ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

2022-11-26(Sat)

 土曜日はFMでの「ウィークエンドサンシャイン」の放送日。まったく興味のない音楽ばかりが続く回もあるのだけれど、この日は終盤にわたしの好きなアイルランドシンガー・ソングライター(同時にトラディショナル・ソングの良き歌い手でもあり、卓越したギタリストでもあるのだが)のポール・ブレイディ(Paul Brady)の曲が何曲かかかり、うれしかった。やはりポール・ブレイディは素晴らしい。そしてそのあとには、バート・ヤンシュ(Bert Jansch)の曲が続いた。うれしい回だった。
 調べたら、ポール・ブレイディは7年前に来日公演をやっていたのだった。まったく知らなかった。知っていれば行っていたのに。

 今日は天気予報ではこのあたりはずっと雨になるだろうということだったが、外を見ても雨が降っている気配はなかった。「買い物に行こうか」とも思ったが、外に出て歩いていて雨に降られるのも最悪なので、やっぱり外に出るのはやめておいた。写真はこの日も出窓に上がって外をみるニェネントくん。

    

 夕方になると、ケータイに「このあたりはこれから豪雨になるよ!」という「警報」のようなものが届いたのだけれども、外はまったく雨になることもなかった。「こんなことなら買い物に出てもよかったな」などとは思った。

 昼食は「鴨だしそば」の残り半分を食べ、そのあと昨日観た『ミスティック・リバー』の、出演していたティム・ロビンスケビン・ベーコンによる音声解説を観た(聴いた)。
 二人とも自分自身が映画の監督の経験者でもあり、クリント・イーストウッドの演出法について踏み込んだ話を聞かせてくれた。二人の声がけっこう似ていたので、どっちがどっちだかわからなくなる時もあったが、まあ二人とも同じようなことを語っていたのでかまわないか。
 とにかくイーストウッド監督の演出は「早撮り」「短時間」というのが特徴的で、何カットも撮り直しすることはまるでないし、一日の撮影時間も6時間ぐらいで終わるのだという。例えば撮影中にアクシデントがあって「撮り直し?」とかいうときも、「これでいいよ」とそのテイクを活かすのだという。
 映画の中で公園に娘の死体が見つかったシーンで、上から娘の死体を俯瞰撮影し、そのままカメラは上の方へと向きを変え、木々のあいだから空が見えるショットがあったのだが、実はそのシーン、カメラが空を撮るのと同時に用意していたたくさんの鳩を放ち、空に鳩が飛ぶところを捉えるはずだったのが、鳩は言うことを聞かずに空に飛び立たなかったのだという。普通なら「やり直し」として、せっかく鳩を用意していたわけだし、うまく行くまでやるのだろうけれども、イーストウッドは「しょうがない、あきらめよう」と、その一度の撮影で終わりにしたのだという。

 これはきっと先日観た『グッドフェローズ』のスコセッシ監督の演出の「対極」にあるもので、イーストウッド監督もステディカムを使うのだけれども、スコセッシ監督のようにギミックな使い方をするわけではない、きわめてオーソドックスな演出ではある。
 こういう演出法は、イーストウッド監督の長い「俳優歴」から得た(学んだ)ものだろうけれども、例えば『荒野の用心棒』の監督のセルジオ・レオーネなどは、しつっこいぐらいにテイクを重ねて「撮り直し」をしたということで、おそらくはイーストウッドはけっこううんざりしていたのかな?などとは思う。

 だからティム・ロビンスケビン・ベーコンも撮影前に「役作り」はしっかりと仕上げ、撮影前の「読み合わせ」で準備していたということで、場合によってはリハーサルのときから撮影していたという。
 これは一種「演劇的」というか、ある意味で「俳優の力量」にすべてを委ねたスタイルとも言える。そのために監督は「舞台設定」に力を注ぎ、撮影後の「編集」で作品をつくりあげるわけだ。

 わたしはマーティン・スコセッシ監督のような、言ってみれば「ギミック」な演出にももちろん惹かれるが、イーストウッド監督のこういう、「演劇的」な撮影現場から「自分の思うもの」を切り取って行く演出法にも感心する。面白い「音声解説」だった。明日はこのDVDの2枚目を観よう。

 夕食は、今は白菜が丸ごとひとつ在庫があって、これがなかなか減らないし、とにかくは「白菜を使いましょう」ということを考える毎日。そして今は先日買ったトマトがまだ残っていて、トマトは白菜よりも早く傷むので、白菜とトマトを使った献立を考える、というか検索する。
 まあ白菜をトマトで煮込む料理はけっこうあるわけで、この日はコレにベーコンをプラスして煮物をつくった。けっこう美味しかった。