イタリア映画である。監督のネロ・リージという人は自身が詩人でもあり、映画監督としては十数本のドキュメンタリーを撮っていたらしい。劇映画監督としても、この作品の前の年(1970年)にはジーン・セバーグ主演の映画を、次の年(1972年)にはヘルムート・バーガーの主演映画を撮っていたようだ。しかしながら、監督が詩人だからといって、この映画の脚本も彼自身が書いたもの、というわけではなかったようだ。
この時期、主演のテレンス・スタンプはイタリア映画との縁がつづいていたようで、同じ1968年のフェリーニ監督の『悪魔の首飾り』(オムニバス映画『世にも怪奇な物語』の一篇)、パゾリーニ監督の『テオレマ』とにつづけて出演している(ちなみに、一昨日7月22日は、テレンス・スタンプの82歳の誕生日だったのだ)。
映画は若き日のランボー(テレンス・スタンプ)とヴェルレーヌ(ジャン=クロード・ブリアリ)との出会いから破局までのいきさつ、そしてそれから十年以上後、詩を放棄してアフリカで武器商人となって活動し、だんだんに「死」へと向かって行くランボーの姿とが、交差して交互に描かれる。
この映画撮影時にテレンス・スタンプはすでに30歳を越えており、さすがに十代の青年詩人を演ずるのはキツかったというか、じっさいにランボーが詩人になろうとパリに出奔するのは16歳のときのことなのだが、この映画ではそのあたりを脚色して「20歳でパリに出てきた」ことにされている。それでもやはり、残されているあのランボーの写真とここでのテレンス・スタンプを見比べると、かなりの違和感は感じるかもしれない(若きランボーの不遜な精神はみごとに演じていただろうが)。
しかし、アフリカ時代のランボーはまさにテレンス・スタンプのはまり役というか(このとき、年齢的にもテレンス・スタンプはランボーとだいたい同い年であろう)、詩を放棄してヨーロッパでの生活をも捨てたニヒリスト的な精悍さが感じられ、じっさいに残されているアフリカ時代のランボーの写真(不鮮明ではあるが)は、この映画でのテレンス・スタンプに似ていると言える(そうは思わない人もいるだろうが、わたしはこの時代のランボーを演じるのにこのときのテレンス・スタンプはまさに適役だったろうと思うのである)。
さて、どうしてもこういう映画作品を観ると、「事実関係がちゃんと描かれているのか」とかいうことばかりが先に気になってしまうのだけれども、だいたいそもそもわたしはランボーの生涯については先月読んだ『ランボーはなぜ詩を棄てたのか』という本ぐらいでしか知らないし、アフリカ時代のランボーのことなど何も知らないといっていい。
そんな自分の知っていたこととの照合でいえば、さいしょのパリへの出奔の年齢を変えてある以外は、ヴェルレーヌとの関係など正確に描かれていたと思うし、パリの高踏派詩人連中の会合の雰囲気(壁に大きなボードレールの肖像画が貼られている)、そこでのランボーの「狼藉ぶり」とかも(ここは「テレンス・スタンプならでは」という魅力で、比較できないかもしれないが、わたしは、フェリーニの『悪魔の首飾り』での彼の鬼気迫る演技を思い出したのだ)、きっとこんな雰囲気だったのだろうとは思わせられた。
アフリカ時代のランボーに関しては、そもそもほとんど知られていないのだから「創作」もかなり取り入れているものと思われ、晩年に病身のランボーの面倒をみたアフリカの女性が出てくるが、わたしが調べた限りではそのような女性はいなかった。また、ランボーが村を襲われてひとり生き残っていた少年を連れ帰り、ずっと自分の周辺に置いていたというのはもちろんフィクションだろう。というか、アフリカ時代のランボーをドラマにするにはフィクションの混合も避けられなかったのだろうが、ちょっと「ヒューマニズム」に寄り添いすぎている気はした。終盤にランボーが奴隷売買にも関わったような描写もあって、わたしもそういう記述を何かで読んだこともあったのだが、今ではそのようなことはすっかり否定されているそうだ。
それで、アフリカ時代のランボーにはパリ~ロンドン時代の不遜さ、傲慢さも失せ、見た感じでは特に個性も見せない、特徴のない普通の「武器商人」(しかも商談に失敗するし)でしかないというあたりが、何とも残念ではあった。ランボーはアフリカを「地獄」とも言い、そのラストの「死への道行き」からも、彼のアフリカでの生は失敗だったような印象になる。しかし、ここはどうせフィクションなのだし、いったいランボーはアフリカに何を求めていたのか(もしくは何から逃れてきたのか)を、もう少し強く描いては欲しかった。ここでもっと、いかにもテレンス・スタンプという「狂おしい」さまを観たかったものである(ラストにちょびっとあった?)。
しかしこの映画、特に室内の美術は色彩設計、照明などとても美しいもので、細かいところまでスタッフが神経を使っているのが読み取れた。撮影も見事なものだった。
アフリカに関しては少しばかり「非ヨーロッパ」ということに気をつかいすぎた感じで、さいごにランボーに付き添う女性にせよ、紋切り型の「エキゾティズム」になってしまったようだ。
やはりわたしは、「アフリカ時代のランボー」というものをもう少し知りたく、今出ている「ランボー伝」だとか、そういう本を読んでみたくはなるのだった。