彼はシンガーのマーティン・カーシーと組んでいた時期だろう。これまた、この映画での「驚きの発見」だった。

 もうひとつ、映画の終盤で海岸でのテント小屋芝居で上演される「盗賊ターピン」というお芝居、お話についても書きたいことがあって、この話は有名なバラッド(物語歌)「Turpin Hero」の物語で、ジョイスの『ユリシーズ』にもこの曲のことは話題になったりしていた。長くなるのでやめときますが、イギリスの人にとっては皆が知ってる有名なお話だ、というところで。

 長くなったけれども、最後にもうひとつ、トリヴィアネタみたいなことを書きたい。
 キンクスの名曲に「Waterloo Sunset」という、わたしの大好きな曲があるのだけれども、1967年(『遥か群衆を離れて』が公開された年)に発表されたこの曲には、「Terry meets Julie, Waterloo station. Every Friday night.」という歌詞があるわけで、このことは昔っから、「この曲は『遥か群衆を離れて』のテレンス・スタンプジュリー・クリスティのことを歌っているのだ(Terryはもちろんテレンスの愛称、というか短縮形)」と言われつづけてきたわけで、日本版のWikipediaにも英語版のWikipediaにもこのことは書かれてしまっている。
 そのことに対して作者であるキンクスのレイ・デイヴィスは「それは違うね。別にわたしの知人のモデルがあるのだよ」と否定しているのだが、実際問題として、『遥か群衆を離れて』がイギリスで公開されたのはそのWikipediaによれば1967年の10月16日のことで、一方の「Waterloo Sunset」がリリースされたのは1967年5月5日。まあもちろん秋に公開予定の『遥か群衆を離れて』にテレンス・スタンプジュリー・クリスティが出演していることはさきだって知ることはできるとしても、詩の内容も映画と曲は合致してないし、やっぱり「ムリ」のある「伝説」ではあるだろう。

 あまりに長く『遥か群衆を離れて』について書いてしまった締めくくりに、やはりここでそのキンクスの「Waterloo Sunset」を聴かせて下さい。すいませんでした。